四十五話 守られる側
――魔王の腕が一瞬にして切り刻まれる。ラナを押し潰していた圧迫感が突如として消え、重力さえ失った身体が浮かび上がった。
下唇を噛み、泣き叫ぶのを耐えていたラナの身体を、誰かの腕が抱きかかえる。
「イオリ……さんっ」
「遅くなった。もう大丈夫だから。ラナさん」
地面に着地したイオリへ、魔王の拳が追い打ちをかける。だが、拳が砕いたのは何もない地面だけだった。いつの間にか運ばれたラナは、呆気に取られたままイオリを見上げていた。
震えの残る身体で、ようやく理解する。もう自分は、誰かを守る側ではない。今は、守られる側なのだ。
ラナが気づいたときには、勇者を含む全員が魔王城の入口へ移動していた。ラナを抱えたイオリが最後に着地し、全員を運び終えたスフィアは、もう限界という顔で地面に両手をつき、息を切らしている。
「にゃっ……にゃぁ……多すぎにゃ!! なんでこんないるにゃ?! 私がいなくなってから増えすぎにゃろ!!」
相変わらず緊張感のない姿に、ラナはくすりと笑ってしまった。イオリはゆっくりとラナを下ろす。目の前に立つその背中は、あまりにもたくましかった。
「かっこいい」
ぎゅっ……と胸を押さえる。
――白い花が咲き誇る。ラナを通り過ぎていくエリー。魔王はその三人を見下ろしていた。
「そうか、貴様らだな。我が部下を殺したのは」
「そうだ。俺達が殺した」
イオリは剣を魔王へ向けた。エリーの夢を叶えるための、最後の戦いが始まる。
魔王がパチンッ……と指を鳴らす。イオリを取り囲む無数の魔法陣から、魔力の塊が巨大な王の腕となって伸びた。正面から迫る腕が、彼を握りつぶそうとする。
イオリは地面を破壊するように踏み込み、頬をかすめた腕を紙一重でかわした。そのまま追いすがる腕を捌き、周囲の魔法陣を斬りつけていく。それでも、斬ったそばから新たな魔法陣が展開された。
スフィアも王の腕を避けながら焦っていた。イオリのように感覚だけでかわすことはできない。捕まれば戦闘不能になる以上、速度で翻弄するしかなかった。
「にゃっにゃっ……! 息を整える時間もねーにゃ?!」
柱を蹴って天井へ飛び、そこから床へ落ちる。初速を最大まで高める姿勢を何度も繰り返し、縦横無尽に飛び回りながら魔王へスキルを使う。魔法陣が回転するたび、スフィアは「ニャニャッ!」と叫んだ。
「やっべーにゃイオリ! こいつ……見えないにゃ!」
「何が?!」
「プロテクトかけてるにゃよ!! 弱点を探すのに時間かかるにゃ!!」
「分かった、ならそれまで死ぬな!」
「雑っ! 雑ニャ!!」
スフィアはスッと息を吸い、柱の上でピタッ……と二秒だけ止まった。
――それでも必要とされている。勇者とは違う、飼い主の期待。だったら――全力にゃ。
王の腕が四方から迫る。スフィアは身を縮め、溜め込んだ速度を一気に解き放った。次の瞬間、彼女の姿はその空間から消えていた。
魔王はスフィアの姿を完全に見失う。
「ほう……あの猫娘、やるではないか」
魔王は手を天に掲げる。
「レクス・モルティス」
禍々しい魔力が空気を割る。顕現したのは、黒い何かとしか捉えられない魔剣だった。その存在すら視認することが難しい刃がイオリの剣とぶつかった瞬間、空間に亀裂が走る。柱も、壁も、天井も、その衝撃に軋んだ。
魔王は楽しそうに口角を上げる。
「血が滾る……!!」
エリーは歯ぎしりをした。この玉座を吹き飛ばそうとするような衝撃の中で、必死に地面にすがりついていた。
「くっ……フルール・ド・シエルの第一段階、プレジール・ブランで筋肉が弛緩してるはずなのに……どうして魔族ってのはこうも……!」
イオリと魔王の剣戟は、もはや二人にしか見えない世界だった。イオリの身体から時折吹き出す血が、白い花を赤く染めていく。けれど、もう一人――その世界に入り込む存在がいた。
