何も出てこない
休日が終わり、学院での授業が再開してから数日が経った。
雪麦の研究は学院内でできる最初の段階を終え、現在はクロフォード領からの連絡を待っている。試験加工を行う村の選定や、実際に使う設備の確認には時間が必要らしく、シオンたちも急かさず待つことにしていた。
その間にも学院生活は続いている。座学、魔法、剣術、歴史、礼法と授業は多く、十二歳の新入生が暇を持て余すような時間はほとんどなかった。
「シオン、次はお前だぞ」
「ああ、分かってる」
ディランに声を掛けられ、シオンは木剣を持って訓練場へ出た。
今日の実技は剣術の基礎確認だった。才能の有無にかかわらず全員が最低限の武器の扱いを学ぶのが学院の方針であり、《槍術》を持つディランも先ほどまで木剣を振っている。
向かいに立った訓練教官が木剣を構えた。
「打ち込んでこい。速さより姿勢を意識しろ」
「はい」
シオンは一度呼吸を整え、踏み込んだ。
教官の視線、肩、足の位置を見る。長い冒険者生活で身についた癖のおかげで、相手がどう動こうとしているのかはある程度予測できた。
だが、分かることと実行できることは別だった。
右から振った木剣は簡単に受け流され、体勢を崩したところへ教官の木剣が伸びる。胸へ当たる寸前で止められたものの、実戦ならそこで終わっている。
「今の踏み込みは悪くない。ただ、相手を見すぎて自分の動きが遅れている。先を読むことばかり考えるな」
「……はい」
耳の痛い指摘だった。
六十年分の経験があるせいで、頭ではどうしても先の展開を考えてしまう。しかし十二歳の身体と《無能》の成長速度では、その判断に動きを合わせられない。
もう一度打ち込んでも、結果は大きく変わらなかった。
何度か指導を受けた後、シオンは汗を拭いながら列へ戻る。
「やっぱり変だよな、お前」
「いきなり何?」
待っていたディランが首を傾げながらシオンを見る。
「先生が動く前に反応してる時あるだろ。でも、そこから普通に負ける」
「身体がついてこないんだよ」
「分かってるなら鍛えろよ」
「鍛えてるよ。それでこれなんだって」
シオンが笑うと、ディランは納得できないような顔をした。
これでも二度目の人生では、幼い頃から身体を動かしている。一度目より基礎体力は高いはずだが、レオンやディランのように武術系の才能を持つ者との差は、年齢が上がるほど明確になっていた。
それを悔しいと思わないわけではない。
ただ、一度目の人生ほど苦しくはなかった。
才能がないことを認めた上で、それでもできる範囲を増やせばいい。六十歳まで生きて、ようやく覚えた考え方だった。
「次、ディラン・クロフォード」
「お、俺だ」
「頑張って」
「見てろよ。さっきのお前よりは絶対いいからな」
「比較対象が俺なのはどうなんだよ」
ディランが笑いながら訓練場へ出ていく。
木剣は本来の得物ではない。それでも武術系の《槍術》を持つだけあって、身体の使い方そのものがシオンとは違った。
踏み込みが鋭く、体勢を崩されても立て直しが早い。木剣の扱いでは教官に何度も修正されているが、それでも同年代としては十分に優秀だろう。
「ディラン様は、剣でもかなり動けるのですね」
「武器は違っても身体の使い方は共通する部分があるからね」
隣へ来たセレナに答えながら、シオンは訓練場を眺めた。
ふと、少し離れた場所から視線を感じる。
そちらを見ると、銀灰色の髪をした少年が立っていた。
ヴァルター・グランツ。
先日の休日、王都で出会った少年だった。
目が合っても逸らさない。むしろ観察するようにこちらを見ている。
「……やっぱり気にされてるな」
「ヴァルター様ですか?」
「うん」
「先日のことでしたら、あまりお気になさらなくてもよいと思いますが」
「別に怒ってないよ。聞かれたことも間違ってはいなかったし」
シオン自身、自分が周囲からどう見えるかは理解している。
