四十話 魔王幹部グレン
ラナは、体が内側に折りたたまれるように崩れ落ちた。罪の重みが、鉛のように胸を圧迫する。手がどうしようもなく震え、呼吸さえもままならない。
「はっあっ……そんなっ……私、何を……」
止まらない涙が頬を伝う。心臓をナイフで掻き回されるような痛みに、彼女は喉を鳴らした。その様子に気づき、イオリの剣がわずかに揺らぐ。視線が勇者から、壊れそうな彼女へと移っていた。
「ラナさん、俺は――」
突如、酒場の空気が震えた。次の瞬間、天井が豪快に弾け飛ぶ。
「あぁ……なんだぁ? シェパンを殺した野郎と、勇者が並んでるっつーから来たのに、なんだよ勇者は意気消沈かよ」
戦意を喪失した勇者ハルトは情けなく悲鳴を上げた。エリーの白い花が咲き乱れる床の上で、まるで這うように必死に藻掻く。
イオリとエリーの目つきが完全に変わる。勇者達を背に、声の主へと視線を移した。六本の腕、目隠しをつけた青い肌の魔族。
イオリは剣を構え直す。
「お前……魔王幹部の一人だな?」
「ほう……分かるか」
「そりゃあな。シェパンみたいな禍々しい魔力を感じる」
「やはりお前がシェパンを殺したやつで間違いないな。勇者よりもよっぽど危険っつーのは本当のようだな。名前覚えとけよ。俺は魔王幹部の一人、グレンだ」
「名乗るのが魔王幹部のお約束か?」
互いに名を言い放ち、睨み合う。グレンが地を蹴った瞬間、床が一気に弾け飛んだ。土煙と破片を纏って降り注ぐグレンの拳を、イオリは紙一重で剣に受け止める。金属同士が激突したかのような轟音が響いた。
「オラァァァアア!!」
グレンは叫びながら連打を浴びせる。その一撃一撃をイオリは弾ききるが、相手の方が一手早い。ラナは杖に手を伸ばし、加勢しようとした。だが、魔王幹部の放つ圧と筋肉の弛緩が、彼女の意志を拒絶する。動け、動いて。ラナは奥歯が砕けんばかりに食いしばった。
涙と嗚咽でまともな状況じゃなくても、イオリを守らなきゃ。その意思で杖を持つ。しかし――女神の光が彼女たちを包み込む。
グレンは後方へと下がってその光を眺めた。
「お? なんだぁ? 女神の光?」
ラナの体が消えていく。
「待って……! 私はっ、イオリさんと――」
次の瞬間には勇者もろとも消えていた。残ったラナの涙が白い花をかすめる。
「チッ……逃げられたか。まぁいい。シェパンを殺したやつを倒せりゃあそれで十分だ」
傷ついたイオリの体が再生していく。少し冷や汗をかきながら剣を構え直す。深く息を吐きながら息を整えていく。
エリーは地面に手を触れ、唇を噛みしめる。フルール・ド・シエルで筋肉を弛緩させているはずなのに、グレンの速度はイオリを凌駕していた。あまりの理不尽な差に、彼女は息を呑む。
第二段階に早く移行させたいが、まだ時間も栄養も足りない。
グレンは歯を見せるように笑いながらイオリに襲いかかる。
「もっと楽しもうぜぇ!!」
イオリは剣を振り払う。キィン……という音とともにグレンの拳の一つを弾く。しかし、即座に繰り出される超威力の拳が自分を襲う。攻撃の余波だけで地形が変わっていく。
正面から来たグレンの拳を剣で受け止めた瞬間、イオリの体は酒場を突き破り、奥にある教会の壁へと叩きつけられた。壁が豪快に陥没し、その衝撃は地震のように周囲を揺らす。即座に追撃へ移ったグレンが、再び拳を構えた。
「二発目ェ!!」
拳が腹部に当たる直前、イオリはその場で回転するように拳を避けてその腕を斬り落とす。だと言うのに、グレンは残った肘を教会にぶつける。教会は音を立てて崩れ落ちる。
グレンは楽しそうに自分の腕を拾い上げた。それをくっつけるとそのまま腕を動かし、再生を確認する。
イオリは苦笑した。
「まぁ……そうだよな。お前ら再生するよな。シェパンもそうだったからな」
「よく分かってんじゃねぇか。おら、次行くぞぉ!!」
イオリの位置へと高く飛び上がるグレン。振り下ろされた二つの腕を剣で防ぐイオリ。円形の衝撃波が地面を破壊する。イオリは即座にその位置から剣を滑らせ、グレンの横からの拳に対応する。
その攻防の最中、酒場の残された一本の柱の上からスフィアの声が響き渡る。
「弱点は背中にゃ! クソ硬いコアがむき出しになってるのにゃ!! 攻撃時に魔力を接触部位へ移動させてる。でも移動自体は遅いから対角線上、つまり距離の遠い位置を常に狙うにゃ! そうすれば魔力が追いつかず隙が生まれるのにゃ!!」
イオリの剣が瞬きする間にグレンの首を薙ぐ。だがそれは、即座にせり出した上部の拳に阻まれた。剣先が虚空を切る間もなく、次の一撃が腹部を捉える。
グレンが最下部の腕で防ごうとするが、魔力の巡りがわずかに遅い。剣身が肉を切り裂き、深々と食い込む。直後、硬質化した魔力に弾かれ、カンッと金属音が響いた。イオリはその手応えに即座に剣を引く。
グレンはニヤケヅラが収まらない。
「ははっははは! いいぞ、いい!! 強い、強い強い強い!!」
魔力量を更に上げるグレン。街への被害が広がっていく。
「フルール・ド・シエル――ルトゥール・ルージュ!」
白い花は赤く染まっていく。グレンの体がガクンと崩れる。
「こいつは……!」
自身の魔力が急速に枯渇していく。グレンは残った魔力を魔力として留めることを諦め、一気に肉体へと定着させた。筋肉が異常な速度で膨張し、硬質化して鋼鉄のような質感へ変貌する。熱を帯びた体から、白い蒸気が激しく噴き出した。
「ふー……」
イオリは一度エリーの元まで下がった。息を整えながら、苦笑いするイオリ。エリーは不安そうな顔で相談を持ちかける。
「どうしようイオリ……不完全だけど、最終段階目指す? でも最終段階までの魔力も生命力もないし……それとも、イオリの魔力に変換する?」
「最終段階に行くには栄養が足りないんだな? 残ってた魔力はあいつが筋肉に変えちまったからな……筋肉ダルマめ。筋肉弛緩も大したことないって顔だぜ」
「分かった……イオリの魔力に変換するけど、あんた大丈夫?」
「あぁ、なんとかする」
赤色の花がより濃い色へと変貌する。吸い尽くされた魔力がイオリへと流れ込んだ。グレンは天を仰ぎながら、嬉しそうに息を吐いた。




