四十六話 剣聖
震える手で地面に手を付ける。微かに残った杖の破片を間に挟み込んだ。小さく息を吸った。どうか私の愛した人たちが守られますように。
「エイル――レーヴェン」
魔王城のすべてが氷に包まれた。まるで氷河の一角に閉じ込められたかのような大魔法だった。魔王ですら氷山の中に閉じ込められる中、ラナは地面に倒れ、目を開けたまま意識を失っている。鼻からは、ツー……と血が流れていた。
エリーは下唇を噛んだ。
「文句を言うのは……後にしてあげる」
――静かな世界へ入り込んだエリーは、ラナが残した氷を余すことなく使った。だが、パキッ、と音がする。魔王が氷を内側から砕き、力ずくで抜け出したのだ。
エリーは囁く。フルール・ド・シエル、最終段階の名を――ソワレ・ノワール。
「なんだ……これは」
ドクンッ……と魔王の七つの心臓が激しく脈打つ。
――すべての花は、その彩りを失う。黒く染まり、死へと誘う花と姿を変える。
「黒の……花」
魔王は直感する。
――命が終わる。
判断は早かった。魔王は自らの身体へ腕を突っ込み、鼓動を止めていく七つの心臓から、たった一つを選び出した。六つの命を犠牲に、その一つへコアを移植したのだ。ドクッドクッ、と残された心臓だけが、生命を終えることなく、なおも脈打っていた。
「くはっ……はぁ、はぁ……なんというやつらだ」
冷や汗をかいたまま、膝をつき、大規模な自身の改変に息を切らす魔王。
「これが最後の演目というわけだ。イオリ・サトウ。我が名は魔王ヴァール。貴様の命を貰い受ける……!」
「あぁ……その最後の心臓――止めてやるよ」
エリーは、霞む視界の中でその戦いを見ていた。互いの剣は速さを増し、さらに高みへと研ぎ澄まされていく。魔王の腕は限界を超え、筋肉が断裂した。血が吹き出すほどの死闘に、大地が揺れ、天が轟く。
エリーは震える息を押し込み、掠れた声を絞り出した。
「イオ……リ……あんたが、勝つまで……絶対、花は散らせないから……信じてるよ――私の英雄」
魔王は常に自分の残った心臓を守るように、太刀筋を変えていく。
死闘の最中、イオリの目には互いの限界がはっきりと映っていた。全身が悲鳴を上げ、剣のヒビが広がっていく。魔王の身体もまた崩壊しかけている。それでも魔王は、口角を上げた。
――最後の一閃。魔剣がイオリの腹部を貫いた。互いの身体は、もう動かない。
イオリの口から吹き出した血が魔剣を伝い、ポタポタと地面へ滴り落ちる。そのたびに、黒い花が少しずつ散っていく。
――パキッ。
いつ崩れてもおかしくないイオリの剣は、魔王の残した最後の心臓を貫いていた。イオリは息を切らしながら、口角を上げる。
――攻撃したい箇所に目線が移る癖。そして、隙ができたら防御を捨てて、剣で攻撃する癖があるのにゃ。
魔王は口から血を流し、目を伏せた。
「――よもや人の身でこの高みへと来るか。女神の加護すら持たぬお前が」
攻撃を食らうこと前提で、魔王を超える究極の一閃。
散りゆく黒い花は、なおもイオリの足元で小さく咲いている。イオリは虚ろな目をしたまま、その花を見つめながら呟いた。
「いい女だろ」
魔王はその視線を”聖女”へ向ける。未だに花は散らず。魔王ヴァールはその鋭い牙を見せるように口角を上げた。
「あぁ。さらばだ”剣聖”よ。お前達の――勝利だ」
魔王は朽ちていく。イオリの腹部に刺さった魔剣が抜けた瞬間、傷口から大量の血が噴き出した。
「がはっ!」
血が地面へと吹き出る。イオリは剣を支えに歩き出そうとしたが、剣はついに粉々に砕けてしまった。支えを失って倒れたイオリは、それでも地面を這い、エリーの元へ向かう。
その姿を見たエリーは、絶対に気を失わないと誓った。自分もまた、身体をほんの少しずつ動かし、地面を這ってイオリへ近づいていく。
「イオ……リ、やったね」
「お前に託された夢、叶えられたよ」
「バカッ……そんなこと言ってる場合?」
「死にかけるなんざ、よくある……こと……」
イオリが意識を失う。倒れたイオリの上で、エリーは抱きしめるように傷口に覆いかぶさった。
「フルール・ド・シエル……お願い、私の愛した人を死なせないで」
微かな魔力がイオリの死を少しだけ遠ざけていく。
「死ぬことなど許さぬよ」
遠く、遠く離れた地で、頬杖をつきながら――リリスはそう呟いた。ほんの少し、ほんの少しだけの魔力の提供。
「まぁ、怒られるじゃろうなぁ。女神の有耶無耶でなんとかなればよいが」
エリーは気を失った。それでも、白い花はイオリを包んでいた。
――数十分後、馬車が止まる。
「兄ちゃん達、大丈夫か?!」
飛び込んできたのは、あの日、スカルドラゴンを倒したイオリたちを東の地へ運んでくれた商人のおっちゃんだった。魔王城へ急いで駆けつけた彼は、戦いが終わったことだけを確認し、勝者も分からないままここへ来たのだ。
商人は貴重なポーションを惜しげもなく使い、まずイオリの傷を塞いだ。それでも命の危険は残っている。イオリ、エリー、スフィア、ラナ、そして女剣士のアレリアを馬車へ乗せると、近くの国へ向けて走り出した。
「待ってろよ……! すぐに近くの国まで運んでやるからな……!」
馬たちはすでに疲弊していた。勇者達が急ぎ足で魔王城へ向かったと聞き、イオリ達が商人に計画を早めてもらった時から、走り続けていたのだ。
勇者達が無意味に死ぬことを良しとしなかったイオリ達は、急いでいる途中で商人のおっちゃんに再会し、馬車を貸してくれるよう頼み込んでいた。フルール・ド・シエルも使い、やっとのことで魔王城へ着いたというのに、馬たちはまた走らされている。
それでも走り続けるのは、商人がこの馬たちを大事に育てていたからだ。主人の焦りを感じ取っていたからだ。
――馬車が止まったのは小国。特産もない石レンガの小さな街の中へ飛び込んだ。
「どけどけぇ! 英雄の命がかかってる!!」
即座に病院へと運び込んだ。応急処置もあり、命はとりとめた。全身の骨が砕けたアレリアも命をなんとか繋ぎ止めていた。ラナ、アレリアを含むイオリ達は未だ目を覚さない。
一方、勇者と、そのパーティーはその国で治療を受け、次の日には回復していた。けれど、勇者の顔色は悪かった。あれから女神様の言葉がないからだ。イオリ達があの魔王を倒したという事実だって周囲に伝わっていた。女神なし、勇者という肩書の力なしでは、自分がどうすればいいのか分からなかった。




