1.城壁の街
三日後の夕刻には、次の街に到着していた。
北の大地に広がる街、『イエラ』は活気に満ちていた。
数十年前の大戦の名残である城壁は物々しいが、それを観光名所にまで昇華した商魂逞しい人々がこの街を作り上げている。
大通りにはたくさんの店が建ち並び、行き交う人も多い。
食堂も酒場も宿屋も、競い合うように軒を並べている。
まだ秋の初めであるにもかかわらず、これから来る長い冬の気配があちこちに散見されるが、人々の溢れる熱気を見ていると、ここで生きる人達にとっては普遍的な光景の一部でしかないと分かる。
今夜は宿を取って、久しぶりにベッドで眠ることができる。
賑やかな通りを歩くイングヴァルの足も、自然と逸っていた。
『イングヴァル、お前が何を考えているか分かっている』
「へぇ、そりゃすごいな」
届いた声はいつもと変わりないようにも聞こえたが、その裏に隠し切れない棘がある。
それに敢えて気づかないふりをして、イングヴァルは通りの屋台に目を遣った。
『お前、女を買うつもりだろう』
続いた言葉は予想どおりのものでしかなかった。しかしイングヴァルは屋台で買い求めた塩味の強いパンを一口囓って、平然と言葉を返した。
「まぁ、否定はしない」
『お前は私に何度同じことを言わせるんだ? 貞操を頑なに守れとは言わない。だがそれは時と場合による。なのにお前は……』
「あのな、この身体、今は半分俺のだ。その半分の権利をごくたまに主張して、何が悪い? 街から街を渡り歩く繰り返しで、日々ヤリ散らかしてる訳でもない。それに心配するな、俺だって選り好みはしてる。病気持ちや不潔な奴、何より男とヤったりしない」
『それはお前がしたくないというだけだろう? いや、もういい……言っても無駄なことは分かっている。この件についてはもう、何も言うまい……』
その言葉を最後に、連の声は聞こえなくなった。
諦めたのか怒ったのか呆れたのか、恐らく全部だろう。でもどうであろうと、イングヴァルに当初の予定を変えるつもりはなかった。
賑やかな大通りを端まで行くと裏道に入り、赤みを帯びた照明が照らし出す一角を進む。
一段と陽が陰ったような通りには酒場や娼館が軒を連ね、昼日中でも妖しい雰囲気が漂う。
ここはこの街、イエラの裏の盛り場だった。
通りを埋め尽くすにおいは独特だが、どの街に行っても同じにおいがするとイングヴァルは思う。
「嬢ちゃん、職探しかい?」
路地を歩くと、周囲からからかいが飛ぶが構わず進む。
点在するガス灯の灯りは脆く、表通りとは闇の量が格段に違う。
男の姿なら問題なく歩き進める道だが、今では気を抜けば一気に闇に引き摺り込まれてしまう。
イングヴァルは通りの最奥にある大きな酒場に辿り着くと足を止め、その扉を押し開いた。
酒と煙草のにおいが混在する雑多な店内を横切り、カウンターの端に腰を据える。
興味と揶揄が混ざり合う視線が集まるが、イングヴァルはカウンター越しの店主を見上げると「酒」と、ひと言告げた。
「ほらよ、嬢ちゃん、飲んでひっくり返るなよ」
店主が笑いながら差し出した琥珀色の飲み物を、一気に呷る。
平然とグラスを戻すと、揶揄が消え去った店主の手が無言で追加の酒を注ぎ込んだ。
元の身体だった時、酒は強かった。
でもこの身体になっても、その特性に変化はなかった。
連の華奢な身体は、どんな強い酒でも許容する。
あの歳でこの酒の強さを思えば一体どんな環境で育ったのかその生い立ちに疑問もよぎるが、何事も一方の側面だけでは判断できない。
彼女の多くをまだ自分は知らない。
それを今後知れるかどうかはかなり未知数ではあるが、兎にも角にも全てが未確定なこの日々を送る中では、なるようにしかならないのは分かっていた。
三杯目の酒を満たしたグラスを手に周囲を見回すと、多くの男性客に紛れて女性客もちらほらいる。
どの女性も露出の多いドレスに身を包んでいる。
近くの娼館で働く女性達が休憩と称して、ささやかな一時を楽しんでいるようだったがそのことを知っていたからこそ、イングヴァルはこの店に立ち寄っていた。
見遣った四つ隣の席に、褪せた青色のドレスを纏った女性がいる。
豊かな胸と鮮やかな赤毛が目に入り、それを眺めているとドレスの褪せた色さえ映えるように見えてくる。
視線に気づいたのか、こちらを見た彼女が笑みを返してくる。
この姿になってからは以前のように立ち回ることができないのは分かっていたが、彼女とはいい展開が望めそうだった。
「ねぇ、お嬢ちゃん、あたしに一杯、奢ってくれる?」
既に酔っているのか、ふらふらと歩み寄った彼女が声をかけてくる。
イングヴァルはふらつく彼女の身体を片手で支えて「喜んで」と答えた。
「あんた、随分若く見えるけど、こんな所に一人で来れるなんて度胸あるのね」
「あちこち旅をしてたら、そんなことは一々気にしてられない」
「へぇー、旅の人かぁ。あたしはこの街から出たことがないんだー、きっと死ぬまでそれは変わらないよ」
青いドレスの女は、ケイシャと名乗った。
ケイシャは何度もグラスを呷りながら、連の着物をきれいだと言った。
イングヴァルはケイシャの髪に触れて、きれいな赤毛だと褒めた。
「なによ、もしかしてあたしを口説こうっての」
「そうかも」
「今は仕事中じゃないから、余程なことじゃないと特別な奉仕はしないよ」
「こっちは特別な奉仕をしたい。ここ、上の階は宿になってる」
「ふーん、随分積極的でもあるのね。でもあたしを満足させられなかったら、裸で蹴り出すよ」
「そうならない自信は、一応ある」
「へぇ、試してみようか? 試されたい? 連」
「試してみたらいいんじゃない? こっちはそう思ってるよ、ケイシャ」
そう言って髪に口づけると、ケイシャが蠱惑的に微笑む。
それを受け取って、イングヴァルも微かな笑みを浮かべた。




