第六話
力さえあれば。
自分の理想を実現するための、力さえあれば。何度もそう思ってきた。
過去の俺と、もちろん状況は違う。だが、絶望し、自身に対する怒りに震えるグラジオースの姿が、どうしても、あの時の自分と重なってしまう。
俺はもう、諦めた身だ。だが、グラジオースはそうではない。もし、俺がグラジオースの力になれるのだとしたら。
例えば、俺は、これでも『英雄ギガス』などともてはやされている。あの提案を受け入れれば……。
もしこれで、グラジオースが俺を生かしたことに対する、恩返しができるのであれば……。
……だが、それはつまり、傭兵の立場を捨てるということだ。
なぜだかそのことを考えると、心が未練がましい気持ちに支配される。
傭兵の立場を捨てる。
俺はこの国で『英雄ギガス』として、貴族として、居場所を得る。
この国で、皆から必要とされ、崇められて……その代わり、自分の理想のために戦うことをやめる。
それはまさに、俺が最近不愉快に感じている、動きづらくて息苦しい、窮屈な生活だ。
……自分でも分かっている。「諦めた」などと口では言っているが、きっと諦めてなどいないのだろう。……と言うより、諦めることが怖いのだ。
……俺は今日まで、強さを求め続け、自分が強くなることが、それこそが自分の理想であると信じ続けてきた。
だから何よりも自分のために、ずっと戦ってきたのだ。
人生の大半をそれに捧げてきたというのに、それを諦めてしまったら、俺には何が残るというのだろうか。
強さを求めるための行動が、自分のためだけに戦うその身勝手が。ただ、それだけが、今の俺を構成しているのだ。
そのためにこれまで、様々なことをしてきたのだ。
……今さらやめたなどと、出来るはずがない。時間が経ちすぎた。
時間は、俺の熱意を冷ましてしまった。だから、本気で強さを求めていた、あの時の熱意はもう無い。
あの時は何も知らなかった。ただ、強くなることが俺の存在意義だという事だけを知っていた。
だが、今の俺は違う。
時間が経って、色々なことを知って、自分の現状が客観視できる。
強さしか見えていなかったあの頃とは違う。もっと視野が広がってきた。俺は強くなってどうする? そもそも、なぜそんなに強くなりたかったのか?
それを突き詰めると、いくら追い求めたところで、俺の思い描いた理想は曖昧で終わりがなく、叶うことは……納得することは無いのだろうと分かってきた。
俺は、自分の弱さを克服しようとしている。
だが、克服したとして、その先に得るものが無い。だから、終わりが無い。俺はいつまでも、満たされない気持ちで居続けるしかない。
……だが、ここで素直に、もう諦めたと自分に言い聞かせるにも、時間が経ち過ぎたのだ。
目標を諦めてしまったと、自分自身が気づいてしまわないように、思考停止で傭兵を続けている。
このままでは一生満たされない焦燥感が付きまとうが、窮屈な居場所に収まれば、俺は安定し、楽になれるという事を知っている。
それが今の俺だ。
『英雄ギガス』という、人々に認められ求められる、新しい居場所が、何の苦労もなく返事一つで貰える。
俺は提示されたその居場所をチラチラとよそ見しながら、理想の影を、見失わない程度に追いかけ続けている。
結局俺はまた、逃げているのだ。
ずっと信じて追い続けた理想を諦めるという決断から逃げて、どっちつかずの生活を送っている。
貴族の誘いを断り、また先輩の後ろをついて、一生不安定でも、自分の理想のために戦い続けるのか。
それとも、皆に必要とされる『英雄ギガス』として、窮屈で安定した居場所を得るのか。
全ては返事一つで決まるのに、返事一つで自分の人生が変わってしまうことが、恐ろしくてたまらない。
……なんて、こんな風にグダグダ考えることができる俺は、贅沢者なのだろう。
本来であれば、こんな風に悩むことなどできていないのだ。昨日の時点で俺は、この悩みから解放されていたのだ。
……俺は既に死んだ身であるというのが、答えなのかもしれないな。……グラジオースの奴が何を考えているのかは知らないが、今後グラジオースに、俺の人生をかけて返す恩があることは事実だ。この命は奴に握られていると言っても、過言ではない。奴に、その気が無いのだとしても。
ならば、俺のするべき決断は……。
そんなことを考えながら歩いていると、前方が一気に開ける。
……どうやら、これより先は崖のようだ。
崖の下を覗き込む。
下は木々に覆われており、地面が見えない。高さも相当ある。
……やはり、この景色は嫌いだ。
俺はそう思って、集落の方へ戻ろうとした。
「トネリコ。集落の奴らが、色々と世話になったようだな」
後ろから声がした。俺のことをトネリコと言う奴は、この世界に一人しかいない。
「手持ち無沙汰だったんだ。気にするな」
「クククッ。大人気だったぞ?」
「そりゃ嬉しいな。……それで、何の用だ? まだ夕飯には早いだろう」
「せっかくだから、お前も狩りについてこないかと思ってな」
「……悪かったよ。食い過ぎて」
「クククッ! 気にするな! 出したのはこちらだ。……と、言いたいところだがな、食料が足りないのもまた事実」
「もちろんついて行く。自分の飯ぐらい、自分で何とかするさ。おかげさまで、体調もだいぶ良くなった」
「よし、では準備をしてから行こうか。お前の長剣は、こっちで預かっているからな」
「それは助かるな。思い出の品なんだ」
