三十五話 問いかけ
窓から差し込む夕日が、微睡んでいたエリーの頬を赤く染める。彼女がゆっくりと目を開け、ぼんやりと窓の外を眺めていると、隣からも気配がした。視線を向ければ、同じタイミングでイオリも瞼を持ち上げていた。エリーはシーツを抱きしめたまま、小さく声を漏らす。
「おはよイオリ……少し寝すぎちゃったかな」
「ん……一時間か、二時間くらいってとこかな」
二人はそれぞれ伸びをして装備とお金だけ持って街へと繰り出した。夕日が差し込んでいても、相変わらず街は騒がしい。けれどその街の顔は少しだけ変わっていた。子どもたちの声が増え、出歩く人は女性が多い。商店に列が出来始めている。
「どうするイオリ? どこか行きたい場所ある?」
「んー……市場があるらしいし行ってみるか」
二人は店が立ち並ぶ市場へと足を踏み入れた。通りは人でごった返し、気を抜けばたちまち迷子になりそうだ。そんな雑踏の中、イオリは迷いのない手つきでエリーの手を引いた。
「離れるなよ」
「ふぁひゃっ……あぅ」
乙女のような声を漏らして顔を下に向ける。キスの事もあってか、こういう場面でエリーはより赤面しやすく、そして照れ隠しもできなくなっていた。彼女は彼がこんなことを恥ずかしげもなく出来るなんてすごいな……と思いながら、大きくて優しいその手を少しだけ強めに握り返した。ふと、彼の後ろ姿を見ると、耳が赤くなっているのが見えた。
イオリの手を握るエリーの手が――また少し、強くなった。
市場を散策中、果物の屋台で足を止めた二人は、串に刺されたフルーツを半分ずつ分け合い、顔を見合わせて笑う。通りには他にも目を引く店が並んでいた。エリーは魔法具を扱う屋台に足を止め、興味深げに一つを手に取る。
店主が客が来たとその商品の説明を声たかだかに自慢する。エリーはそれを眺めながら呟いた。
「へーすごい。これを使えば微弱な魔力でも感じ取って、見失った素材を探せたりするんだー」
店主のおっちゃんはニッと口角を上げる。
「おうよ。冒険者には必要な一品だろ?」
「確かにねー。あったら便利かも。いくら?」
「金貨五枚!!」
エリーの動きがピタりと止まる。先ほどまでの柔らかな表情は消え失せ、その瞳が値札と店主を交互に鋭く射抜いた。
「ふーん。これが? 金貨一枚で一体どれだけこの街に滞在できるんだろうねー。道具一つに金貨五枚かー」
「じょ、冗談だよ嬢ちゃん! あー、そうだ。金貨四枚!」
「帰るよイオリ」
彼女は繋いでいたイオリの引っ張る。店主は慌てて引き留めようと値段を一気に下げる。
「なっあっちょまっ!! 金貨一枚!」
エリーは店主にベーッと舌を出して背中を向けた。店主の声が消えていく頃、イオリはエリーに問いかけた。
「良かったのか?」
「あんなにふっかけられたんじゃ買う気も起きないよ。さっき別の店で誰かが銀貨一枚で買ってるの見たし。あんな商売する人の物なんか買いたくなーい」
「ははっ、厳しいな」
市場を一通り回ると、いい雰囲気のカフェが営業していた。店の外にあるメニューを見る限り、食事がメイン。という感じはしないが、休むのにはちょうどいいと思ったエリーはイオリの手を引いた。
「ねぇイオリ! あそこ入ろっ!」
エリーに手を引かれ、イオリは苦笑しながら彼女の足取りに合わせた。外の喧騒とは違い、落ち着いた空気が流れるカフェだ。二人は端の席へ腰を下ろし、エリーは目を輝かせてメニューを覗き込む。
「んー……イチゴのケーキに、紅茶……でも、このチョコも捨てがたい。アイスなんて高級品だし……でも……」
悩み続けるエリーの視線をメニューから剥がすように、イオリが肩をすくめる。
「全部頼めよ。俺は余ったのをつまむから。あと、飲み物は俺も紅茶にする」
エリーの目がまるで子どものように輝くと同時に、どこか申し訳なさそうに問いかける。
「いいの?」
「俺に許可なんていらないだろ。好きなもん食おうよ」
「アイスも? 高いよ?」
「ダメなのか? 食べたいんだろ? むしろ俺は我慢したお前を見たくない」
「~~~っ! 分かった! 店員さん!」
エリーは注文を済ませると、少し体を揺らして楽しそうにケーキやアイスが届くのを待っていた。並べられたデザートを見て目を輝かせるエリー。イオリは紅茶を飲みながらどこか幸せそうに眺めていた。
一口、また一口と食べる度にほっぺを押さえて「おいしーっ!」とテンションを上げる。
「はい。イオリも”あーん”」
「ん、あ……あーん」
パクッと食べるイオリ。口に広がる甘みとビターな苦みが絶妙だが、今の行為があまりに直接的すぎて、エリーはあわてて視線を逸らした。
「イオリ? あっ……そっか、間接、キス……」
スプーンを胸元で握りしめて顔を赤らめるエリー。チラッチラッと彼を見ながらアイスにも手を伸ばした。少し控えめに美味しいと呟いた。高級品であるアイスが口の中で溶けだすと同時にイオリを意識してしまう。
「イオリも……食べる?」
エリーはもう一度スプーンを彼へと近づける。バクッバクッと心臓が高鳴る。意識したうえでの行為。イオリの口の中にスプーンが収まる時、少しだけエリーの指先が震えた。
イオリの口の中で溶け出すアイスは微かなバニラの香りを広げた。
――そんな甘酸っぱい時間をカフェで過ごした二人は、手をつなぎながら王国内にある湖近くのベンチに座っていた。手を繋いだまま、エリーはそわそわと落ち着きがない。恐る恐る口にした小さな本音。
「イオリ……一つだけ、聞いておきたいの」
「どうした?」
「あのキス……どういう気持ちだったの? ただの、雰囲気? それとも――」
言い淀む言葉の先は、あまりに重くて口に出せない。
「――私への、返事?」
バクバクとエリーの心臓が激しく脈打つ。イオリの手を握る彼女の手は少し汗がにじみ出始めていた。緊張が現れるかのように、何度もその手を握り直す。
――もしイオリに違うと言われたら? ただの雰囲気での勢いだったら?
心の中で何度も何度も傷つかないようにと、保険の言葉を自分にかける。
「だって、イオリってラナのこと好きだったでしょ? ちゃんとは聞いたことないけど、絶対……」
沈まれ心臓。そう心に呟きながらシャツの胸元を強く掴んだ。イオリが息を吸うと、体が恐怖で強張る。
「分からない。俺がラナさんを好きだったのか、どうか。意識する暇も、タイミングも……なかったから」
月を見つめる彼の横顔に、エリーは息を呑んだ。イオリの中にあるラナの残像が、どうしようもなく疎ましく、それ以上に胸が締め付けられる。どうして好きになってしまったんだろう。
「そっか……じゃあ――私へのキスは」
エリーはそっと手を離す――やっぱり、ただの雰囲気だったんだ。分かっていたことなのに、期待して浮かれていた自分が惨めになる。瞳の奥が熱くなり、涙が滲んだ。今泣いたら、きっと止まらない。
――離れていくエリーの手をイオリは逃さなかった。
「ちょっ――イオリ……んっ」