名門侯爵家の次男でありながら《無能》。兄と姉は優秀で、幼馴染には公爵令嬢のセレナがいる。入学式では国王アルベルトと王太子アレクシスから直接声まで掛けられた。
事情を知らない人間からすれば、不自然に見えて当然だった。
「ただ、何を調べても面白いものは出てこないと思うけどね」
シオンは小さく笑い、再び訓練へ意識を戻した。
ーーーヴァルター視点ーーー
ヴァルター・グランツは、シオン・アルヴェリアという少年が気に入らなかった。
正確には、嫌いという言葉だけでは少し違う。
信用できない。
その方が近かった。
最初に違和感を覚えたのは入学式だった。
国王アルベルトが一人の新入生へ親しげに声を掛けた。王妃マリアンヌもシオンの母親を知っている様子で、王太子アレクシスに至っては以前から付き合いがあることを隠そうともしなかった。
さらにセレナ・ヴァレンティア。
公爵家の長女であり、四つの基本属性すべてを高い水準で扱えると噂される少女が、当然のようにシオンの隣へ座った。
兄のレオンは学院でも名を知られた優等生。
姉のリシアも優秀な魔法使い。
周囲にいる人間だけを見れば、シオン本人も何か特別な才能を持っていると考える方が自然だった。
だが、実際は違う。
今日の剣術を見ても、それは明らかだった。
シオンは弱い。
少なくとも、十二歳の時点で突出した戦闘能力を隠しているようには見えない。
構えは基礎通りで、相手を見る目だけは妙に落ち着いている。教官が動く前に反応することもあったが、その後の身体が追いついていない。
わざと負けている可能性も考えた。
だが、それならもっと自然に隠せるはずだ。
魔法についても同様だった。
術式そのものは理解しているのに、魔力の出力が低く、制御も平均以下。講義で教師が説明する理論は理解しているようだが、それを実技へ反映できていない。
まるで、知識だけを先に詰め込んだ人間のようだった。
「またアルヴェリアを見てる」
隣から声を掛けられ、ヴァルターは眉を寄せた。
同じ班の女子生徒が、呆れたようにこちらを見ている。
「観察していただけだ」
「それを見てるって言うんでしょう?」
「意味が違う」
「私には同じに見えるけど」
女子生徒は肩をすくめ、訓練場へ視線を戻した。
「普通に弱いと思うよ。少なくとも剣は」
「だからおかしい」
「弱いから?」
「違う。弱い人間がいることは何もおかしくない」
才能には差がある。
ヴァルター自身、《雷魔法》を授かってから努力を続けてきた。珍しい才能を持っているからこそ、それを使いこなせなければ意味がないと幼い頃から教えられている。
努力して結果を出す。
その結果によって周囲から認められる。
ヴァルターにとって、それは当たり前のことだった。
だからこそ、何の結果も見えないシオンが国王や王太子から認識されている理由が理解できない。
「じゃあ何がおかしいの?」
「……何でもない」
これ以上説明しても仕方ないと判断し、ヴァルターは会話を終えた。
授業が終わると、シオンの周囲にはいつもの顔ぶれが集まった。
セレナだけではない。
最近ではディラン・クロフォードとノア・フェルドも、当然のようにシオンと行動している。
ディランは伯爵家の三男で、《槍術》を持つ少年だ。先ほどの訓練でも分かる通り、武術に関しては同年代でも上位に入るだろう。
一方のノアは小さな商家の出身だが、経済や流通に関する講義では教師が感心するほど鋭い質問をすることがある。
入学してまだ長い時間は経っていない。
それなのに、シオンはすでに二人と親しくなっていた。
「……偶然なのか?」
ヴァルターは小さく呟いた。
それだけなら偶然でもいい。
だが、ディランとノアが最近、放課後になるとシオンやセレナと研究棟へ通っていることも知っている。
何をしているのかまでは分からない。
そこまで考えたところで、ヴァルターは自分が噂だけを材料に考え始めていることに気づいた。
ならば調べればいい。
思い込みで相手を評価するより、確認できる事実を集めた方が早い。
