第17話
プリーゼ村の出来事から二年が経ち、アオイは二十一歳になっていた。
この二年間、アオイは相も変わらず物作りに勤しみ、シブリィとクスィ、ラミィと戯れる日々を過ごしている。プリーゼ村を切っ掛けにして時々“外”へ出る事もあるが二度として同じ地を訪れる事はない。そうルメルシエ夫妻と約束していたからだ。
日々は平穏だった。少なくともアオイとその周囲は。
しかし、平穏とは努力なくして訪れる事はなければ維持される事も難しい。エーデルを初めレギオンシスターズやネルケはこの平穏を維持するために、アオイに隠れて裏で戦っていた。
最初は暗闘の類が主だった。アオイの脅威となりえる全ての勢力に謀略と策略を仕掛け、時には暗殺し強引に危険の芽を刈り取る事もした。
その最たる脅威が帝国だ。迫り来る帝国の圧力は連合にとって決して軽くはない。
帝国の、否、皇帝の目的はイングバルドの身を生きたまま確保する事。
最初は小さな恋心だったそれが、今では狂気的な盲信となって帝国軍を動かしていた。
本来なら一個人の感情で国を動かすなどあってはならない。帝国の進軍路と彼女達の間に挟まれた連合には災難としか言いようがなかった。
旧プリーゼ村を補給拠点とした帝国はこの二年間で一路東を目指して進軍した。連合も防衛陣地を構築し必死の抵抗を続けたが、それらを帝国軍航空戦闘艦隊の重砲撃爆撃に曝されて敗戦を続けた。これにより連合は南北に分断される事になる。
分断された連合北部は西と南に帝国の前線基地を構築されて、北に険しい大山脈とその奥には大砂漠が広がり、東に情勢が不安定な同盟から流れてくる難民と小競り合いの飛び火という危険性がある。どうしようもない四面楚歌の状況に陥った。
これを重く見た連合南部の上層部は、縦に伸びきった帝国軍の柔らかい腹部を急襲しこれを分断、最前線の帝国軍を孤立させて弱体化させる作戦を立案した。
一度の大規模作戦では戦力強大な帝国を退かせるには不可能。仮に成功しても数ヵ月後には奪還されて元通りになっていることもありえた。
だからこそ帝国軍の消耗を第一に考え、二度三度に渡る継続性と根気の必要な攻撃作戦だ。
しかし、結果は失敗。否、半分成功半分失敗といったところか。
帝国軍を消耗させることは成功した。だがそれ以上に連合戦力の消耗も大きかった。それでも連合南部は連合北部と合流を果たしたのは大きい。
連合は戦力を南部に集結し防衛陣地を構築する。
途中に何度も帝国軍が進攻してくるも、その時はなぜか帝国軍は兵器類の動作不動や軍内の機能不全が起こり、補給物資も遅れがちになるという多数の不具合が起こった。
これらの要因と時間的猶予により連合は当初計画したものよりもより強固な防衛陣地を構築する事ができた。しかし、これでも消極的防衛策の一環に過ぎない。
事態は逼迫している。連合は領土の半数以上を帝国に奪われた。物資や装備、人的資源の損失も計り知れないものがある。
対して帝国は国内に不穏分子を抱えているにも拘らず、帝国軍の進軍は衰えもせず淡々と軍を進めている。
そんな時だ。連合上層部はとある情報筋からエーテル精製施設のあるいくつかの補給拠点の詳細な情報を得られた。すぐさま情報の裏を取るために秘密裏に事実確認をした。そして得た情報は事実。連合軍上層部は緊急の攻撃作戦を立案した。
ヒュドラ作戦。目的は複数の補給拠点を小部隊による同時破壊工作する事。
補給拠点のエーテル精製施設を急襲、破壊したことでエーテル燃料の供給が一時的に滞ったため、帝国全体に経済的物理的大小様々な損害を与えるに至った。
駆逐艦級の航空戦闘艦一隻を稼働させるだけでもエーテル燃料を二百t余り消費する。これが戦艦級や空母級にもなれば消費するエーテルはその数倍から十数倍にもなる。魔導機械には必須であるエーテルの消費量が馬鹿にならない。ならないのだが……。
「どうしてこうなったのかしら……」
浮遊大陸計画のための仮本部を引き払い新築の本部を拠点にしていた。
