第七話
俺は、昼間に立ち寄った崖にやって来る。
ゴブリンの集落に、巨人の身を隠す場所は無い。だから、離れるしかなかった。
耳を澄ませるが、戦闘の音は聞こえてこない。
俺は、逃げて良かったのだろうか。
グラジオースは、俺の評判を気にした。
俺が人族に剣を向ければ、反逆者と蔑まれる可能性がある。
俺はまだ、この国の貴族ではない。国籍すら持たない、とても立場の不安定な傭兵だ。そんな傭兵にとって、昨日今日で陣営が変わることなど、全く珍しい事ではない。
……だが、国民にとっては既に、俺はもう傭兵ではなく、『英雄ギガス』だ。もし今、襲撃者たちに剣を向ければ、国民は裏切られたという気持ちを抱き、俺を蔑むことになるだろう。
先輩に連れ出されたばかりの、あの頃の俺であれば、裏切者になろうと構わないと思った。……だが、今の俺はその決断をする勇気もない。事実、自由に飛び回る先輩とは違い、ここ最近はこの国を拠点として、受ける依頼も、立場上受けて問題ないか選んでいた。
集落の方角を見ると、赤く大きな炎が、夜空を焦がしていた。
……このまま、ゴブリンたちが人間の軍隊を追い返したとしたら? それはそれで、面倒なことになるだろう。
ゴブリンの制圧に送った、民間人主体の第一部隊が壊滅。続けて送った、第二部隊も壊滅とくれば、流石に上の連中も黙っていない。
ゴブリンに対する差別は酷い。報復として、徹底的な攻撃を仕掛けてくるかもしれない。
はっきり言って、少しでも本格的な軍隊が送り込まれれば、ゴブリンたちに勝ち目は無い。兵器の技術も、戦闘の技術も、差がありすぎる。
縁起でもないことを考えているなと気づいた俺は、考えることを一度やめようとした。
……だが、一つの考えがそれを阻止して、思考に歯止めが効かなくなる。
……やはり、俺を救助するために、こうして部隊が組まれたのだろうか?
……愚かな考えだ。英雄などともてはやされて、すっかり自惚れている。俺はそんな、大切にされるような存在じゃない。後ろ指をさされ、煙たがられるような存在だ。それが一番分かっているのは、自分じゃないか。
まだ一日しか経っていない。
つまり、部隊の編成や作戦など、一日未満の時間で整えられて、救助部隊が進軍してきたことになる。
……だが確かに、しっかりと訓練を受けた軍人たちが、それぞれの使い慣れた武器を持って、連携の取れた戦闘を行うのだとしたら。……ゴブリンなど、全くの脅威ではない。入念な準備など、全く必要ない。午前に計画を立てて、午後に実行をするということも、十分実現可能だ。
巨人族の俺が、適当に体を振り回すだけで、人間たちにとって脅威になる。
同じことが言える。ゴブリンは人間の腰ほどの体躯しかない小柄な種族で、技術や知能の発達も、圧倒的に遅い種族だ。
生まれた時点で、努力だけではどうしようもない、種族的な格差が存在する。……俺はその格差を存分に利用し、英雄になった。
はっきり言ってゴブリンでは、人間の軍隊に勝つことは不可能だ。
…………そうだ。きっと初めから、こうする予定だったのだろう。捨て駒の民間人主体の部隊を送り、油断させたところを本命の軍隊が襲撃する。
つまり俺は、この部隊が捨て駒であることを悟らせないための、象徴だったわけだ。俺ほど目立つ象徴も他にない。まさに適任というわけだ。
……そうでなければ……もし、この襲撃が俺の救助を目的としているという、自惚れた妄想が事実だとしたら。
……この襲撃は、俺が引き起こした事になる。
俺がさっさとこの集落を出ていれば、少なくとも今この瞬間、ゴブリンたちは襲撃を受けなかったことになる。