その日の授業を終えると、ヴァルターは寮へ戻らず学院の資料室へ向かった。
王立学院には、王国内の主要貴族家についてまとめられた資料が置かれている。領地、家族構成、主要産業、過去の功績など、公表されている範囲なら学生でも閲覧できる。
ヴァルターはまず、アルヴェリア侯爵家の資料を開いた。
王国北部に広大な領地を持つ武門の名家。
当主ガルディス・アルヴェリアは《魔剣》の才能を持ち、王家からの信頼も厚い。長男レオンは次期侯爵として教育を受け、長女リシアも高い魔法適性を持つ。
そして次男シオン。
五歳の才能鑑定で《無能》。
後年に行われた再鑑定でも変化なし。
「本当に《無能》なのか」
ヴァルターは思わず呟いた。
鑑定結果を偽装している可能性も考えていたが、神殿で正式に行われた鑑定記録まで残っている。しかも一度ではない。
現在の実技能力とも一致していた。
ならば、隠された強大な才能を持っているという仮説は捨てていいだろう。
次にアルヴェリア家の近年の出来事を調べた。
最初に目についたのは、ローデン金鉱だった。
数年前、アルヴェリア領北部のローデン山地で大規模な金鉱脈が発見されている。王国でも有数の規模を持つ鉱山として開発が進み、周辺には新しい街道や採掘拠点まで整備されていた。
発見当時、シオンは六歳。
ヴァルターは調査開始の経緯を確認する。
記録上では、ガルディスが領内資源の再調査を命じ、派遣された鉱山技師と地質調査隊が金鉱脈を発見したことになっている。
シオンの名前はない。
「まあ、六歳だからな」
関係がなくて当然だ。
ヴァルターは次の資料へ進んだ。
エレノア・アルヴェリアが中心となって始めた美容商品の事業。
これも王都では有名だった。貴族女性を中心に人気を集め、現在では裕福な商人層にも販路を広げている。
製品開発には錬金術師や薬師が参加し、販売を担当したのはカイル・ベルナード。以前は小さな店だったベルナード商店も、この事業をきっかけに急成長している。
事業開始当時、シオンは八歳。
しかし、ここにも名前はない。
「次は……レグナード大震災」
隣国で起きた大規模災害については、ヴァルターもよく覚えていた。
国境に近いアルヴェリア侯爵家は発生直後から大量の救援物資を送り、多くの被災者を救った。特に保存食、毛布、薬品などを国境周辺に大量確保していたことが、迅速な支援につながったと評価されている。
ただし、公的な説明では冬季交易のために準備していた物資を緊急転用したことになっていた。
判断を下したのはガルディス。
物資を準備し、運んだ中心人物はカイル・ベルナード。
やはりシオンの名前はなかった。
ヴァルターはそこで一度、資料から顔を上げた。
ローデン金鉱。
美容商品。
レグナードへの救援。
どれもアルヴェリア侯爵家がここ数年で評価を高めた出来事であり、どれもシオンが幼い頃に起きている。
だが、本人の名前だけがない。
「何を考えてるんだ、俺は」
ヴァルターは自分の発想を打ち消した。
六歳や八歳や十歳の子供が、侯爵領の資源開発や大規模事業、外国への災害支援を動かしていたと考える方がおかしい。
たまたま時期が重なっているだけだ。
そう考えるのが普通だった。
次に調べたのは、ヴァレンティア公爵家との関係だった。
セレナとシオンは五年前から交流があるという。
こちらについては、比較的簡単に記録が見つかった。
五年前、ヴァレンティア公爵家の一行が移動中に魔物の襲撃を受け、付近を巡回していたアルヴェリア侯爵家の騎士隊が救援した。
討伐された魔物の中には、光学的な擬態によって姿を隠す《幻影豹》も含まれている。
当時七歳だったセレナも馬車に乗っていたが、負傷することなく救出された。
「それで両家の交流が深まったのか」
これなら説明できる。
父親同士の関係が深まり、その子供であるシオンとセレナも交流するようになった。それ自体は珍しくない。