建物の外観は真白な石造りの壁に赤い屋根、コの字型の大きな洋館だ。前庭は噴水を中心に植木や花壇が洋館と同様に左右対称となるように配置されている。
そんな真新しい建物の一室にてマグノリエとペルレがテーブルについていた。テーブルの上には湯気立つ紅茶の茶器とフルーツとカスタードクリームのタルトがある。
気品溢れる手付きでタルトを食すマグノリエを、同じく優雅ささえ香るように紅茶を手にするペルレが微笑みを乗せて見ていた。
どちらもメイド服さえ着ていなければ貴族のご令嬢のようだ。
「帝国に打撃は与えた。それなのに盲進するように進軍してくるとは、もはや驚きを通り越して呆れてしまいますわ。これでは連合北部を南部に押しやった意味がありませんわね」
「ええ、本当に。こうなると困りものですわね」
「まったくですわ」
マグノリエが頭を抱えるようにして呟いた。対面に座るペルレも苦笑しているも同様の心境だ。
連合の北部と大山脈を挟んだ大砂漠の間にある場所。そこに万を越えるレギオンシスターズが作業に従事する秘密の場所がある。
分断された連合北部が北上してくる事や帝国がこれに乗じて連合北部の制圧に動く事を懸念して策を巡らせたのに……やりすぎた。連合はこちらの思惑以上にいい働きをしてくれて、エーテル燃料の一時的欠乏状態にしてしまい帝国に思わぬ大打撃を与えるに至る。
それはいいのだが、帝国は更なる水資源の確保に迫られた。エーテル精製に必要不可欠な純水が戦闘で汚染されてしまい使い物にならない。浄化するにも新たに浄水施設を作る手間と時間が掛かりすぎる。
しかし、魔導機械技術で発展している帝国にはエーテル燃料は必須、エーテルを作るには純水が必須、即ち水資源の確保は帝国の急務であった。
そしてそこへ問題が急浮上する。二年前ならこちらの湖という水資源など歯牙にもかけなかったのだが、ここへ来てその重要性が上がった。小部隊のみだった調査隊も今では大体規模にまで増加していた。
尤も悪い事ばかりではない。そのお陰でやってくる帝国軍を所定の手順で撃退し帝国軍内部に仕込んだ工作員は二千体を越えるものとなった。今、帝国軍内ではこの地の森林周辺を“帰らずの森”または“迷いの森”と呼び恐れているらしい。
「ヒトとはすごいものですわね。追い詰められると実力以上の力を発揮するのですから。これがお二方の言われた“ヒトの可能性”というものなのかしら」
「そうですわね。情報だけと思って少々梃入れが過ぎたようですわ。数値上は問題なかったのですけれど、まさかここまでやられるとは思いもしませんでしたわ」
「この事は今後に逝かしてまいりましょう。学ばずにまた読み間違えて、陛下にご迷惑をお掛けするなどという愚はあってはなりませんわ」
「そうですけれど……うぅ、面倒な事になりましたわ。やっと第一浮遊大陸も完成して、残すは第二と第三が少しだけですのに」
最重要とされる原初の箱舟は微調整も終わらせて完成している。イングバルドとクロードの計画はもう最後の段階に入っていると聞く、これなら早くて来年にはアオイが半強制的に長い眠りにつく予定だ。
ただでさえお二方からアオイへは口止めされているのだ。何も知らないアオイが眠らされている間に何かあって守りきれませんでしたでは笑い話にもならない。
問題は増えて安堵は遠ざかる。レギオンシスターズのクイーンとして、また責任者として心労は増えるばかりだ。
「マグノリエ。逆に考えるのですわ。連合が去り、敵を帝国一本に絞れたと」
「なるほど!それでしたら納得……なんて言うと思いますの?流石にそれは楽観に過ぎますわよ。今も東からは難民が流れてきますし、魔物への対応も残っていますもの」
帝国と連合の戦場はそう遠くない。車で一週間ほど離れた場所だ。その他にも戦場は大小あるが挙げれば切りがない。双方の死傷者数は総計して数十万人にもなるはずだ。
ただ、なんら得るものがなかったわけではないのも事実だったりもする。
「あらあら。それはともかくとしてマグノリエの事ですもの、二年半も時間があったのですし連合にも仕込まれたのでしょう?幾つなのですか?」
あれは貴女の指示でしょ、と断定して言うペルレ。