……俺は、逃げてはいけなかった。
剣を向けることはしなくても、せめて、事情の説明はするべきだ。
こちらからゴブリンの拠点に踏み入ろうとして、返り討ちにあったこと。
俺は身柄を拘束されていたのではなく、自分の意思で、『友人』として、ここに残っていたこと。
話を、しなければ。
俺は走り出そうと、一歩踏み込んだ。
「……トネリコ。どうした、そんなに慌てて」
グラジオースが立っていた。
「……どうなった?」
「落ち着け、大丈夫だ。全部終わった」
「勝ったのか?」
「……」
「……」
相変わらず、戦闘の音は聞こえない。……当然だ。人間の軍隊とゴブリンでは、戦闘と呼べるようなものにはならない。
「なあ、トネリコ。一つ、頼みがある」
「……なんだ」
「ゴブリンの風習にはな、『兄弟団子』というものがあるんだ。……伝統食の、恐ろしく苦い草団子を、同時に食べる。……苦みに耐えて飲み込むことで、共に困難を乗り越えてゆこうという、特に強い、特別な絆を結ぶ風習だ」
「そんな風習、聞いたことが無いぞ」
「……勉強不足だな。私たちにとっては、とても大事で、意味のある伝統だ。先ほどの、夕食時に行おうと思ったのだがな。思わぬ邪魔が入ってしまった」
グラジオースが、緑色の団子を一つ差し出す。
「本当に、大切な儀式なんだ。……頼む」
俺は草団子を受け取る。
俺とグラジオースは、同時にその草団子を口に運んだ。
……恐ろしく苦かった。ゴブリンサイズに合わせた、小さな団子だ。だが、味は強烈で、思わず吐き出したくなるほど苦かった。
草団子を、何とか飲み込む。
「……喉の痛みが酷い。いつまでも痛みが残っていて、不愉快だな」
「クククッ! この痛みに比べたら、どんな苦難も些細なものだろう?」
「……いや、お前たちに殺された時の方が、よっぽど痛くて苦しかった」
「そうか。それは光栄だな」
俺は溜息を吐いてから、集落の方へ向かって歩き出す。
俺の姿を見れば人間も、問答無用で襲ってくることは無いだろう。
…………グラジオースの様子から察するに、集落のゴブリンたちの生存は絶望的だ。
……だが、それならせめて、グラジオースだけでも……。
「トネリコ」
村に向かって歩き始めた俺を、グラジオースは呼び止めた。
「……私と、闘ってくれるか?」
「ああ。もちろんだ。最初からそう言ってくれればいいだろう」
俺は長剣に手を添えて、ゆっくりと引き抜く。これからの戦闘は、とても厳しいものになるだろう。
油断はできない。この世の常として、物事は、最悪の展開へと転がり落ちていくものだ。
敵は、魔銃を装備しているという想定をした方がいいだろう。
行動が早いという事は、動きやすい少数の部隊ではあるだろうが、それがこちらに有利に働くわけではない。こちらは、俺とグラジオースしかいないのだ。
魔銃は、俺の肌を傷つけるほどの威力がある。範囲も広く、避けることに専念したとしても、避けきれない。……考えれば考えるほど、素晴らしい武器だ。
加えて、今度はそんな素晴らしい武器を、しっかりと扱う訓練をした軍人たちが相手だ。しっかりとした連携で、弾幕の隙間なども無いだろう。
「私と、闘ってくれるんだな? ……その言葉を聞いて、安心したぞ」
「俺が断るように見えていたのか? 初めから、戦う意思は見せていたつもりだったが……」
「ふむ、そうだな。……なあトネリコ」
「なんだ?」
グラジオースが、ナイフを抜く。
俺の長剣に比べると、あまりに短くて、頼りない武器だ。
だが、武器だ。ちゃんとした、信頼できる武器だ。
「少し、話をしないか?」
いつもの調子で、グラジオースが呟いた。




