5-2 重度鬱
駅のホームで終電に押し込まれるのを待つ金曜日。 周りには酒に酔ったサラリーマン、群がるOLや大学生も混ざり合って酷い人口過密状態だった。ろくに風呂に入れていない私は、他人と距離が近いだけで羞恥心がちくちくと刺激された。 『都会でうまく生きれない人間』そんな評価を下されている気がして消えたくなった。
人はこんなにたくさんいるのに、私はどうしようもなく孤独を感じていた。呼吸が浅い。頭皮が熱い。 私は、この息苦しさを知っている。
――どん底だ。
明日は土曜日。会社は休みだが、私は休日出勤の予定だ。 もちろん日曜日も。そのまた月曜日も……。ここ一カ月ろくに帰れていなかった。
電車に飛び込みたくなる気持ちが湧いていた。それは衝動と呼べるほど強い引力ではない。微かな欲求だ。だが決して消えない欲求だった。
私が思うに、自殺願望というのは急加速しないものだと考えている。イメージとしては、大きくて重たい歯車だ。 死への渇望は音もないほど低速……かつ高トルクで回転し、ゆっくりと死へ誘う。脳を蝕んでいく。
若かりし頃は、死にたいと思っても方法がわからなかった。漠然とした願いとして苦痛からの解放を願い、思考に蟠っているだけで行動には移さなかった。 だが、私はもう大人だ。方法を知っている。様々なやり方で人生を終わらせることができる。次にやってくる電車に飛び込めば……最寄りの薬局で睡眠薬を買えば……マンションから飛び降りれば……。
私は、自分のことを我慢強い人間だと思っていた。それも尋常じゃないくらいに。 これまでの人生において耐え難きを耐え、ストレスで腸に穴が空いても泣き言を言わなかった。私の人生を別の誰かが体験したら、もっと早い段階で根を上げるだろうという確信があった。 だから会社が多少ブラックであろうとやっていける自信はあったのだ。
ならばなぜ、ゲーム会社で働くことが辛いのか――答えは簡単だ。希望がなくなったのだ。 実は私には、東京で就職したもう一つの目的があった。
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上京したのには理由があった。 それは、『仲間探し』である。
自分の過去を振り返り、他者と比べて特異な経験をしていることを自覚した私はずっと孤独だった。 専門学校の日々は確かに楽しかったが、同じ傷を持つ理解者はいないと感じていたのだ。
専門学校の授業で行った制作の一つに、既存の写真(ネットで拾えるもの)をコラージュして風景を作る授業があった。今ではフォトバッシュとか言うのだろうか。 私は都市や雑木林など、第一印象でピンときた画像をかき集め、夜の、誰もいない街をコラージュで作り上げた。レイヤーを複製して微かに横方向にブラーをかけて、現実と夢の境界を曖昧にした静謐な風景……。 作りたかったのは、「偶然による孤独」である。私のことが嫌いだからこの風景に誰もいないというわけではなく、夜という時間、雑木林や人気の無い路地など、たまたま誰もいないという偶然の孤独。私はそれが表現したかったのだ。
先生からの講評は『病的だね』だった。 本を読み、言葉を集め、表面上は人の輪に溶け込めるようになった。しかし、私の本質から理解し合える仲間は、未だ出会えていない。生きているふりをするのが上手いだけだ。
……話を戻す。
私は一度でいいから、心に抱えた傷すらも打ち明けられる存在と出会ってみたかった。
小学にはいなかった。中学にも、高校にもいない。新潟市でも見つけられなかった。学生の世界では狭すぎる。 だから東京に行こうと考えた。
社会に出れば、大人になれば、私を理解してくれる仲間と出会える……そんな希望を携えて上京した。だが、見つけられなかった(注:実は一人だけ、限りなく理解者たり得る可能性を持つ人物とは出会えることができていた。しかしお互い仕事が忙しく、ちゃんと話せる機会がなかった)。
それどころか残酷な答えを知ることになった。
社会に出て色々な土地からやってきた人間と出会った。 彼らは皆、誰一人として《《死にたいと思いながら生きてはいなかった》》。
ブラックな労働体制であるゲーム会社でも、家族が支えてくれていたり、楽しみにしている週末の予定のおかげで頑張れたり、育ち盛りの子供をスマートフォンの待ち受けにしたり、精神的な支援をしてくれる何かを持っている人ばかりだった。明日がやってくることを望み、そして生きることに疑いを持たない人しかいなかった。
私は絶望した。
「生きるとは辛いこと」――という前提のもとで私は生きている。死ぬ瞬間が訪れるのを待ちながら仕方なく生きている。もちろん今もそうだ。このエッセイを書いている現在の私も、その価値観に大きな変化はない。
だが周りの人間はどうやら違うらしい。「生きることは楽しい」という価値観を土台にしている。子供の頃に愛された経験を土台に、とても正しく健やかな精神を育んでいた。 それに気付いたとき、私は本当に驚いた。――生きてて楽しいだって? 冗談じゃない!
嘘であってくれと、本気で耳を疑った。みんな死にたいって思いながら人生に立ち向かっていると思っていた。
……根本から違ったのだ。社会に出て、大人になって、ついに答えを手に入れてしまった。
私だけだ。生きづらいのは私だけ。 家族の形を理解できないまま大人になったのは私だけ。 犯罪者の子供という汚名を浴びせられているのも私だけ。 愛した人が消息不明のまま待ちぼうけしているのも私だけ。
私は東京で一人だった。 いや、世界で一人だった。
生きているふりをして、社会に溶け込む努力ももう必要ない。 縁を失った。理解者と出会える可能性は限りなく低いという結論を得てしまったのだ。
つまり、困難の連続である人生という戦場を、共に戦ってくれる同志はいないということだ。それを知ってなお、頑張る理由が果たしてあるだろうか。毎日休みもなく働く理由があるだろうか。
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数日後、私は駅のホームから電車に向かって飛び込み、居合わせた大学生によって止められる。 放心状態で礼も言わずに逃げ去り、そのまま一人暮らしのアパートに引き籠るようになった。 人が怖くなった。平日が怖くなった。朝日が怖くなった。 メンタルヘルスクリニックで〈重度の鬱〉と診断された。