情報を共有化しているとは言え、こういうやり取りは一種の娯楽のようで楽しいものだった。
だが、問われた本人はカチンと来るものがある。例え事実だったとしても。
「なんか引っ掛かる物言いですが……まあ、よろしいですわ。これまでの帝国の進撃時に亡くなられた方ばかりですが五百と七体の工作員を潜り込ませましたわ。高官も数人居りましたから帝国よりは情報操作も容易になりますわね」
この地へ調査に訪れた帝国兵にした“処理”とほぼ同じ事を殺された連合兵にも施した。
お陰で人間族を中心とした帝国側の知識だけでなく多種族多民族である連合の幅広い知識も得られた。これにより彼女達のような生まれたばかりの機械人形は経験としてヒトへの理解度を深められたはずだ。
「ふふ。ちゃっかりしてますわね」
「よく言いますわ。わたくしがやらなくとも貴女がおやりになったのではなくて?連合兵の遺体回収をすぐに行なえるように準備していたのは知っていますのよ?」
「うふふふ」
ジトッとした目で見やるがペルレは意味深に微笑むのみで答えるつもりはないようだ。
そうして少しの間、無言で牽制し合うもここはマグノリエが折れた。身内でやるにはこれ以上に不毛な行いはない。元より大して興味もない。
すっかり冷めてしまった紅茶を飲み、眉を顰めた。まずは紅茶を淹れ直してから、と話しを再開することにした。
「さて、もっと建設的なお話をするとしましょう」
「賛成ですわ。このままお喋りに華を咲かせるのも一興ですが、それは後にでもできますものね」
他人をからかう事が大好きなペルレ。前にアオイのベッドでゴニョゴニョしていたマグノリエは他のレギオンシスターズに密告されてヒドイ目に遭ったことがある。
時には身内すら笑いのネタにする彼女はある意味で最も恐れられていた。
「んんっ。では、現状確認から始めますわ。わたくし達の残る仕事は第一を終えた今、第二と第三の工事を僅かに残すのみ。総数十五万体余り増殖して出来うる限り急がせているからこれらは今年度中の完成が予定されていますわ。ペルレからは何かありまして?」
「私からは施設関連ですわね。第一から第三に建造した各施設群の稼働率は半分以下の低稼働を維持していますわ。本格的に稼働させるのは浮遊後ですが、生産プラントの生産率も問題なく安定していますわ」
詳細は省いておおよその部分だけの確認。それだけでもこの二体は十分に現状の把握が出来ていた。これは純粋に確認以外の意味はない。
この二年間で一気に加速した工事事情もいよいよ終わりが見えてきた。
他にも幾つもの計画が同時進行しており、統合されたのはアオイが十六歳の頃、約五年前の事だ。エーデルが責任者となっていたがレギオンシスターズが生まれてからはマグノリエに仕事は引き継がれていた。
「結構なことですわ。装備は全員に行き渡っているのですわね?物質資源の不足は?」
「いいえ。今のところはありませんわ。工事中に掘り起こした土砂類を物質変換して資源物質として貯蔵しておりましたもの。因みに貯蔵率は具体的な数値は後で確認していただくとして、大きな山二つ分ですわ。冗談ではなく言葉通りですのよ?」
「はい?まさかあの山脈そのものかしら?悪い冗談ですわ。あれらは将来的に使用されても今のところは浮遊大陸の景観の一つに……あら?」
物質を原子や電子単位で組み変える物質変換を行なえばあらゆる物質は生成可能となる。元となる物質があるならそれこそ無限に。
だが、それも元となる物があってこそ。浮遊大陸そのものを物質資源にするなど建物の地盤を解体するようなものだ。浮遊大陸が崩壊しかねないし、緊急を要するならともかく、それを前提にするなんて真似ができるはずもない。
そもそも記憶が正しければ資源物質の貯蔵なら、亜空間技術で内部拡張された倉庫が多数作られてあるはずだ。その中には工事の過程で掘り起こされた土砂類や岩石などを物質変換し物質資源のインゴットにして保管してある。
なるほど、あれらなら山二つ分くらいならあるかもしれない。しかし、でも、むむむ?
