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六話 一線

 ――次の日。ラナの治療もあり、イオリは完全回復。今度こそ活躍してやると息巻いていた。ラナはいつもの狩場へと向かう道中で、クスッと笑みをこぼす。


「息巻くのはいいですけど、無理はしないでくださいね」


「うっ……頑張るよ……」


 二人は再び森の中へ。耳を澄ませながら気配を探す。ピクッ、とイオリの耳がかすかな物音を捉えた。十メートル先の茂みの向こう。何かがいる。音を立てないように近づいていくイオリ。


「一体か……」


 小声で呟きながらその細身の剣を鞘から抜き出した。重く冷たい剣は迷いのある金属音を小さく鳴らす。視線をラナへと向ける。ラナはこくりと頷くと魔法を放つ――炎が突如として現れ、ゴブリンの棍棒を持つ手が赤く輝く。


「ギェッ!!」


 ゴブリンは熱さで反射的に棍棒を手放した。その隙を見逃さなかった。


 ――バッ! とイオリが茂みから勢いよく飛び出す。怯えた表情をするゴブリンに、一瞬の戸惑いが見えるイオリ。それでも剣を振り下ろした。


「だぁぁああ!!」


 細身の剣はゴブリンの僧帽筋を数センチ斬り込んだところで止まった。


「なっ」


 イオリのイメージでは一刀両断だったのだが、所詮は素人。ブレブレの剣筋ではこの程度が関の山。キュパッという音を立ててゴブリンは刃から抜けるように屈んだ。そしてイオリのみぞおちへ、容赦ない拳がめり込んだ。


 内臓に直接響くような凄まじい衝撃。肺の空気が強制的にすべて引きずり出され、視界が一瞬で真っ白に染まる。



「かはっ……!」


 剣をその場に落とし、膝をついた。次の瞬間、ゴンッ! と間髪入れずに頬を拳で殴られる。クラッ……と意識が飛びそうになる。無意識に足元の剣を再び握った。


 ――やらなきゃ殺される。



 息を満足に吸えないまま、イオリはその剣をゴブリンへと突き刺した。また数センチ。腹部から血を流すゴブリンもまた、棍棒を握ろうとした。だがその瞬間再び炎が舞う。


「させませんよ」


 ラナはさらに炎魔法を発動し、ゴブリンの体を焼いていく。


「ギャァァァアア! グギャ!!」


 ゴブリンは戦意を喪失し、背中を向ける。ラナは不敵な笑みを浮かべた。


「さぁイオリさん! トドメです!」


 イオリは立ち上がり、這いつくばるゴブリンの背中に剣を突き刺した。ゴブリンは断末魔を上げてそのまま命を終えた。


「倒した……俺が、倒せた」


 アドレナリンのせいで手がガタガタと震える。そこへ、後ろからラナがぎゅっと抱きついてきた。背中に伝わる柔らかな体温と感触に、イオリの全神経がそちらへ強烈に引っ張られる。


