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四十一話 迷い猫

 イオリの中で、膨大な魔力が循環する。そのただならぬ雰囲気にグレンは背筋をゾクゾクさせていた。


「はははっ!! いいぞ! いい!! それでこそ、シェパンを殺した男だ!!」



 エリーの動体視力では、すでに二人の残像さえ追えない。ただ空気を切り裂く衝撃波と、鼓膜を震わせる凄まじい金属音の連打だけが、死闘の苛烈さを伝えていた。スフィアもまた、息を呑んで戦場を見つめることしかできない。


「これがあの……レベル一にゃ? こんな……戦いが。勇者との旅でもこんなのは一度も見たことが――ないにゃ」


 グレンは興奮していた。速度はさらに上がっていく。より早く、もっと強く。こいつらを叩きのめすために、その瞬間のエクスタシーのために。


 血管はこれでもかと浮き出る。循環のさせすぎで血は沸騰し始めた。一方のイオリも、限界を超えた魔力の高速循環により、酩酊感が強くなる。しかし、あの静かな世界がそれを抑え込んでいた。


 グレンの体からは蒸発した血が蒸気を上げていた。イオリの視界はもはや暗くなっていた。感覚だけの世界へ。


 ――トンッ。まるで世界が止まったかのように、グレンの動きが固まる。背中のコアに冷たい感触が触れた。


「背中のコアが丸見えにゃ」


 血の気が引いたグレンが反射的に振り返り、そのまま腕を振り回してスフィアを叩き潰そうとした。だが、その拳はスフィアの顔寸前で止まる。


「お前バカにゃ? 剣士に背中を向けたらだめにゃよ」


 ――パキッ。


「ちっ……やられたぜ。確かにお前ごときじゃ俺のコアを破壊できねーってのによ」


「無我夢中になりすぎが敗因にゃね。死闘を楽しみすぎにゃ」


「後悔はねーぜ。それくらい熱い戦いだった。ちくしょう……負けたぜ」


 グレンに一本の光の線が入る。その重い体は真っ二つに切り裂かれ、地面へと落ちた。イオリが口を開けると、激しく肩で息をし始めた。


 その苦しそうな状態に、エリーが駆け寄った。


「イオリ!」


 視界が完全にぼやけ、急いで魔力を外に排出する。数分もすると落ち着き始める。


「はぁ……はぁ……あぁ、きっつこれ」


 筋肉もうまく動かない。魔族の膨大すぎる魔力をその身で循環させたイオリは完全に疲れ切っていた。そりゃあんな化物じみた強さをしているはずだと、ため息をついた。


 そして、その場に座り込んだまま、心配そうなスフィアを見上げた。勇者ハルトに傷つけられたままなのでかなりあられもない姿。


「んにゃあっ!!」


 視線を感じたスフィアは座り込んでその姿を隠した。


「やっぱ恥ずかしいにゃこの格好!!」


「ははっ、後で服でも買いに行くか」


 その何気ない一言に、スフィアはチラッとイオリを見た。


「……んにゃ。面倒を見るなら責任もてにゃ。スフィアは迷い猫にゃ」


 仲間に入れてほしいという、スフィアなりの意思表示だった。エリーというパートナーがいる以上、期待は薄いと分かってはいた。だが、エリーは無言で自分のローブを彼女にかけた。


「理由はあとで聞く。一旦仮でいいから入りなさい」


「えっ、でも……いいのにゃ?」


「いいわよ。こんな状態の子を放っておくわけにもいかないでしょ。それにうちのバカはお人好しだからどうせ拾うわよ」


「んにゃあ……いいやつにゃ。でも、私がいたらイチャイチャできないにゃよ」


「はっはぁ?!」


「だってお前からイオリの匂いするにゃ。特に下半身」


「はぁ?! あっあっぁ……」


 声は蚊の鳴くような音量になり、視線が宙を泳ぐ。顔を両手で覆い、指の隙間から真っ赤になった顔を覗かせた。しかし、スフィアは追撃の手を緩めない。


「それに私もイオリを狙ってるにゃよ」


「は?」


 あまりのド直球さに、硬直。本当に言った言葉が正しいのか、もう一度頭で再生する。そして……


「はぁぁぁああ?! なんで?! この泥棒猫!」


「んにゃ……だって、別に一夫多妻はありえなくにゃいし、私のために勇者に立ち向かうの……かっこよかったにゃぁ」


 尻尾が優雅に揺れるのを横目に、エリーは引きつった笑みを浮かべる。イオリの鈍感さには慣れていたはずだが、この天然の人たらしぶりにはどう対処すべきか。眩暈を覚えつつ、エリーは力なく肩を落として二人を支えた。


 周囲の住人は、その戦いを見て魔王幹部が倒されたのだと認識していた。イオリ達の知らぬ間にそれは他の周辺国、さらに世界へとまたたく間に広がっていく。



 ――翌日。


 一つのベッドに三人が寝ていた。エリーが体を起こす。体に残る疲れがまだ残っているのか、随分とのんびりした動きをしていた。体からシーツがするりと垂れる。眠い目をこすりながら、朝日とともに飛び込んできた光景。


 だらしなく寝ているイオリと、その頭を抱きかかえるように眠っていた薄着のスフィア。エリーの手はスフィアの頭へと向かっていた。


「いたたたっ!! いたいにゃ!! いったすぎるにゃ!? 朝の目覚ましがあの世への片道切符になるにゃあ!!」


 頭がそのまま割れるんじゃないかという痛みでスフィアは飛び起きた。エリーが手を離した後も、スフィアは頭を押さえて、床をごろごろと転がりまくっていた。小さくため息をついてイオリのほっぺをぺちぺちと叩く。


「ほら、あんたも起きなさい。何時だと思ってんの?」


「んぁ……あー……朝か。っぐ」


 筋肉痛が酷かった。過剰な魔力の高速循環。筋肉神経への影響もかなり大きく、疲労のたまり方もこれまでとは段違いだった。


「いってぇえええ!」


 少し動くだけで激痛。イオリが叫ぶ奥では猫が一匹「いてぇにゃぁああ!」と転がりまわる。なんとも騒がしい朝だった。比較的マシだったエリーはため息をついて、二人のために朝食を買いに出かけた。正直イオリとスフィアを二人にするのは心配だったが、イオリを信じていた。


 朝から並ぶ小さな屋台の列。それを吟味していると、周囲の人たちはざわつき始める。


「あの人って確か……昨日、花の魔法を使ってた……」


「そうだよあの人。魔王幹部を倒した……多分魔王幹部一人目を倒したのも、特徴一致してるし」


 エリーは少しむず痒い気持ちになっていた。適当にハムの挟まれたサンドイッチを購入。しかし、店主のおばちゃんから代金はいらないと言われた。もはや勇者のような扱いになっていたことに困惑する。


「えっでも、私たちは勇者じゃ」


「この街を守った人から金なんか取らないよ」


 店主のおばちゃんはそう言ってさらにいろいろとサービス。両手いっぱいに食べ物を持って宿へと戻った。


「ただいま。なんかいっぱいサービス……」


 ドサッと食べ物を入れた紙袋が落ちる。座っているイオリにスフィアが体をこすりつけていた。楽しんでいたスフィアの表情がガクガクブルブルと絶望へ変わっていく。

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