「うふふ。難しく考える必要はございませんわ。物資は沢山ある程度に認識していただければ問題はありませんもの」
「そう、ですわね。減るならまだしも増えているのですから喜ばしい事ですわ。増える……そう!これらの物資は全て我が君が世に覇を唱える時に使われるもの!いざという時に物資が足りませんでしたなんて恥かしくて言えませんわ!!」
「あらあら。淑女たる者がそんなにも声を荒げるなんて。アイゼンやリーリエ、イリスならわかりますが貴女までなんて、はしたないですわよ。さてと、話しは戻しますが今ある倉庫を基準としてですが貯蔵率は九割以上、これからも増やすとして倉庫の拡張も必要ですわね」
「あっさり無視!?我が君の歩む道が!……あ、こほんっ。ですが、それなら無補給でも暫くは安心して活動できますわ。おほほほ」
少しだけ自分の世界に入り込んでいたマグノリエが取り繕ったように笑って誤魔化した。
だが、ペルレがにやりと笑う。愛おしい姉妹を前に聖母のような笑みを顔に浮かべていた。
「今更取り繕われても無駄ではないかしら?うふふふっ、本当にマグノリエは可愛らしいですわ」
「わら、笑わないでくださいますこと!?我が君ならまだしも貴女に可愛いと言われても嬉しくもなんともありませんわ!」
背筋をぞわりと悪寒が走った。言葉では褒められているのに、なぜか身体が受け付けなかった。
今のペルレが浮かべる笑顔。前にもこんな事があったようなとマグノリエが思い出そうとして瞬間、思い出した。からかう相手を見つけた顔。イイ獲物を見つけた狐の目だ。
「うふふふ」
「ううっ?ま、また笑って、くぅぅ……!」
「ふふっ、本当に可愛らしい。陛下に倣うなら『愛でたい』かしら、ね?うふふふっ」
「……も、もうっいやぁぁぁっ、ですわー!」
当方に迎撃の用意あり!後ろへ向かって前進!
しかし、回り込まれた!残念!魔王からは逃げられない!
いやーっ!
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「ん?今マグノリエの悲鳴が聞こえたような……」
農業区画。そこは名前とは名ばかりの魔物の放牧区画だ。ここにはイングバルド達が保護した希少な魔物や良性の魔物が生活しており、アオイが召喚契約したシブリィ達も居る場所だ。
お昼過ぎ、アオイ達は食後の運動にと散歩に来ていた。
「はい?わたくしなら……ええ、わたくしならここに居りますわ。……ぅぅ」
「そう言えば、そうだよな。……んん?」
アオイの同行者はマグノリエとラミィだ。エーデルは所用で少し席を外しているがすぐに合流するらしい。
「……くすん」
「うーむ、ってなんで泣いてるのさ?なんか怖い事でもあった?」
「泣い、泣いてなど、おりませんわ。少し、ほんの少しだけあの姉妹が理不尽に思えただけですわ。しくしく」
まさか着せ替えであんな格好させるなんて……、なんて聞こえなかった。
それよりも姉妹が何さ?よくわからないが思いっきりへこんで泣いてるじゃないか。
もう、仕方のない娘だな。しくしく泣いてどうしたものかなんて考えない。泣いてるなら慰めるのが紳士たる者の務めだ。
え?紳士?今世の父と母から叩き込まれた。文字通り物理的な意味で。
「ほら」
「はいっ!?わわわ我が君、何を!」
「きゅ!?きゅきゅっ!」
優しく撫でる。マグノリエは髪をアップにしているから髪形を乱さないように頬の辺りを軽く撫でるようにするのがコツだ。
彼女のシットリした頬は触ってて、こっちも気持ちがいい。
「いいからいいから。ほーら、怖いことなんてないぞー。よしよーし」
「あわ、あわわっ!ぁんっ。み、耳は触らないでくださいまし。その、くすぐったいですわ。ぁ、ですから耳は、んんっ」
「きゅー!?きゅーきゅー!」
はっはっはっ。くすぐったいだって?なんだなんだ、一丁前に赤くなって恥かしいのか?見た目は立派な女性だけど生まれて十年も経ってない子供が生意気だぞー。
一歩後退するように身を引くマグノリエを逃がさないというように彼女のほっそりした腰へ腕を回して抱き寄せた。
アオイらしくない大胆さだが今の彼は愛でることで頭の中が一杯で判断力が一部を除いて極端に低下していた。
「んー、なんという肌触りだ。シットリしていて滑らか、髪もサラサラじゃないか」
