5話
「なによこれ……」
雨をしのぐことすら忘れ、アカネ達は掲示板に見入っていた。
いつか来るであろう終わりが、こんなに唐突にやってくることが信じられなかったのだ。
「アカネ……どうするの?」
コヒーの口から、掠れた声が漏れる。
もう、一刻の猶予もなくなっていた。
「行かなきゃ……」
アカネはバッグの中にあった封筒を取り出す。
もう、迷っている時間はなかった。
「本当に?アオイには……話すの?」
「適当にぼかすよ、全部話したら密航しかねないしね。それより、コヒーは?」
答えが分かりきっている質問をしたことに自己嫌悪して、アカネは顔を歪めた。
それを見たコヒーは、雨で濡れた金髪の下で笑みを浮かべて、答える。
「もちろん、一緒に行くよ。それ以外にて出来ることもないしね」
「……ごめん」
自己嫌悪から逃げるための卑怯な謝罪の言葉をかき消さんと、コヒーの笑顔が一層輝いた。
「なんで?私はアカネの力になりたいだけだよ」
「アオイの入院費用まで出してくれたのに、ここまでしてくれるなんてさ、嬉しいけど、申し訳ないよ」
「いいのいいの。コヒーお姉さんに任せないっ!」
「お姉さんって……同い年じゃない」
孤児院出身のアカネ達に、正確な誕生日というものはなかった。孤児院に入った日を便宜的に誕生日としているだけだ。
「月の家に来たのは、私の方が早いって、先生言ってたもーん!私の方がお姉さんだよっ」
「そう言うなら、もっとお姉さんらしい振る舞いをすれば?コヒー」
ふと口から出た『お姉さんらしい振る舞い』と言う言葉に、アカネは刺されるような痛みを感じた。
——私は本当に、アオイの姉らしく振る舞えているのだろうか?これから自分がしようとしていることは、本当にアオイの姉として相応しい行いなのだろうか?
それらの疑問が生み出す痛みから目を背け、アカネはコヒーの目を見た。
吸い込まれてしまいそうな青い目の奥にある、怪しい光。
コヒーの持つミステリアスな雰囲気、陽気な顔の裏にある何かを感じさせるそれを見つめていたアカネの手を、コヒーは取った。
「私は、アカネの力になる為にここにいるんだよ。アカネに笑ってほしくて、ここに……」
アカネはその先の言葉を遮った。
コヒーの瞳から目を逸らし、声を絞り出す。
「ありがとう。でも……私は、自分だけが笑うなんてことは、したくないよ」
アカネのその声を聴いたコヒーの表情が、くしゃりと歪む。
それを見たアカネの胸に、擦れた思いが過った。
「……ごめん。忘れて」
それから逃げたいという一心で、咄嗟に訂正の言葉を投げた。
コヒーの瞳の怪しい光が一瞬揺らいで、いつもの形に戻った——ような、気がした。
いつもの青い瞳を細めながら、コヒーは呟いた。
「帰ろう。準備しなきゃ」
————
翌日、アカネ達は朝早くからアオイの病室に来ていた。
前日のうちに志願を済ませ、最後の準備に取り掛かっていた2人は、お互いに明日を最後のお見舞いにすることを決めていた。
遅れても、回数を増やしても、未練が残るような気がしていたからだ。
「……お姉ちゃん、どうしたの?」
アオイの不思議そうな声をできる限り無視して、病室の棚に色々なものを詰め込んだ。
食べ物、本、その他いろいろ。
少しでもアオイの役に立てそうで、ここに残しておけるものは、すべてここに置いて行くつもりだった。
「どこか、行くの?お姉ちゃん」
アオイが途切れ途切れに呟いた言葉が耳に届くたびに、胸の奥の何処かがちくりと痛んだ。
「仕事でしばらく帰れないの。置いてあるのは自由に使って良いからね」
「いつになったら、帰ってくる?」
「……年明け。年明けには、帰ってくるよ」
志願書に書かれていた日付を、咄嗟に出した。
年明け——あと4ヶ月。
その時間の重みに、アオイの表情が歪む。
アカネは咄嗟に笑顔を浮かべて、アオイの頬に触れた。
「帰ってきたら、どんなわがままも聞いてあげるよ。だから、良い子で待っててね」
どうにか誤魔化せたようだ。
アカネはアオイの額に軽くキスをした。
そのまま背を向けて、病室の外へと向かう。
「お姉ちゃん……い、行ってらっしゃい」
嘘をついているわけではない。
しかし、アオイの心配してくれる声が、どうにも痛かった。




