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八話 モブと勇者

「……なに、言ってんだよ。ラナさんが、帰ってこない? 勇者パーティーってなんだよ、なんのことだエリー!!」


 エリーはどこか乱暴に背中を向けた。これ以上見てたらこっちの心が壊れそうだったから。


「二日前に隣町に勇者パーティーが来てたんだ。ラナは、そこに拾われた。ガキのときからの夢だったから。勇者パーティーで活躍するって夢が……あったんだよ」


「はっ? 冗談だろ? じゃあ俺は……」


「……」


 捨てられたんだよ。という言葉は、エリーからは出てこなかった。突然走り出すイオリ。


「あっちょっ! どこに行くのよイオリ!!」


 彼は返事をしなかった。イオリは走った。隣町の場所は分かってる。そんなに遠くない。まだいるかも知れない。勇者だ。勇者を探せばまだラナに会える。


 ――隣町の入口で勇者がどこにいるのかと目の前の男女に問いかけた。重厚な白銀の鎧を身に着けた男は口角を上げて自分を親指で指さした。


「勇者ってのはこの俺様だ。ファンかぁ? 悪いが男にはサインを書かないたちでな」


「ラナさんッ……!」


 イオリは勇者の服を掴みながら名前を呼んだ。


「ラナ? だれだそりゃ」


 もう一人のフードを被った猫耳少女が勇者に説明する。


「あぁ……あれにゃよ。今朝入ってきた魔法使いのことだにゃ」


 勇者は楽しそうに口角を上げる。掴まれた腕を骨が軋むほどの力で掴み返され、イオリはそのまま無造作に胸元を蹴り抜かれた。


「――ガハッ!?」


 凄まじい衝撃とともにイオリの体は地面を何度もバウンドし、泥の中に転がった。大きく口を金魚のように開けても、潰れた肺が空気を一切受け付けない。


 自分の服についた汚れを落とす勇者。


「触んじゃねぇよきたねぇな。惚れた女がこの俺、ハルト様に奪われた。だから取り戻しに来たってわけか。しかしコイツ相当な雑魚だな。魔力を感じねぇ。スフィア、コイツのステータスは?」


 スフィアと呼ばれた猫耳少女はスキルを発動する。目を見開いて驚く。


「これは驚きにゃ……レベル一でカンスト。しかもステータスが最弱で固定されちゃってるにゃ……」


「ざっっっっこ!! そりゃ捨てられるだろ! よえーわコイツ、しかも女々しい。こんなモブより俺様を選ぶってもんだ」


 イオリは這いつくばりながら信じたくない気持ちでこう言った。


「返せ……! ラナさんを、返せっ」


「返せ? 人聞きが悪りぃな。あの女は自分から俺様を選んだ。つまり捨てられたんだよ。てめぇはな」


「ゴフッ!!」


 勇者ハルトによる無慈悲な追撃が、横たわるイオリの腹を容赦なく跳ね上げる。


 軽いゴミのように吹き飛ばされ、二度、三度と地面に激突した。視界がぐにゃりと歪み、顔中にへばりつく砂のざらつきと、口内に広がる鉄の味が、惨めな敗北を自覚させる。目尻から溢れ出た涙は、無慈悲に乾いた砂へと吸い込まれて消えた。


「モブはモブらしく背景に溶け込んでりゃいいんだよ。主人公は女神に選ばれたこの俺。じゃあなモブ。だれにも見向きされない人生を楽しめよ」


 勇者は背を向けて去っていく。猫耳の少女スフィアはその場に残り、倒れているイオリに近づいた。しゃがんでこう言葉を残した。


「さんざんな扱いだにゃ……ただ安心するといいにゃ。あの勇者バカは女神にゾッコンだからにゃ。ラナに手を出すことはないにゃ。そもそもあの勇者はラナを道具としてしかみてにゃいからな。万が一は私が守っといてやるにゃ」



 スフィアは背を向けた。心の中でつぶやく。


 ――世界は勇者の味方。一度パーティーに入ったら……逃げることは勇者、そして世界への裏切りになってしまうからにゃ。せめてもの情けにゃ。



 静けさの中、イオリはただ一人取り残された。女神、また女神。


「はっはは。あははははは」


 笑い声と表情は全く合わない。地面を何度も、皮が弾け飛ぶほどの力で殴りつけた。

痛覚などとっくに麻痺している。狂ったように土を抉り、爪が剥がれて溢れ出た鮮血に砂がドロドロとへばりつく。そんな痛み、どうでもよかった。


「モブ、モブモブモブ……! 前の世界からそうだ。俺は誰からも見向きされない。あいつの言った通りだ……!」


 地面に向かって、吠えるように叫んでいた。まるで目の前に仇がいるかのように。そして力の抜けた本音が漏れた。


「所詮はモブ。世界に選ばれたものがそこにいるのなら、そいつが何もかも持っていくのかよ」


 ――俺から奪うのか、何もかも。


「だったら世界を敵に回してでも奪い取ってやる。そんなシナリオを俺が書き換えてやるよ。ざまぁみろ世界はてめぇの思い通りにいかねぇんだぞってな。あのクソ女神から全部取り返してやる……!」


 少し太陽が傾いた頃。周囲の人々が物珍しそうな目でイオリを見ていた。虚ろな表情をしたイオリは突然立ち上がった。目に光はなく、ただ細身の剣を握り、森へと消えていく。




 ――エリーはイオリが飛び出した後、隣町の入口に来ていた。


「あいつは……いないか。変な気起こさなきゃいいけど……」


 だんだんと怖くなり、周囲を走って捜索し始めた。地面に残る小さな血痕。


「イオリ……のじゃないよね?」


 隣町をいくら探してもイオリの姿はない。だれも見ていないと言った。エリーは近くの森を探し始める。


「イオリー?」


 魔物に気づかれるかもしれないが、それでもいいと名前を呼んでいた。草木が彼女の服を傷つけ、血を出すが一向に気にする様子はない。



 ――グチャリ、と足元で嫌な感触がした。エリーが視線を落とした先にあったのは、無残に叩き斬られ、濁った目を剥いたゴブリンの生首だった。



「ひっ……!」


 あまりの生々しさと、その不自然に冷徹な断面に、エリーは恐怖のあまりその場に尻餅をついた。


「だれがこんな殺し方……まさかイオリ?」


 覚悟を決めて、ゴブリンの死体の方向へと歩き始めた。ゴブリンの死体がどんどん増えていく。もう十体は超えている。もうイオリとはぐれてから半日以上経つ。もし戦い続けているのなら……


 エリーはイオリが疲れ果てて魔物に殺されるかもしれないと、足を早めた。ゴブリンの数が異常に増えてくる。ゴブリンの声と、打撲音などが聞こえる。


 駆け出した。そして木の陰からイオリの姿を見つけた――が、エリーが本当に言葉を失ったのは、その先に広がる光景だった。

 そこは、地獄のようなゴブリンの住処だった。


 積み上がった緑色の死体の山。その頂に、虚ろな目を血に染めたイオリが立ち尽くしていた。右手に握られた細身の剣からは、赤黒い液体が絶え間なく滴り落ちている。


 彼の肉体は完全に損壊していた。無数の深い切り傷、赤紫に腫れ上がった青痣。骨の数箇所がへし折れているのは素人目にも明らかなのに、彼はそのボロボロの足で、死体を冷酷に踏みつけている。



 エリーは今すぐ駆け寄りたかった。けれど――今のイオリから放たれるおぞましいまでの殺気に、本能が警鐘を鳴らし、一歩も動くことができなかった。

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