「ゃ、わが、きみぃ、ぁぁっ!ですからぁ、そんなに耳、あんっ!耳を触ってはなりませんと、んんっ。コリコリしないでぇぇ……!」
「きゅぅぅぅ!?!?」
「むむむ。いつまでも触っていたい感触。これはまさに魔性の肌触りだな」
すまん。調子のった。こんな事しか思い付かなかったんだって。
それでも幼女は喜んでくれたんだ。姿は大人の女性とは言えマグノリエだって実年齢は変わらないんだから何とかなるんじゃね、と考えたわけですよ。子供ってスキンシップ大好きだしさ。
ならばっ!いや、だからこそ俺は触るんだ!とアオイは、無意識にマグノリエの弱点たる耳を中心に親愛を籠めて撫で続けた。
この男、ヒトとの接触が限定されているからいろいろと常識が狂い始めているらしい。
「あっ、だめ、だめ、そこはっ!我がきみぃ、わが、きみぃぃ!あ、あ、あっ!……ん、んん-っ!」
「きゅー!きゅー!?」
くてり。突然びくりと身体を硬直させると脱力してしまった。マグノリエは腰に回されたアオイの腕に身体を預けて息を荒くしている。
「うーむ。……あ?ちょっと、どうしたのさ?」
「はぁ、はぁ……ん、はぁ」
「マグノリエ?マグノリエさーん!?」
「きゅー……」
頬と言わず全身を赤く染め、呼吸を上気させたマグノリエがなにやらとても満足そうに微笑み身を任せていると、漸く異変に気がついたアオイが取り乱すように慌てていた。
鳴いて講義していたラミィがそれらを見て呆れたように首を振っていたがそれを気にする者は居なかった。
それから数分後、エーデルが彼らに合流したのだが、そこではなんとも言い難い空気が漂っており眉を顰める事になった。
「……それでこの妙な空気はなんなのでしょうか?なんと申しますか、とても不快です」
「不快って、別に何も……なあ、マグノリエ?」
「はい!?あっ、ええっ、そうですわね!何もありませんわ!あんな、あんなこと……ふふふ。――はっ!?いえっいえいえっ、本当に何もありませんわ、お姉様!」
わたわたと挙動不審なマグノリエを見て、なんでこの子はこんなにも不審なのかなー……なんて思ってしまった。
それでもエーデルははっきり見てしまった。挙動不審な中に幸せな笑みを。
「なんでしょう、この胸の内に沸々と湧き上がる黒くてドロドロとしたものは。前に感じたものと同じみたいですが……マグノリエにぶつければ詳しくわかるでしょうか?」
「ひぃぃっ!?お、おそ恐ろしいこと仰らないでくださいますこと!?そんな事になりましたら身体が幾つあっても足りませんわ!」
台詞の後半にボソッと呟かれた言葉に慌てて反論する。
ははは、大袈裟だなーとアオイが笑っていたが、マグノリエは本気で涙目になっていた。
「笑い事ではありませんわ!我が君はお姉様の非道さを知らな、っ――ヒィィッ!?」
アオイに向き合うマグノリエが突然の奇声を上げる。具体的にはアオイではなくその背後に居るエーデルを見て、だ。
そこには阿修羅が居た。ギラリと怪しい眼光と溢れ出る高純度のエネルギーが長い髪がゆらゆらと逆立ち揺れている姿は強烈な圧力となって圧し掛かってくる。
気がついていないアオイだけが、え?なに?とよくわかっていない。
「申し訳ありません、マスター。少々女同士の大事な話しがあるのでマグノリエをお借りしたいのですがよろしいでしょうか?」
ぎょっとしたマグノリエはエーデルには見えないようにボディランゲージで必死に拒否を表現しているが、アオイは首を傾げるばかりで今一伝わっていない。
「女同士の?そっか。それならラーちゃんと先に行ってるね」
「ありがとうございます。少しの間ご不便を強いる事になりますが、すぐに終わりますので」
「はっはっはっ。なぁに、そんなに急がなくても大丈夫だって。女同士でゆっくりお話ししておいで」
じゃあまたねー、と去っていくアオイの背にマグノリエが声にならない悲鳴と共に手を伸ばした。
そこへ迫る阿修羅が一つ。伸ばされる手をガッチリと掴んで止めた。マグノリエは流れ出る冷や汗を止められない。
「マグノリエ……」
「ひゃいっ!?すっ、すみませんお姉様。わたくしが悪かったです。ですから、お許しくださいまし」
「…………」