トンッ……ほんの一瞬、スフィアの爪が魔王の身体に触れる。その瞬間だけ、魔王の手が緩んだ。
「この猫風情が……我に触れているな?」
少しでもイオリが有利になるよう、スフィアは攻撃の隙を作り続けていた。骨は軋み、筋肉は悲鳴を上げる。それでも、たとえ自分がやられたとしても、飼い主の身を一番に考えていた。
――白く染まっていた花が赤色へと変化する。
「フルール・ド・シエル――ルトゥール・ルージュ!」
赤い花びらが舞い上がり、魔王の魔力が吸い上げられていく。これで魔法は使えない――はずだった。一つ、また一つと花が一瞬にして散っていく。
魔王はエリーの花の魔法を無理やり“破壊”し、そこから魔力を回収していた。イオリを追い詰める魔力が、再び膨れ上がる。
エリーは歯を食いしばった。
「渡さない……! それは、あんたのための花じゃないっ!!」
パキッ……という音が赤い花畑に広がる。エリーはすべての花へ意識を集中し、魔王に所有権を奪わせまいと食い止めた。魔王が舌打ちをする。
「チッ……所有権を奪えなくなったか。なんて娘だ。この魔王に競り勝つとはな。どこで学んだか知らんが、褒めてやろう」
魔力も筋力も著しく低下した魔王は、最後の手段へと移った。
「燃えよ――我が生命」
どす黒い魔力が天高く舞い上がる。イオリでさえ、一瞬だけ手を止めた。
真正面から放たれた、魔王の最速の一撃。イオリは反射的に剣を挟み込み、ぎりぎりで受け止める。
――バキッ! 限界以上に使い込まれてきた剣に、ヒビが走った。
魔剣の勢いを殺し切れず、イオリの身体が壁へぶっ飛ばされる。激突する寸前、その間に一体の影が割り込んだ。スフィアが壁とイオリの間で、彼を抱きとめる。
衝撃がスフィアの身体を貫く。
「かはっ……」
「スフィア!!」
スフィアはボトボトッと大量の血を地面に吐いた。肋骨は粉々に折れ、内臓を傷つけている。それでも、同情でイオリの足を止めさせるわけにはいかなかった。
「私のことなんか気にするにゃ!!」
スフィアはそのまま地面に倒れた。地べたに頭をつけ、苦しそうに言葉を続ける。
「心臓が……七つにゃ。攻撃したい箇所に目線が移る癖、そして、隙ができたら防御を捨てて、剣を使って攻撃する癖があるのにゃ」
「……分かった。ありがとな」
「それから……コアはあの剣……にゃ」
スフィアはそのまま意識を失う。
――イオリと魔王が睨み合う。剣にヒビが入ったイオリと、命を燃やし尽きる前に殺そうと不敵に笑う魔王。
魔王の剣が振り下ろされる。イオリは自分の剣で正面から受けず、側面を滑らせるようにして軌道をそらした。
カンッ……魔剣の剣先が地面に触れた瞬間、魔王城だけでなく、背後の山までも真っ二つに切り裂かれる。繰り返される剣戟の中、イオリは剣を壊されないように、そして誰にも当てないように、すべての一撃を逸らして立ち回っていた。
一方、エリーは過呼吸になっていた。まだ一度も完成したことのない最終段階に、魔王の魔力を滞在させるという荒業。いくつもの作業を並列処理し、脳が沸騰しそうになる中、下唇を噛んだ。
「はぁっ、はぁっ……魔力が……足りないっ」
足りなかった。魔王が命を燃やしながら使っている魔力を少しずつ奪っても、得られるのは微量でしかない。
その視界の端を、ラナが這ってくる。ヒビだらけの全身を引きずり、エリーのもとへ近づいていた。
「ちょっと、あんた何してんの?! あぶないから、あっちに――」
「魔力さえ、足りれば……いいんですよね。それでイオリさんは……勝てるんですよね」
エリーの顔から血の気が引く。
「……あんた、まさか」
「使いやすい方法で、魔力を全部放出します。使ってください」
――たとえ二度と魔法が使えなくなっても、愛する人を失いたくはない。




