四十二話 女神と勇者
「にゃにゃにゃ!! 待つにゃ! これには理由が」
「ふーん。言ってみなさい。次の一言であんたを殺すかどうか決めるわ」
「こいつ魔王幹部より物騒にゃ!? 獣人の習性にゃよ……飼い主に匂いをつけるというか……イオリも動けないしちょうどいいと思ってにゃ……なんで果物ナイフがこっち向いてるにゃ?!」
スフィアはイオリの影に隠れる。エリーはため息をついた。昨日の今日で本気で怒る気にもなれないし、事情もある程度聞いている。ひとまず、今は収めておくことにした。
「今は保留にしてあげる。ご飯あるから食べるわよ」
「わーい! やったにゃー!」
スパッと切り替えてスフィアはサンドイッチに食いついた。
その後、一緒にサンドイッチを食べていた彼女は、ふいに手を止めた。もし、イオリが二人目の妻をほしいと言ったらどうするか。スフィアの言っていた通り、この世界では一夫多妻が普通だ。イオリが魔王を倒せば、世の中からそれを望まれてもおかしくない。
これまでずっと、嫉妬して他の女性にもイオリにもきつく当たってきた。それはきっと、これからも変わらない。でも、真剣に考えるのなら――イオリがどうしたいかを、私に決めさせてくれたら?
もし――ラナがそうしたいと言ったら?
彼女の視線がコーヒーへと向けられる。揺らめく湯気を見ながら心の中で呟いた。
――きっと、許してしまう。独り占めしたいという気持ちを、抑え込んでしまう。
今まで私はずっと二番目、あるいは二番目ですらない位置から、それでもイオリを見続けてきた。その時間の方が圧倒的に長かったから。
例えばイオリとラナがくっついて、二番目でもいいならと手を差し出されたとしたなら――私はきっとその手を握ってしまう。
――それでも私は正妻だけは渡さない。絶対に。一番イオリを分かっていて、一番そばに居て、一番好きなのは自分だからと自負しているからだ。それくらい、イオリのことが大好きだから。
そう心の中で呟いて視線を上げる。イオリは何も考えていないように、美味しそうにサンドイッチを頬張っていた。筋肉痛がヒドイのか、動きはかなりコンパクトだ。その姿に、思わず笑みがこぼれる。見ているだけで、自分の悩みがちっぽけに感じた。
「ねぇイオリ」
「んー? どうした? 食べないのか?」
「妻いっぱいほしい?」
「ぶふぁっ!!」
イオリの口からサンドイッチが飛び出しかけた。持ち前の反射神経でどうにか口の中へ押し込み、ごくごくと水で流し込む。
「はぁっはぁっ。なんだよ急に。俺は――」
エリーはイオリの唇に人差し指を置いた。驚いたように見開かれた目が、すぐに彼女の真剣な表情を捉える。
「知ってる。イオリは優しいから。でも考えておいて――ここは君のいた世界じゃないんだよ」
その言葉に、イオリも茶化す気にはなれなかった。静かに頷くイオリを見ながら、エリーは心の中で微笑む。自分が誰でも妻にしていいと思っているわけではない。けれど、イオリなら大丈夫だろう。
「んにゃ。なんの話かはわからにゃいけど、今後お前らどうするにゃ?」
エリーはスフィアの問いかけに少し考える。
「最後の魔王幹部を倒しに行きたいわね。毎回ギリギリだけど、スフィアもいるしなんとかなるかも」
「にゃら、北の方にある雪国で魔王幹部が暗躍しているという噂があるにゃ。そこに行くのがおすすめにゃね」
「よくそんな情報知ってるわね……」
「情報屋だからにゃ。元々勇者パーティーで情報はたくさん集めたにゃ。まぁあの勇者は聞く耳をもたにゃいから、結局魔王幹部には会えなかったにゃ。そんなものよりも、目先の功績のほうが優先だったからにゃ。でも良かったにゃよ。もしあのグレンと会っていたらたぶん勇者パーティー全滅にゃ」
尻尾をゆらゆらさせながらお茶をすするスフィア。エリーもつられてお茶を飲みながら昨日のことを思い出していた。
「そういえば、酒場で光に包まれて消えたわね。ラナも……あれなに?」
「あれは、勇者パーティーの一員を女神のところへ転移させる魔法にゃ。女神が直々に使ってるにゃよ。稀だけどにゃ。普段は勇者だけが連れて行かれて、スッキリした顔で戻ってくるのにゃ。ちなみに、女神の魔法は魔王領域では使えないにゃよ」
「スキルにゃ」と言って、スフィアは自分の目の前に浮かぶ魔法陣を指さす。
「なるほど。つまりあんたが連れて行かれなかったのは勇者パーティーとしては認められなくなったってこと?」
「そうにゃ。宣言するだけでよかったっぽいにゃ。もし光に包まれて連れて行かれてたら、考えただけでも恐ろしいにゃ……」
――同時刻、女神の世界。勇者を除いたラナたちは床に倒れ、気を失っていた。その傍らのベッドには勇者ハルトが座り、怯えたように目を伏せている。すぐ脇で微笑む女神の顔を、まともに見られずにいた。
「俺、女神様の期待に……」
「いいのよぉ……大丈夫。魔王幹部なんていいの。魔王さえ倒せればいいんだから。あなたは何も悪くないわ。あなたの自由に、好きなことをしていい。欲望の赴くままに、金を、土地を、女を。あなたは許されるの。私の英雄だから」
「俺は……英雄」
衣服をまとわない女神は、完全に意気消沈した勇者ハルトをそっと抱き寄せた。慰めるように彼の背中をなぞりながらも、口角は高く上がったままだった。
「私が選んだのだから大丈夫よ。ほら、いつもみたいに私を求めなさい。私が肯定してあげる。あなたのすべてを、自由を。全部ね。女神に選ばれた主人公としての大義名分があるんだから。こういう場面もまた……主人公をより際立たせるスパイスでしょう?」
「女神様……!」
「やんっ。いいわよっ、好きにして」
――無意識のまま、ラナの瞳から涙が一粒こぼれ落ちた。
次にラナが目を覚ましたのは、遠く離れた大国の一つ、ロントアの宿だった。
「ここは……イオリさん……どこ」