ぎろりと睨めば縮こまる事しかできない。腕を摑まれた所からギチギチと締め付ける音がする。か弱い子ウサギのように震えてしまう。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」
それ以上に酷かった。軽くトラウマが再発してしまったようだ。色白の肌は蒼白となり歯をカチカチ鳴らせて恐怖に震えてうわ言のように『ごめんなさい』と繰り返して呟いている。
これが数分間続くのだがその間はずっと怯える事になる。
「……二度はありません」
「は、はい!ありがとうございます!」
恐怖政治ここに極まれり。エーデルによるレギオンシスターズの調きょ……洗の……教育は順調のようだ。日々の戦闘訓練や座学という名の地獄の拷問的な何かは着実に効果を出していた。
▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽
エーデル達と別れたアオイとラミィは途中でグリフィンのシブリィとホワイトハウンドのクスィと合流していた。
「きゅ!きゅきゅー!」
「あははははっ。ラーちゃん、くすぐったいって」
「きゅるるー!」
「わおーん!」
「ちょっ、くははっ!シーちゃん、クーちゃんもやめっ。ははははっ!?」
一人と二頭と一匹が草原にてじゃれ合っていた。
くんくん。ぺろぺろ。わしゃわしゃ。皆がアオイに身を寄せてスキンシップが激しい。もみくちゃにされているはずなのに、童心に返ったアオイはとても楽しそうに笑っていた。
そこへお話しを終えたエーデルとマグノリエが追いついた。
「マスター。お待たせいたしました」
「くはははっ、お?おお、エーデルお話しはもう終わったの?」
「はい。全て滞りなく。マスターも十分に戯れましたでしょうか?」
「まあね。とても楽しかったよ。やっぱり時には童心に返るのもいいものだ」
「然様ですか。では、ご予定通りに工房へ参られますか?」
「え?ああ。そうだそうだ。久しぶりにシーちゃん達と遊んで忘れてた。ちょっと考えないといけない事もあったんだ」
シブリィとクスィにじゃあねと言い別れる。
一瞬だけアオイに同行したままのラミィを鋭い視線で睨みつけるが素直に去って行った。
「はて?我が君。考えないといけない事とはなんですの?」
「んむ?いや、天樹ユグドラシルの苗木も大きくなってきたし、そろそろどこかに植え替えようかなってさ。いつまでも植木鉢じゃ窮屈だろうしね」
マグノリエの疑問に苦笑しながら答えた。
今世に生まれてから殆ど外に出た事のないアオイだ。この世界では常識の赤と青の双子月すら碌に見た事がないアオイでは、どこにどういった土地があるのか判断できなかった。
そこへチャンスと言わんばかりにキラリと目を輝かせたエーデルが動き出す。
「マスター。どこへ植え替えるか候補地はあるのでしょうか?」
「いや、それがさっぱり。一時期は農業区画へって考えたんだけど、どうせなら地上がいいじゃない?そうなるととんと見当がつかなくてさ。いやー、参った」
「ふむ……。では、ユグドラシルの件は私に一任していただけませんか?場所について少々心当たりがあるのです」
この場に居るマグノリエだけがエーデルの挙げる候補地に思い当たった。
例の工事中の場所。通称をアスガルドと名付けられたその場所は、背後を山脈に囲まれていて中央に平原と湖があり、その周囲は森に囲まれた地だ。
アオイが眠るはずの来年度、もっと言えばアオイが眠った後にアスガルドへ天樹ユグドラシルを植えるつもりだったが、まさかこんなにも早く機会が巡ってくるとは。
エーデルも同様の考えらしく、今だけはマグノリエも黙って成り行きを見守っていた。
「それは嬉しいけど、そこってどこさ?エーデルの事を信用してないわけじゃないけど大丈夫なの?」
「はい。問題ありません。とある拠点なのですが、その地上部分は程よい日当たりと豊かな土壌なので環境は良好かと思われます。植え替えるならば最優良かと」
「ほほう。そんな場所があったんだ。じゃあこの件はエーデルに全部任せるから、必要なものがあったらなんでも使ってくれ」
「はい、マスター。全て私にお任せください」
アオイの信頼にエーデルが自信を持って応える。
だが、アオイだけが何も知らない。もっと言うならラミィやシブリィとクスィは少しばかり事情を把握している。将来的にはアオイの眠る原初の箱舟を守護する役目を担うのだから相応に情報は開示されているからだ。
