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3話

「……もう降ってきた」

 いつの間にか鼠色に染まっていた空から、雨粒が落ちてきた。

 瞬く間に数を増やした雨粒から逃げるように、アカネ達は歩を早めた。行くあてがあった訳ではない。どこかに程よく雨を防いでくれて、時間を潰せそうな場所を探しながら、走る。


 程よい場所——閉まっているお店の軒先に辿り着いた頃には、2人の着ていた軍服は見事なまでに雨に濡れ、紺色をより濃く変えていた。

 周囲を軽く見渡してみる。路地の人通りは少ない。居心地が悪くなるようなことはないだろう。

「あの封筒の話……した?」

 コヒーが雨にかき消されてしまうのではないかと思うくらい小さな声でぽつりと呟いた。


「話してない」

 アカネは深い紺色の制服の裾を絞りながら答えた。落ちた雫が、コンクリートの床にしみを作る。

「どうしてさ、まだ行くことになった訳でもないのに」

「アオイに、心配かけたくないの。アオイなら、『わたしが行く』って、絶対言うと思うから」


 封筒の中身。

 まだモリニア軍に残っている少年兵全員に送られたそれは、国境要塞防衛作戦への志願票である。

 国民の反戦感情が高まっていることで、大っぴらに部隊を動かすことのできないモリニア軍は、いまだ軍に数多く残っている少年兵を開いた国境に当てようとしていたのだ。


 ほとんどの少年兵は、この申し出を快く受け取っていた。

 終戦から2年、政府が推し進めている廃軍令による軍縮。それにより真っ先に解雇されるのは確実に少年兵であることは誰の目にも明らかであり、そんな中で渡されたそれに縋るのは、ある種必然とも言えることだったのだろう。


 しかし、その中でもアカネ達が参加を渋っている理由。それは、アオイの存在だった。

 かつて、前線に送り出されそうな状態にあったアカネの為に、身代わりを買って出てくれたアオイ。

 もし仮に、アカネがそれに志願することを伝えれば、彼女は間違いなく無理をするだろうという予感。


 ほぼ2年間、ベッドの上から動けていないアオイに、その無茶ができるだけの体力など残されていないことは、誰の目から見ても明らかだった。

 ——それならば、少しでも長く、本当にどうしようもなくなるまでは、アオイの側にいてあげたい。

 アカネは、そう思っていた。だからこそ、志願票を提出するかどうかをぎりぎりまで保留にしているのだ。


 しかし、そんな思考の中で、ひとつ。

 アカネの心に巣食うものがあった。

 ——私は本当に、アオイの姉になれているのだろうか?

 アカネには、血の繋がった家族がいない。物心ついた時から孤児院にいて、そこに当然のようにアオイもいた。


 そのある種の関係性を姉妹と称された時、アカネの脳裏にある、ふわふわとしていた何かがカチッと音を立てて、ピッタリとハマったような気がした。

 ——そうか、私はアオイのお姉ちゃんなんだ。

 その時からずっと、アカネはアオイを守ってきた。


 アオイが孤児院の男の子にいじめられていた時も。

 孤児院が焼けて、その中にアオイが取り残されてしまった時も。

 様子のおかしい兵士に絡まれてしまった時も。

 いつでもアカネの後ろにはアオイがいて、それが力になっていたのだ。


 しかし、いつの間にか、その力は無くなっていた。ふと気づくと、アオイはアカネの後ろではなく、前に立っていた。

 アオイは自分の知らない場所で傷ついていて、それを知りながらも何もできない自分に、無性に腹が立った。


 ——姉としてしっかりしなければ、アオイに見捨てられてしまうのではないか?

 そう思ってしまう時もあった。

 そんな時に、この封筒が届いたのだ。

 ——これがあれば、アオイを守れる。自分にだって、守れる力があると、証明できる。


 ずっと、1人で待っているのは嫌だった。

 心中に渦巻く、愛情と劣等感。

 劣等感を解消することができれば、アオイに正面切って、『あなたは私が守る』と言える。

 使う時が来なければいい、使えばアオイを傷つけてしまうかもしれないと分かっていても、バッグの中の封筒を捨てられなかった理由が、そこにあった。


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