三人の友人
雪麦の試験加工をクロフォード領で行うことが決まってから最初の休日、シオンは学院の正門前でディランとノアを待っていた。研究室以外で三人が集まるのは初めてであり、今日は雪麦の話をする予定もない。
学院では休日になると、一定の条件を満たした生徒に王都への外出が認められている。十二歳の新入生だけで遠方へ行くことは禁止されているが、学院周辺の商業区なら許可を取れば問題なかった。
「悪い、待ったか?」
「今来たところ。ノアはまだみたいだよ」
訓練でもしていたのか、ディランは休日にもかかわらず腰に短い練習槍を提げていた。本人に尋ねると、武器を持たずに外へ出る方が落ち着かないらしい。
「お前、それで店に入るつもり?」
「刃は潰してあるし、邪魔なら預けるよ。王都って人が多いから、何も持ってない方が不安なんだ」
「十二歳でそれなら、将来どうなるんだろうな」
「なんだよ?」
「何でもない」
未来では槍一本で王国中に名を知られる男になるのだから、今の時点から性分そのものは変わらないのかもしれない。そう思ったが、もちろん口には出さなかった。
しばらくすると、ノアが小走りで正門へやってきた。肩には小さな鞄を提げており、中には財布だけでなく、いつも使っている帳面まで入っているらしい。
「遊びに行くのに帳面持ってきたの?」
「面白い商品があったら値段を書いておきたいだろ」
「お前も大概だな」
「槍持ってきた奴に言われたくない」
早くも言い合いを始めた二人を見ながら、シオンは笑った。研究を始めてからそれほど時間は経っていないが、ディランとノアは妙に相性がいいらしい。
「シオン様、お待たせしました」
そこへもう一人、聞き慣れた声が加わった。
振り返ったディランとノアが同時に固まる。学院の制服ではなく淡い色の外出着を身につけたセレナが、護衛の女性騎士を一人伴って正門へ歩いてきていた。
「……セレナも来るのか?」
「昨日シオン様から聞きましたので、ご一緒してもよろしいですか?」
「俺はいいけど」
「俺も別に……」
ディランとノアは答えながら、なぜかシオンを見る。
「なんだよ?」
「いや。お前、公爵令嬢を普通に休日の買い物へ誘うんだなと思って」
「五年前から知ってるんだから、今さらだろ」
シオンが答えると、セレナも当然という顔で頷いた。二人にとっては普通のことでも、最近知り合ったディランたちにはまだ慣れないらしい。
四人は正門で外出許可を確認してもらい、王都の商業区へ向かった。学院周辺は学生向けの店が多く、飲食店や書店、武具店、魔道具店などが大通りの両側に並んでいる。
「まず何する?」
「飯!」
「まだ昼前だぞ」
「じゃあ武具屋!」
「それ、ディランしか楽しくないだろ」
ノアが呆れる横で、セレナは楽しそうに店先を眺めていた。結局、誰か一人の目的に合わせるのではなく、気になった店へ順番に入っていくことになった。
最初に立ち寄った武具店ではディランが完全に動かなくなった。壁へ並べられた槍を一本ずつ眺め、穂先の形や柄の材質について店員へ質問を続けている。
「長くなりそうだね」
「俺、向かいの店見てきてもいい?」
「何の店?」
「雑貨屋。地方の商品が置いてある」
ノアがすでに店先の商品札を確認していたため、シオンとセレナも一緒に向かうことにした。護衛の女性騎士だけは、武具店に残ったディランと三人の間を困ったように見比べている。
雑貨屋には王国各地から集められた保存食や香辛料、布製品などが並んでいた。シオンにとっては商人時代に扱ったことのある品も多く、懐かしさを感じるものもある。
ただし、昔の知識をそのまま披露するつもりはない。商品の説明札を読みながらノアの話を聞き、尋ねられた時だけ自分の知識で不自然にならない範囲の意見を返していく。
「これ、南部から運んできてこの値段なら安くない?」
「保存が利かないんじゃない? 売れ残ったら店側の損になるから、早く売り切りたいとか」
「なるほど。それなら安い理由になるな」
ノアは商品を見るたびに仕入れ値や運送費を予想している。十二歳の休日としては変わった楽しみ方だが、本人はかなり楽しそうだった。
「シオン様もノア様も、商売のお話になると似ていますね」
「え?」
「そうか?」
二人が同時にセレナを見る。
「商品の味より先に、値段や保存期間のお話をしています」
言われてみれば確かにそうだった。シオンは何十年も商人として働いた経験があるため仕方ないが、ノアは十二歳ですでに同じ方向へ興味が向いている。
「シオン、将来商人になるつもりある?」
「今のところ決めてないよ」
「もったいないな。話してると結構面白いのに」
未来では自分より遥かに成功する商人からそう言われ、シオンは苦笑するしかなかった。
しばらくしてディランも合流し、四人は通りにある食堂へ入った。学生向けの店らしく値段は手頃で、昼になる前から多くの学院生で賑わっている。