召喚契約、それも専属契約を結んだ間柄の彼女達だ。極論してしまえばアオイの魔力さえあれば、永遠に全盛期の若いままの姿で無限に生きられる存在だ。力も相応に強く、潜在能力も高く今後の成長も見込める。ある意味で守護者にするには丁度よかった。
「そうです。丁度いいのでマグノリエも手を貸しなさい」
「ええ、我が君のためなら手は惜しみませんわ。諸々の用意はしておきますわね」
「よろしくお願いします」
アオイのためとならば否応はない。無条件に奉仕する事こそが自分達の役目である。
その筆頭がエーデルであり彼女はアオイの生存と安寧を第一に考えている。マグノリエ達レギオンシスターズもそれに準じているがために同様の行動方針を持つが、自由なる自我を持つエーデルと違い、マグノリエ達は若干ながら“アオイを愛せ”という条件付けがエーデルの手によって付与されている。
だからか、アオイに隠し事をすることを内心で罪悪感に苛まれていた。それでも彼女達はアオイを欺きつつも、アオイのためだけに動いている。
ごめんなさい、ごめんなさい。これも全ては貴方様の御為でありますれば。後で罰は幾らでもお受けします。ですから今だけは、どうか……。
アオイの生存と安寧、そして願いを叶える事こそが無上の喜びである。その行動方針から考えると今の状況は、最悪だ。吐き気がする。
だが、それでもやらないといけない。たとえ全ての事が終わった後に、アオイが眠りから覚めて怒りのままに破壊される事になろうとも、彼だけは守ってみせる。
それが皆の総意だった。
何も知らないアオイが安堵する。作り物のココロが締め付けられる。一切合財を白状してしまえばどれほど楽な事か。だが、できない。彼がそれを知るのは眠りから覚めた時だけ。この世界が変わった後だ。
ここに居るマグノリエを通して作業中のレギオンシスターズが手を止めて黙考する。
マグノリエの目を通してエーデルとアオイが談笑するところを見て幻想してしまう。
願わくば、遥か先の未来でもこの儚くも暖かい幸せが続きますように。
「とりあえず問題が一つ片付いて一安心できたな」
「そのお言葉ですとまだ問題があるのでしょうか?」
「問題って言うほどでもないけどね。皆の装備開発や改良とか細々としたのが幾つかあるんだ。物作りは楽しいからつい夢中になる。いやはや、嬉しいやら困るやら」
「どうかご自愛くださいませ。マスターに何かありましたら皆が心配致します」
「そうですわ。我が君はわたくし達の上に立つお方なのですからご無理はなさいませんようにお願いしますわ」
「あ、うん……」
ただし、こればかりは物申させてもらう。
好きな事をしているのだから、と貴方様は楽しそうに仰いますが、心配なのです。ですからどうかご自愛くださいますように、と願わずには居られない。貴方様が無理をすると皆が心配するのだとどうかわかってもらいたい。知ってもらいたい。
こればかりはやめろと命令されても無理だと断言できる。大切な人だから想わずにはいられないから。
「約束です、マスター」
「ご自身を大切になさいますように、どうか」
「えっと、その……うん」
私/わたくし達のマスター/我が君、いつまでも貴方様のお傍に。どうか、どうか。
第二章から三人称プラス一人称の形式で書いていくつもりでしたが少し前から実験的に取り入れています。
似たようなものをした事ありますが、本格的には初めてなのでまだまだ文章が安定していませんね。
作者的にはこちらのほうが書きやすいのですが、読者的にはどうなのですかね?
ではでは。
オマケ劇場。
アオイの工房に天樹ユグドラシルがある。
休憩時間やふとした時にアオイがこまめに手入れして大事にしていた。
それを見ていた忠実なる従者のエーデルは何を思うのか?
「…………」
「――――?」
「いえ、なぜか無性に貴女の葉を毟りたくなりまして」
「ー―――!?」
「そんなにイヤですか?ニ~三枚でもダメですか?」
「――――!!」
「ですが残念。貴女の言語はマスターにはわからない」
「ー―――!!」
「フフ、フフフ」
はたして天樹ユグドラシルの葉っぱ(髪は女の命的な何か)は無事なのか!?
次回へ続く!!
ちゃんちゃん。
続かないよ?