俺はグラジオースについて行き、集落へ戻った。そして、狩りの準備を整えた。
*****
「大量だな」
「当然だ。獣を狩るくらい、よくやっている。傭兵をやっていると、食料は現地調達のことも多いからな」
「普段なら食い切れん量だ」
「だろうな。俺がここに住み着けば、すぐにこの山から獣が居なくなるだろう」
「ふむ、それは困るな。では新しい居住先は、獣が多い所にする必要があると言うことか」
「……」
グラジオースは笑った。
「さあ、食べようか。みんなお前に美味いもんを食って欲しいと、張り切っていたぞ。クククッ、凄まじく好かれているな」
「……そうなのか。俺は、そういう体質なのかもしれないな」
「羨ましいな」
グラジオースは盃を傾けた。中身はもちろん酒だ。
俺も、巨大な盃に入った酒を呷る。
「体の調子はどうだ? ……などと、聞くまでもないな。それだけ食って飲めれば万全だろう」
「おかげさまでな。明日にでも人里へ帰れそうだ」
「クククッ、それは寂しいな」
「これ以上、世話になるわけにはいかない。人里に戻ったら、ここに軍隊が来ないよう、進言しておくさ」
「一介の傭兵ごときでは無理だろうよ」
「俺は未来の貴族でもある」
「おっと。だったら、もっとご丁寧な『おもてなし』をした方が良かったか」
「悪くなかったぞ」
俺とグラジオースは笑った。
「……トネリコ。まだここに残る気は無いか?」
「ここでの暮らしも決して悪くはないがな。……ここは、俺の居場所ではないだろう」
「……どうすれば、ここがお前の居場所になる?」
「……さあな。本当は、どこでもいいのかもしれない。俺は、故郷から捨てられた、存在しない存在なんだ」
俺は一口、酒を飲んだ。
「クククッ、せっかくだ。世話をした礼の代わりに、その話を話してみろ。巨人族は人里でもめったに見ない種族だ。興味がある」
そう言って、グラジオースは一口酒を飲んだ。
「……そう言われては、断れないな」
「おかわりが要るだろう? 今すぐ新しい酒を持ってこさせる。存分に語り明かすといい」
そうして、俺は酒を飲みながら、過去を語った。グラジオースはそれを、黙って聞いていた。
俺は、巨人族の試練から逃げた。
巨人族は成人の儀式として、子供を崖から突き落とす。そして、集落のある山頂まで山を這い上がってくることができれば、名前が与えられて、一人前として認められる。
……だが、俺は山を登ることを諦めた。
儀式があること自体は知っていたし、そのために鍛えてもいた。だが、実際に崖を転げ落ち、上を見上げた瞬間、俺の心は完全に恐怖と絶望に支配されてしまったのだ。
山には危険な獣が多く、環境も厳しい。この身一つで登ることは、相当な勇気と実力が必要だった。
どちらも、俺には無かった。
諦めはしたが、だからと言って、山を離れることもできなかった。自然にできた洞窟の中で、身を小さくして、毎日を過ごした。
先輩と出会ったのは、その時だ。
先輩は飯を狩りに、山へ来ていた。だが、雨に降られて、雨宿りできる場所を探しており、俺のいた洞窟へと入ってきた。
先輩は一瞬で俺を気に入り、着いてこいと強引に、俺を洞窟から連れ出した。
言われるがまま先輩について回り、様々な国を飛び回り、傭兵の仕事を受けて、この図体のおかげもあって、すぐに話題となった。
人族と巨人族では、根本的な体のつくりが違う。俺が全力で戦うだけで、大抵の人間に勝つことができた。
臆病だった俺にとって、この経験は自信につながった。
気づけば今いる国で、『英雄ギガス』と呼ばれていた。
最近ではすっかりこの国を拠点に決めて、貴族や国の要人からの、窮屈な仕事をこなしてばかりいる。……昔のように、何も考えずに、自由に戦いに赴くことが、できなくなっていた。
「なるほどな。だからお前は自分のことを、『存在していない存在』などと、詩的な言い方をするわけか」
「別にいいだろ、感傷に浸っても。故郷を失ったことは事実だ」
「……故郷に戻る気は無いのか?」
「無いな。今であれば十分、故郷のある山頂まで登ることができるだろうが……今さら戻れるわけがない。あれからもう何年も経っている。どんな顔をして戻ればいいというのだ」
「そうか」
「ああ」
俺たちは静かに、酒を飲んだ。
気分が良かった。空は晴れていて、星が良く見えた。
誰かに自分の過去を話したのは、久しぶりだった。
「……なあ。グラジオース」
「どうした?」
「また、ここに来ても良いか?」
「構わないぞ。……今度こそは、客人としてであればな?」
「……ああ、もちろんだ」
俺とグラジオースは笑った。
「…………!」
その時、一人のゴブリンが、俺たちの所へと走ってきた。
何やら早口で叫んでいる。
その声を聞いて、グラジオースの顔が一瞬にして険しくなる。
「……トネリコ、お前は本当に愛されているんだな」
その言葉で、俺も察する。
「……そうか。愛されるというのも、意外と困るものだな」
「クククッ! 贅沢な悩みだな!」
「……それで、どうする? ここに万全な傭兵が一人いる。……少し酔ってはいるがな……」
「……同胞に剣を向けられるか?」
「『昨日の友は今日の敵』。傭兵にとって、珍しい事でもない」
「頼もしい返事だな。ならば……」
グラジオースが言葉を止める。
「……いや、そんなことはさせられないな。お前は逃げろ」
「だが……」
「雇ってもない傭兵が、勝手に手を出すのか? これは私たちの戦いだ」
「……分かった」
俺は集落から離れるように言われた。




