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雷に打たれて死ねば  作者: 莞爾
5章 東京編
19/20

5-3 気付き

 メンタルヘルスクリニックの医師は、私にチェックリストの紙を渡してきた。該当するものにチェックをつけ、得点が何点以上であれば鬱の傾向があると見做す。そんなものだ。 チェックをつけながら、「みんなはこれに『そうは思わない』と感じるのか……」と思った。どの質問も全部、私が子供の頃から感じていたことだった。


 紙の記入を終え、次は医師との簡単なカウンセリング。何を話したかほとんど忘れてしまったが、「どんな時に気不味く感じるの?」と聞かれた時の返答は覚えている。 私はこう答えた。


「些細なことだと、道を歩いていて忘れ物に気付いた時、私は来た道を引き換えるのが怖いです。周りの人にどう思われるのか、『なんで戻るんだろう』とか思われると気不味いので、大きく迂回して別の道から帰ります」


 医師がどう受け取ったかはわからない。ただ哀れなものを見るような目をしていたのを印象的に覚えている。 チェックリストの点数はほぼ満点。その場で休職を勧められた。


 仕事を休む言い訳ができたことに安心しつつ、私は別の疑問が浮かんでいた。


 ――今の心理状態を世間で『鬱病』と言うのなら、私は子供の頃からそうだったのでは……?


 大人になって、一人はるばる東京のメンタルヘルスクリニックにまでやってきて、私はやっと自分の異常性を思い知ることになった。



 夜中、誰もいない会社に向かい、休職届の封筒を入り口のドアに挟んで逃げ帰った。一ヶ月間は出社しないで済む。私は昼夜逆転した生活を送り、誰もいない深夜に公園を散歩するようになった。部屋にずっといると発狂しそうになるのだ。


 公園を歩きながら、永野のことを考えた。


 あいつは何故、モデリングが下手になっていたんだろう。 なんで、2D班へ移動させられたのだろう。 あの時『もっとフォローしてくれれば』とは、私に何をして欲しかったのだろう。


 きっと彼は、私の作った作品データを利用してポートフォリオを作っていたのだ。思い返せば専門学校で作った作品はほとんどが二人で協力して制作していた。 そうだ。進級制作も卒業制作も、肝心な部分は全て私が担当していた。永野は隣に座って制作こそしていたが、最終出力では彼のデータは採用されたことがなかった。


 彼一人の実力は、元から《《あの程度》》だったのだ。 だから会社で化けの皮が剥がれた。私に期待していたフォローというのは、詰まるところ『代わりに作って』ということか。


 ……合点がいって、私は乾いた笑いが漏れた。「お前が死ねよ」と呟いた。


 何故私が裏切られ、会社を休んでいるんだろう。心を病んでいるんだろう。 私におんぶに抱っこで支えられ、就職に漕ぎ着けた永野は今も2D班で簡単な背景制作をしながら給料を貰っているのか……。この世はどこまでも、どこまでも不公平だ。


一ヶ月間の休職後、私は青山さんに謝罪のLINEを送り、ブロックした。そして退職し、部屋で泣いた。



 心が空っぽだった。 たまに感情の電源が入ると、涙を流して身悶えした。


 生きてきた全ての記憶が恥ずかしいと思った。フラッシュバックする思い出全てが直視に耐えられず、狂ったように頭を振り回して嗚咽を漏らす廃人になった。思い出すな、思い出すな。何も考えずたくない。その一念で頭を振った。


 貯金を切り崩して引きこもる生活。……ちなみにこれは余談だが、当時放映されていたアニメに『けものフレンズ』がある。冗談ではなく本気で生きる支えだった。


 多少落ち着いた私は、このままではいけないことを自覚していた。このままでは破綻する……何か次の仕事を見つけなければならない。


 破綻するならするで自棄になってもいいものだが、我ながら強靭なな理性である。この思考の裏にあるのは、〈尻拭いしてくれる親や、頼れる存在がいない〉という背景事情だった。どれだけ困っていても他人に助けを期待できない人生を送ってきたので、鬱状態でも次の収入源の確保は考えなければならない。永野に裏切られ、社会に敗北したまま死ぬのは嫌だったのだ。


 私は泣きながらベッドの上でスマホを見つめ、転職先を探し始めた。もう都会はこりごりだったので、今度は山奥で木を切る仕事にしようと考えた(思考が暴走していた。躁状態だったのかもしれない)。


 求人情報に記載されている茨城県の林業を営む会社に電話し、「本当に内に来るつもりなの?」と戸惑う相手に「よろしくお願いします」と応える。電話口の相手は私の様子がおかしいことを感じ取っていたと思う。すごく心配してくれていた。


