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6. 喜べ、と命じられて

「第六計測会。以下、七日分」


 ユーリス様の声が、いつもより少し遅い。


「一日目、十四輪。二日目、十一輪。三日目、十輪。四日目、十二輪。五日目、九輪。六日目、八輪。七日目、七輪。週の平均、十・一輪」


 誰も、声を上げなかった。


「五日目、六日目、七日目。割れが三日、連なりました」


 ユーリス様が帳面から顔をお上げになる。


「第四十二日。灯環に、罅がひとつ入っております」


「……塞ぐには、どういたせばよろしいか」


「十二輪以上を、七日続けることでございます」


 シビュラ様が、机の上で指を組まれる。


「一日でも割れましたら、七日は最初から数え直しになります」


 窓の外で、鳥が鳴いた。それが、ひどく遠くに聞こえる。


 ギルベルト様だけが、まだ帳面を閉じていらっしゃらない。


「では、次を用意いたしましょう」


       ◇


 その七日、宮廷は本当によく働いてくださった。


 まず、七日連続の舞踏会である。


 国王ヴァルデマル二世陛下は、悪い方ではない。数字を信じていらっしゃるだけである。報告書の数が上がると、嬉しそうにお笑いになる。


「聖女よ。楽しめ。国を挙げて、そなたを楽しませる」


 一夜目は、まだよかった。二夜目に楽団が替わり、三夜目に菓子が替わる。


 その三夜目の昼には、竜の背に乗せていただいた。三日前から絵入りの図解が配られて、乗り方と降り方と、風で目を痛めぬ作法まで書いてある。空は青くて、王都が箱庭のように見えて、わたしはちゃんと「まあ」と言った。


 十二輪である。


 図解を配ってくださった官吏の方は、たいへん嬉しそうだった。あの方に罪はない。三日かけて絵を描き、わたしが困らないようにしてくださっただけである。


 四夜目には、どなたかが新しい踊りを覚えてきてくださる。五夜目には、わたしの好きな菓子が広間の隅に山になっていた。誰かが調べて、運んで、積み上げてくださったのだと思う。


 六日目の夜、わたしは広間の真ん中で、笑い方が分からなくなった。


 蜜蠟(みつろう)と香油の匂いが濃い。楽の音が明るい。みなさんがこちらを見ている。


 楽しまなければ。


 嬉しがらなければ。


 そう思うたびに、口のなかの水気が引いていく。頬の筋だけが動いて、その動きが自分の顔ではないみたいに思える。


       ◇


 最終夜が、0輪だった。


 そのあと、陛下が褒美をくださる。前の日から「明日は驚くぞ」と何度も仰っていた、その褒美である。


 金の冠だった。


 美しい。重い。


 わたしは礼を申し上げて、頭を下げて、それから――胸のあたりが、すう、と冷たくなるのを感じる。


 負二輪。


 三条だそうである。実際が予期に満たないとき、値は負になる。


 陛下は、わたしを喜ばせようとして、わたしの国を、二輪ぶん削られた。


 悪い人が、ひとりもいない。ひとりもいないのに、輪には罅が入っている。冠は、まだわたしの頭の上で光っている。


 冠を外して侍女の方へ押しつけると、わたしは階段を下りた。誰かが名を呼んだ気がする。呼ばれた気がしただけかもしれない。


 城門の脇の通用口を抜けると、外は雨あがりの夜である。


 わたしは、そこで走った。


       ◇


 灰通りは、雨あがりの匂いがする。


 炭と、湿った土と、どこかの家の煮汁。石畳の(くぼ)みに空が落ちていて、踏まないように跳んで歩く癖が、足にまだ残っていた。


 路地は狭い。両側の家が、肩をぶつけ合うみたいに立っている。


「セリ」


 路地の奥から声がした。


 鳩と、釘。九つと、十二。あだ名しか持っていない子どもたち。わたしも、ここではセリだった。


「なんか、でかい馬車で来た」


「乗ってない。走ってきた」


「うそだ」


 鳩がわたしの袖を引っぱって、絹だ、と言って手を離す。汚すのが怖かったらしい。わたしはその手を掴んで、引っぱり返す。


「腹減った」


「わたしも」


「聖女、腹減るの」


「減る」


 鳩が、心底ふしぎそうな顔をした。聖女というのは、この子のなかで腹の減らないものだったらしい。


 誰も、金の冠のことを聞かない。誰も、何輪だったのかを聞かない。


 シモン爺さんの屋台の炭が、赤い。


「三本」


「おまけだよ」


 四本になった。鳩に一本、釘に一本、爺さんに一本。わたしの手に残ったのが、最後の一本である。


 鳩が「多い」と言って、自分の一本を半分に折って、わたしの手へ押しつけてきた。


 串は熱い。塩辛い。誰も、わたしに喜べと言わなかった。


       ◇


 どん、と遠くで音がする。


 路地の入口に、猫背の影が立っていた。


 息が上がっている。この方が走るところを見るのは、二度目である。


「針、止まりました。計測不能です」


「……ごめんなさい。また」


「壊れておりません」


 ユーリス様は、外套の内側から帳面をお出しになる。


 それを、わたしの前で開かれた。


 最初の頁から、順に。


「原因、朝の湯。原因、寝台の敷布。原因、二回目の食事」


 頁が捲れていく。爺さんが手を止め、鳩が口を開けて、それを見ている。


「原因、厨房にて下働きより譲り受けた冷めたパンの端、半分。原因、先代聖女レジーナ様よりの手紙。原因、串焼き、一本。原因、欠けたる椀の麦湯。原因、侯爵令嬢の手袋の綻び」


 黒鉛の指が、最後の行で止まる。


「あなたが笑ったものは、全部、ここにあります」


       ◇


 わたしは、そこで泣いた。


 情けない声が出る。鳩がぎょっとして、釘が爺さんの後ろに隠れる。爺さんは、うろたえて串をもう一本焼き始める。


 鳩が、おそるおそるわたしの背中を叩く。叩き方が、ひどく下手である。


 どうして泣いているのか、自分でも分からない。嬉しいのとは、たぶん違う。


 数をつけられるのは、やっぱり怖い。この頁がいつか値札になるかもしれないと思うと、いまでも喉の奥が締まる。


 それでも、わたしが笑った日が、一日も落ちずにそこへ並んでいた。


 誰にも呼ばれなかった名前が、その全部の頁の上に、書いてある。


 路地の空が、だんだん濃くなっていく。細い空に、いちばん最初の星が出た。


 串の脂で汚れた手のまま、わたしはその頁に触れられずにいる。触れたら消えてしまう気がして、指だけを少し伸ばした。


       ◇


 観測日誌 第六計測会 継承より四十三日


 本日、計測不能。針、右柱に接触。日没前の刻みに、舞踏会最終夜0輪、および下賜の儀、負二輪を含む。負の刻みは、本任期において初出。左柱の焦げは、増えていない。


 原因、灰通りにて串四本を四人で分けたこと。分けた相手、三名。公示なし、供する意図なし。分けた後に、いちど値が伸び直している。六条に該当するか、次回までに確かめる。


 備考。灯環、罅ひとつ。本日の値、計測不能。以上。

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