「これ美味いな!」
「結局、食べてる時が一番楽しそうだな」
「休日なんだからいいだろ」
ディランは肉料理を勢いよく食べ、ノアは料理の値段と量を見比べている。セレナも公爵家の食卓とは違う庶民的な料理が珍しいらしく、楽しそうに匙を動かしていた。
シオンは三人を見ながら、ふと一度目の学院生活を思い出した。
当時の自分にも同級生はいた。だが、《無能》から《無銘》へ変わることばかり考え、才能のある相手と比べては勝手に傷ついていたシオンは、誰かと深く付き合おうとしなかった。
放課後や休日に友人と街へ出た記憶も、ほとんど残っていない。
「シオン、どうした?」
「いや。こういうのも悪くないなと思って」
「何が?」
「友達と遊びに来るの」
口にしてから、ディランとノアが一瞬だけ黙った。
何か変なことを言っただろうかと考えていると、ディランが急に笑い出す。
「なんだよ。俺たち、ちゃんと友達だったのか」
「雪麦の研究仲間だけだと思ってた?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ。改めて言われると変な感じするだろ」
ノアも少し照れたように笑っている。
「俺も友達でいいよ。侯爵家の息子と友達になるとは思ってなかったけど」
「そこは関係ないだろ」
「商人の家だと、結構気にするんだよ」
シオンはその言葉を聞いて、少しだけ考えた。
未来の《王国の槍》でも、大商会の主でもない。伯爵家の三男と、小さな商家に生まれた少年。
今の自分が付き合っているのは、その二人だった。
「じゃあ改めてよろしく、ディラン、ノア」
「なんだよそれ。今さらだろ」
「よろしく、シオン」
三人が笑う横で、セレナが少しだけ不満そうな顔をしていた。
「私は入っていないのですか?」
「セレナは五年前から友達だろ?」
「……それならいいです」
すぐに機嫌を直したセレナを見て、三人がまた笑った。
食事を終えて店を出たところで、シオンたちは学院の制服を着た数人の生徒とすれ違った。その中央にいた銀灰色の髪の少年が、シオンを見て足を止める。
シオンにも顔だけは見覚えがあった。同じ学年で、魔法実技の成績がかなり良かった生徒だ。
「アルヴェリア」
「えっと……グランツだったよね?」
「ヴァルター・グランツだ」
「悪い。まだ全員の名前を覚えてなくて」
ヴァルターの眉がわずかに動いたものの、怒った様子はなかった。グランツ伯爵家の嫡男で、《雷魔法》という珍しい才能を持つ少年だったはずだ。
「構わない。こちらは君の名前を嫌でも覚えたがな」
言葉そのものは刺々しいが、声を荒らげているわけではない。ヴァルターの視線はシオンからディラン、ノア、そしてセレナへ順番に移った。
「随分と珍しい組み合わせだと思っただけだ」
「同級生で街に来てるだけだよ」
「そうか」
それだけ答えたヴァルターだったが、視線はしばらくシオンから離れなかった。
「何か聞きたいことがある?」
シオンが尋ねると、ヴァルターは少しだけ考えた後、正面からこちらを見る。
「君は、本当に《無能》なのか?」
周囲の空気がわずかに変わった。
ディランが眉を寄せたが、シオンは特に腹を立てなかった。むしろ、入学してから周囲が遠回しに気にしていたことを、初めて直接聞いてきた相手だった。
「本当だよ。再鑑定でも変わってないし、実技を見ただろ?」
「見た。だから分からない」
「何が?」
「なぜ君の周りに、これだけ人がいる?」
ヴァルターの視線がセレナへ向き、その後で学院の方角へ動いた。おそらく入学式でシオンへ声を掛けた国王や王太子のことも含めているのだろう。
「才能がなくても友達くらいできるだろ?」
「そういう意味ではない」
ヴァルターは即座に否定した。
「君には何かあるはずだ。だが、それが何なのか分からない」
シオンは少しだけ目を細めた。
敵意とは微妙に違う。ヴァルターはシオンを馬鹿にしたいのではなく、本当に納得できていないらしい。
「期待されても、面白いものは出てこないと思うよ」
「それは私が決める」
ヴァルターはそう言い残し、仲間たちと歩いていった。
「……なんだあいつ」
ディランが露骨に不満そうな声を出す。
「別に悪いことは言われてないよ」
「最後の言い方は腹立つだろ」
ノアはヴァルターが去った方向を見ながら、少し違う感想を持ったらしい。
「でも、あいつ多分、本気で気になってるだけだと思う」
「俺もそんな感じがした」
シオンは頷いた。
調べられて困ることがないわけではない。だが、未来に関する秘密は家族たちが徹底して守っており、表向きの記録だけを追ったところで答えには辿り着けない。
むしろ調べれば調べるほど、シオン個人には何の実績もないという結論になるはずだった。
その時のシオンはまだ知らなかった。
それこそが、ヴァルター・グランツにとって最も納得できない答えになることを。