だが、事件の記録にシオンの名前はなかった。
現場にいたのかどうかすら分からない。
ヴァルターは資料を閉じかけて、手を止めた。
ここまではいい。
最大の疑問は、王家だった。
アルヴェリア侯爵家が王家と親しいことは知っている。ガルディスと国王アルベルトの間にも、長年の信頼関係がある。
それでも、入学式で国王が声を掛けたのはガルディスではない。
シオン本人だった。
しかも「久しいな」と言った。
以前から直接会っている。
王太子アレクシスも、初対面の同級生へ向ける態度ではなかった。
「何か王家に関係する功績があるはずだ」
ヴァルターはそう考え、王家とアルヴェリア侯爵家の近年の記録を調べ始めた。
公式行事。
王宮への出仕。
王家からの表彰。
特別な任務。
共同事業。
どこを探しても、シオン・アルヴェリアの名前は見つからなかった。
もちろん、ヴァルターが知らないだけで理由は存在する。
十一歳のシオンが国王の死を予告し、その情報によってアルベルトの体内から毒が発見されたことは、王家でも限られた者しか知らない国家機密だった。
学院の資料室に残っているはずがない。
しかし、その事情を知らないヴァルターにとって、何も見つからないという事実は疑問を消すどころか、さらに大きくした。
「……本当に何もない」
ヴァルターは椅子へ深く座り直した。
才能はない。
剣も弱い。
魔法も弱い。
公式な功績もない。
公爵令嬢との関係は家同士の縁で説明できる。
国王や王太子との関係だけは理由が見つからないが、少なくとも公表された功績によるものではない。
これだけ調べれば、本来なら結論は単純なはずだった。
シオン・アルヴェリアは、名門侯爵家に生まれただけの《無能》。
それ以上でも、それ以下でもない。
「だったら、どうしてだ?」
声に出した瞬間、資料室の静けさが妙に耳についた。
なぜ国王が名前を覚えている。
なぜ王太子が親しげに話す。
なぜセレナ・ヴァレンティアが当然のように隣へいる。
そして、なぜ入学してすぐにディランとノアまでシオンの周囲へ集まった。
偶然と家柄だけで説明することはできる。
だが、それではヴァルターの中に残る違和感が消えない。
「何もしていないはずがない」
今度は先ほどより小さな声で呟いた。
何かを隠している。
それが才能なのか、王家から与えられた秘密の役割なのか、それとも別の何かなのかは分からない。
ただ一つ、ヴァルターの中で考えが変わった。
最初は、調べればシオンが特別扱いされる理由が見つかると思っていた。
今は違う。
これだけ調べても何も出てこないこと自体が、おかしい。
ヴァルターは最後に、もう一度アルヴェリア侯爵家の近年の記録へ目を通した。
ローデン金鉱が見つかった時、シオンは六歳。
美容商品の事業が始まった時は八歳。
レグナード大震災への異常なほど早い支援は十歳。
そして王家との個人的な交流が確認できる現在は十二歳。
どの出来事にもシオンの名前はない。
それでも、時期だけが妙に並んで見えた。
「……いや」
ヴァルターは首を振った。
さすがに考えすぎだ。
幼児だったシオンが金鉱を見つけ、美容商品の事業を考え、外国の災害まで予測したなどという話になってしまう。
そんなことができるなら、《無能》どころではない。
だからこそ、その可能性は捨てた。
ただし、シオンへの疑問まで捨てることはできなかった。
資料を元の棚へ戻しながら、ヴァルターは次に何を確認するべきか考える。
記録に残っていないなら、本人を見ればいい。
授業で何をするのか。
誰と付き合うのか。
何を知っているのか。
どんな場面で周囲がシオンを頼るのか。
秘密を暴いてやろうというほど大げさなつもりはない。
ただ、自分の目で納得できる答えを見つけたい。
それだけだった。
ーーーシオン視点ーーー
「やっぱり見られてるな」
数日後の昼休み、シオンは食堂で向かい側に座るディランへ小さく呟いた。
「誰に?」
「ヴァルター」
