4話
「……ねぇ、ねぇってば!」
コヒーが突然、アカネに声をかけた。体を揺さぶり、アカネの意識を思考の海から引き上げる。
アカネは頭をぶんぶんと振り、頭に残ったネガティブな思考を払った。
「……あっ、ごめん」
「また考え事?義妹がかわいく見えるのは分かるけど、考えすぎるのも良くないよ。リラックスリラックス」
「……うん、そうだね」
アカネはコヒーの提案に賛同を示しながら、大きく伸びをした。湿っぽい空気を胸いっぱいに吸い込んで、お店のシャッターにもたれかかる。
「ねぇ、アカネは今、幸せ?」
雨空を恨めしそうに見上げるコヒーが、突然にそう呟いた。
アカネは金属のきしむ音と感触を背中で感じながら、雨音にかき消されてしまいそうなコヒーの言葉を聞く。
「どういうこと?」
雨音にかき消されないように、大きな声でそう訊き返す。コヒーはふぅ、と息を吐き、続けた。
「戦争してた時と今、どっちが良かったのかなって」
「そりゃ、今なんでしょう。ほかの人が言うには」
「他の人じゃなくて、アカネに聞いてるの」
「私は……どうだろう」
戦争の中で、たくさんの人が平和の尊さを説いた。
戦争は良くないことだ。自分はずっと戦争に反対していた。徴兵されたから来ただけだ、戦うことなんてしたくない。
陰で誰も殺していないことを自慢していた人だっていた。
平和というものがどういうものなのかは、戦争の中に生まれ、平和な世界など知らないアカネにはよくわかっていなかった。しかし、皆がそう言うのならそうなのだろうと思っていた。
しかし、実際はどうだろう。
過剰なまでに軍と戦争を敵視し、武器を、兵隊を無くせば平和だと、そんな価値観が横行する世界。
それが本当に、求められていた平和なのだろうか。幸せなのだろうか。
「わたしが思うに、誰も本当の平和を知らないんだと思うんだよね」
「知らないって、どういう事?」
「前の戦争も、始まったのはずっと前でしょう?だから、誰も知らないんだよ。昔の人が言葉だけでも残そうとしたものが、その解釈の違いでぐちゃぐちゃになってるの」
確かにそうかもしれないと、アカネは思った。
かつてアカネに平和の大切さを説いた人々全員、絶妙に平和という言葉の意味が違っていたような気がしたからだ。
「戦争に行ってなかった人とか、そんな人達のための平和を作ってるんだよ。『昔は良かった』って言えるようにね」
「そういうものかな……」
コヒーは靴の爪先でコンクリートの床を蹴っている。いつの間にか水たまりは2人の足元まで迫っていた。
「そういうものなんだよ、多分」
「それじゃあ、アオイや私達は、絶対に幸せになれないってこと?『昔』にいなかった私達は、平和な世界には必要ないってこと?」
——それでは、ただの自己満足ではないか。
そんな想いを込めたアカネの反論に、コヒーは唸った。
「まぁ、そうなるんだろうねぇ……。でも、それが許される訳ないよ。いつかは軌道修正されるはずだから、さ」
軌道修正、するはずだ。
東側陣営との境界線に接しているモリニアにとって、国境要塞の防衛は真っ先に取り組むべき問題である。それを無視して軍人や兵器をバッシングをすることなど、健全な社会ではない。
「ま、それをやるのは大人の仕事だよ。私達は今の鉄色の青春を謳歌しましょうや」
「……呆れた。投げっぱなしじゃない」
「まぁまぁ、考えすぎるのも良くないよってことで。そろそろ帰ろっか、雨止みそうもないし」
いつの間にか水溜りはずっと広がっていて、軍靴の靴紐に水が染み込んでいた。
重い靴を持ち上げ、濡れた靴下の感触に顔を顰めながら、アカネは脳内で宿舎への道を確認する。
大した距離ではない。今日の遊びの予定はキャンセルになってしまうが、アオイを入院させるので精一杯のアカネ達にとっては無理して体調を崩す方が問題だった。
それが分かっているから、コヒーも何も言わずに帰ることを提案してくれたのだろう。
「待って、アカネ。あれ……」
コヒーが路地の片隅にあった掲示板を指した。
目を凝らして確認してみると、そこには。
『モリニア政府、大幅な軍縮を決定。戦争の犠牲者たる少年兵を解放せよ!』
宿舎へのひとっ走りの為、身体をほぐそうとしていた時の事だった。