 もう東京とはおさらばだ。 そうと決まれば、改めてお世話になった人に報告はしておきたい。 私は〈ユン〉にLINEを送った。



 ユンは、東京で出会った女性である。 これまで出会ってきた人の中でほぼ唯一、私と同じ傷を抱えて生きていると思える人だった。理解者たり得る人物……惜しむらくは、もっとたくさん話す機会が欲しかった。


 そもそもどのようにして彼女と出会ったか……もとを辿ると高校時代の友人が引き合わせてくれたと言える。


 高校二年生のとき、友人が〈もなちゃと〉というチャットサービス(?)にハマっていた時期があり、そこで青森に住む同年代の女子と知り合ったそうだ。私はやったことがないため詳しくないが、Skype通話を使って軽く会話だけはしたことがある。 あとは個人プロフを互いに作り合っていた時期に、サイトから連絡先や近況を把握していた。


 ろくに連絡は取っていなかったが、マメな性格である私は、自分の個人プロフの近況に『東京で就職した』と書いた。 そしてユンの方から連絡をくれたのだ。


〈私も青森から東京に就職したんだよ。今度一緒に飲もう〉


 そういう流れで顔合わせをし、ブラック企業で働く飲み仲間となっていた。


 私はゲーム会社。ユンは製薬会社だったと記憶している。 ユンの仕事は社外秘の情報が多く、愚痴を言うのも言葉を選ばなければならないと難儀していた。曰く『薬の治験を行う仕事』で、『マウス(鼠)を使って毒性、副作用がないか確かめる』。『この実験をクリアしたものは次の段階へ進めるが、海外からの案件の場合、おざなりに次の段階へ進んでしまうこともあった心配』……と、少し恐ろしい話を聞いた。


 『マウスが試験薬で死んでしまうことは珍しくない。というかしょっちゅう死ぬ。……その度に私のせいで死んじゃったって辛くなる』


 仕事でほぼ毎日鼠を殺してしまう。どんな小さな命でも、罪悪感は残る。ユンはかなりストレスを抱えていた。 本当はもっと本人のことを深掘りしたかった。過去どのように生きていたのか、何を考え、どんな言葉が好きなのか。なんとなく纏う雰囲気から、同族の匂いがしていた。理解者たり得る人かもしれないと。 しかし、結局聞けずじまい。 そんなユンと最後に一緒に飲みに行くことになった。



 躁状態の私はユンと二人、新宿で飲んだ。焼き鳥を扱う居酒屋だったか、色々と愚痴を話し合って、お互いに「辛かったね」と傷を舐め合う。そして、私が仕事を辞め、次は茨城の山奥で木を切ると伝えると「それは辞めときな」と止められた。


「絶対向いてない。莞爾君は今血迷ってるんだよ」


「でも次の仕事決めないと……このままじゃ浮浪者になっちゃうよ」


「いいじゃん。憧れてたでしょ。ホームレス」


 と、ユンは笑う。 確かに前に飲みに行ったとき、橋の下に住み着いているホームレスに少し憧れていると話したことがあった。縛るもののない究極の自由人。最悪そういう生き方も悪くないのかもしれないと。


「お金がないのは困る」


「そうだね。でも木を切る仕事は向いてないと思うから別のにしなよ」


「わかった……もう少し考える」


 ユンの言葉で私は冷静になれたと思う。今思えば、チェーンソー片手に仕事をするなんて絶対に向いていない。彼女のおかげて選択を間違えずに済んだことは感謝してもしきれない。


「でもどうしよう……これからどうやって生きればいいのか……」


「焦ることないよ。最悪ヒモになっても大丈夫だよ。私が養ってあげるからさ、ゆっくり考えな」


 なんとはなしに言ってくれたユンの言葉に、私はすごくハッとさせられた。


 『ヒモになってもいい』とまで言ってくれている人が目の前にいる。 人生に転んでもこの人がいるのなら……もう一度立ち上がってみてもいいのではないかと思えた。誇らしいことにヒモに甘んじることなく再起する気概と品位が私の中にまだあった。


 ユンのお陰で、転ぶことが怖くなくなった。 人生詰んでも、最悪ヒモになって生きていけるというセーフティーネットがある。だったらもう一度……もう一度だけ自分の脚で歩きたい。



 恥を忍んで兄を頼り、新潟に帰るための引っ越しを手伝ってもらった。 兄は変わらない明るさで助けに来てくれた。二つ返事で東京までやってきて、荷造りを進め、車で新潟まで連れ出してくれた。


 世界は手厳しい。思うように生きられない。 でも頼れる人は確かに存在した。


 絶望を受け入れ、ボロボロの体で、私は世界に立ち向かう。 心の中でつぶやいた。


 ――もう一度……。

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