「やりましたねイオリさんっ! イオリさんが倒したんですよっ! これで”私と一緒”にパーティーにいられますねっ!」


「ラッ……ラナさんっ! 胸っ」


「ひゃっ! ごめんなさいっ」


 反射的にイオリから離れるラナ。高鳴る胸を抑え、顔を赤らめていた。弱々しい声でイオリに言った。


「でも、本当にすごいですよ。やりましたね」


「だなっ! ありがとうラナさんっ!」


「いえ……そんな」


 ぽっと頬をさらに赤く染めた。その日の討伐はそれで終わりとなった。



 ――イオリは酒場でビールをのみながら満面の笑み。


「はっはっは! どうだエリー! 俺だってやれた!」


「はぁ? ラナにトドメを譲ってもらっただけじゃない」


 話を聞いたエリーは呆れた様子でそう吐き捨てる。イオリは唇を尖らせながらこう返した。


「少しは労ってくれてもいいんじゃ?」


「事実でしょ。まぁパーティーなんだから悪いわけじゃないけどさ」


 イオリは天井を見上げた。


「分かってるよ。すごく助けてもらったことくらい。でも気分がいいんだ。怖かった。生き物を殺すって、一線を超えることなんだなって、マジで思ったよ」


「……あんたがそれを分かってるならいいけどさ。ま、頑張れば? 最弱」


「おまっ……かわいくねぇー」


「はいはい。私はラナみたいに可愛くありませんよって。外見も中身もさ。自分に魅力がないことくらいわかってるっての」


「なにいってんの? ラナに負けないくらいかわいいじゃん」


 酒によって漏れた本音。普段ならそんな言葉さらっと出るわけがない。エリーは目を丸くして、金魚のようにぱくぱくと口を動かす。急速に跳ね上がる心音。顔から火が出そうなほどの熱が、一気に耳たぶまで駆け上がっていくのが自分でも分かった。


 パァンッとイオリの頬を叩いて逃げ去った。


「うっさい!! 変なこと言うな! 変態!」


「いてぇ! アルコールが全部吹っ飛んだわ!! って、あっ――おいどこいくんだよ!」


 エリーは酒場から飛び出し、併設されたトイレへと直行する。個室に入って膝に手を付けて俯いた。


「なん……なんだよアイツ……かわいいなんて、初めて言われた。やりすぎたかな……」


 ぶんぶんと顔を振った。


「いやっ! あいつが悪い! もっとぶん殴れば良かった……!」


 ……彼女は少しほとぼりが冷めるまで個室にこもっていた。





 ――その日の深夜。二つのベッドにそれぞれイオリとラナが腰掛ける。ラナが自分のベッドに潜り込みながらイオリを眺める。


「イオリさん……大丈夫ですか?」


「ん? なにが?」


 窓から空を眺めるイオリはそう答えた。


「えっと……今日のこと。怖くありませんでした? もしイオリさんが良いのなら、戦わずにこの家で待ってくれる。それだけでもいいんですよ?」


「怖くなかったって言えば嘘になるけど……でもラナさんがいたから大丈夫。それに、ずっとお世話になるわけには……いかないよ」


 ラナが背中を向けた。その目はどこか虚ろだった。


「そう、ですか。今日のイオリさん、かっこよかったですよ」


「あ、ありがとう」


 イオリは照れながら、ろうそくを消して布団に横たわった。



 ――数時間後、ラナは目を覚ます。ゆっくりと足音を立てずに部屋から姿を消した。杖を持って街の外へと繰り出す。


「私が……守ってあげますからね。イオリさん」


 朝日が差し込んできた頃、彼女は血まみれになりながらギルドで討伐報告をする。ラナは聞き覚えのある声に振り向いた。


「あっ、エリーさん。珍しいですね。この時間に起きてるの。日が昇ってしまいますよ?」


「……分かってるわよ。にしてもあんた、一人でゴブリン討伐してお金稼ぎ? 足手まといがいるから?」


「イオリさんは足手まといなんかじゃないですよっ。今はまだ慣れてないだけです」


「あっそ。随分お気に入りみたいじゃん。そんだけ過保護にして、バカじゃないの。そんなことしたら……イオリはもうあんたなしじゃ生きられない」


「なにかだめなんですか?」


 にこりと笑うラナの瞳から、すっと光が消え失せていた。


 ――ゾクッ、とエリーの背筋に冷たい戦慄が走る。目の前の幼馴染が浮かべている笑顔の、底知れない異常性と危険性を、彼女の直感がはっきりと捉えていた。


「じゃあ、お先に失礼しますね」


 ラナはいつもの可憐な笑みに戻ると、エリーの横をすっとすれ違い、ギルドを後にした。残されたエリーは、ぽつんと佇んだまま頭を押さえる。


「はぁ……ま、私がどうこう言えるもんじゃないんだけどさ」

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