ディランが振り返ろうとしたため、シオンは慌てて止める。
「見るなって。気づいてるって分かるだろ」
「もうお前が名前出した時点で遅くないか?」
「声は聞こえない距離だから大丈夫」
少し離れた席では、ヴァルターが同級生と食事をしている。こちらを凝視しているわけではないが、時折シオンへ視線を向けていることには気づいていた。
ノアもパンを食べながら、面白そうに笑った。
「この前、資料室でアルヴェリア侯爵家について調べてたって聞いたよ」
「誰から?」
「資料整理を手伝ってる商家の子。俺の知り合い」
「お前、そういう情報入ってくるの早いな」
「商人の息子だからね」
ノアは得意そうに答えた。
シオンは困ったように頬を掻く。
ヴァルターが調べること自体は予想していた。むしろ、先日の質問から考えれば自然な行動だった。
「何かまずいのか?」
ディランの質問に、シオンはすぐ首を振った。
「別に。調べられて困るようなことは、表には出てないから」
「その言い方だと裏には何かありそうだけど」
「侯爵家なんだから、公表してない話くらいあるよ」
それ以上は踏み込ませない。
ディランもノアも友人だが、未来視について話すつもりはなかった。
二人を信用していないからではない。
むしろ逆だった。
知る必要のない秘密を背負わせたくない。
未来視という嘘は、母を救うために始めたものだった。それが父から家族へ伝わり、セレナとヴァレンティア家、さらに国王を救ったことで王家まで知ることになった。
これ以上、知る人間を増やすべきではない。
「それにしても、ヴァルターも暇だな」
「そうでもないと思うよ」
ディランの言葉に、シオンは苦笑した。
「俺だって立場が逆なら気になると思う。才能も実績もない奴が、入学式で国王陛下に名前を呼ばれてたらね」
「実績がないって、お前……」
ディランが何か言いかけたところで、シオンは視線だけで止めた。
雪麦についてはまだ研究段階であり、実績と呼べるものではない。
それ以前の出来事について、ディランは何も知らない。
「少なくとも学院で俺が何かしたわけじゃないだろ?」
「まあ、それはそうだけど」
ディランは納得しきれない様子だったが、それ以上は追及しなかった。
その時、少し遅れて食堂へ入ってきたセレナが四人分の席を見つけ、こちらへ歩いてきた。
「何のお話をしていたのですか?」
「ヴァルターがシオンを調べてるらしいって話」
「ノア、普通に言うんだな」
セレナは一瞬だけヴァルターのいる方向へ目を向けたものの、特に驚かなかった。
「おそらく、何も分からないでしょうね」
「セレナまで同じこと言うんだ」
「事実ですから」
セレナは事情を知る数少ない一人だ。
ローデン金鉱も、美容商品の始まりも、レグナード大震災への備えも、国王アルベルトを救った件も、表向きの記録にシオンの名前は残っていない。
調べれば調べるほど、《無能》という鑑定結果だけが確かな事実として残る。
「放っておけばいいよ。俺から何かする必要もないし」
シオンはそう言って食事へ戻った。
ヴァルターが何を疑っているのかは分からない。
だが、少なくとも未来について自分から漏らすつもりはなかった。六十年を生きた記憶があるからこそ、秘密というものは一度口から出れば戻せないことを知っている。
それより今は、目の前の学院生活の方が重要だった。
雪麦の試験も始まる。
授業もある。
ディランやノアとの付き合いも、まだ始まったばかりだ。
ヴァルターが自分を観察するというのなら、好きにすればいい。
何しろシオン本人が一番よく知っている。
どれだけ調べても、シオン・アルヴェリアからは大したものなど出てこない。
剣の才能も、魔法の才能も、華々しい功績もない。
あるのは、一度目の人生で六十年間かけて積み重ねた経験と、すでに少しずつ役に立たなくなり始めている未来の記憶だけだ。
そして、そのどちらも鑑定結果や学院の資料には記載されていなかった。




