三十二話 再来
エリーは無言でイオリの首に腕を回す。イオリは即座に彼女を抱き寄せ、村の中へと閃光のように駆け抜けた。背後の骸骨兵が気づいた時には既に手遅れだ。掠めるような一閃に、骸骨たちはカラカラと骨を鳴らして崩れ落ちていく。
化物の前でエリーを滑らせるように下ろすと、彼女は勢いを殺しながら体勢を整えた。イオリは地面を蹴って跳躍する。女性を握り締める化物の手首へと乗り出し、遠心力を乗せて体を捻った。
掴んでいた指、手首を切り落とし、女性が自由落下を始める。イオリはその女性を空中で抱きかかえる。切り離された化物の腕を蹴り飛ばし、一気に距離を取る。
硬い土の地面を削りながらエリーの隣まで下がった。女性は呆然とした様子で、その瞳をイオリに釘付けにしていた。
「あの……ありがとうございます。あなたは……勇者様?」
「悪いな。ただの無名冒険者だ。離れてろ。コイツを倒さなきゃならないからな」
「はっはいっ!」
女性は急いで距離を取って家の影からイオリとエリーも眺めていた。不安そうに胸を抑えて期待の眼差しを向ける。エリーは両手を地面につけて魔法の準備を整える。
「イオリ、どこまで必要?」
「回復だけでいい」
「わかった」
腕を失った黒い化物は、不快な唸り声を上げる。切断面を自身で掴み取ると、肉塊はぐにゅりと形を変え、本体へ吸収されるように再生していった。元通りに復元した黒い化物へ、イオリは静かに剣先を向ける。
「なるほど。触れりゃ再生できるわけか」
黒い化物は両手の拳を地面に叩きつけて揺らす。村の様々な家屋から恐怖の悲鳴が上がる。
次の瞬間、黒い化物が左腕を振り下ろす。イオリは避けることなく踏み込み、最短距離で剣を振るった。静かな金属音が空間を切り裂き、化物の左腕が本体から滑り落ちる。
何が起きたのか認識できず、呆然とする化物。イオリはそんな敵を無視し、切り落とした腕を背後へ蹴り飛ばした。腕は遥か遠くの山肌に激突し、砂埃を舞い上げる。
「てめぇのコア。左腕にはないんだろ? 本体から迎えに行ったからな」
黒い化物は怒りの咆哮を響き渡らせる。その振動で家屋の建具が激しく軋み、ヒビが入った。イオリの鼓膜も破れて音が途絶えるが、エリーの使う治癒魔法がそれを修復する。
前傾姿勢をとろうとした黒い化物が、ふらりと重心を崩す。地面をつくはずの右腕がない。化物は驚愕したように視線を巡らせ、ようやく欠損した右肩の断面を理解した。
「斬ったのが左腕だけだと思ったのか?」
ここで黒い化物は初めて恐怖を感じる。知らなかった。人間とは餌であり、反逆するものではないと思っていた。人は、自分を殺せる。初めて生まれる逃走という選択。右腕すら置いて逃げようとした。金属音が響く。
――パキッ。
幾千にも切り刻まれた体の一箇所。イオリの剣筋はコアを捉えた。ドロッ……と化物は溶け出していく。
隠れていた女性が走り出し、イオリに抱きつこうとするとイオリはまだだと逃げるよう指示した。
「でももう……」
「もっとヤバいやつが来たからな。再戦と行こうじゃねぇか。シェパン」
黒い化物の残骸が霧散する。着地の衝撃は、先ほどの咆哮とは比にならない重圧を放った。
「おやおや。ここで育てていたというのに、酷いことをされますね。――やはりあなたでしたか」
白い手袋を丁寧に整え、イオリ達を値踏みするように見下ろす。イオリは剣の柄を強く握り直した。
「放し飼いにするんじゃねぇよ」
「それがわたくしのポリシーですので」
シェパンは黒い化物のコアへと触れる。それは形を変え、大剣へと姿を変えた。まるでスカルドラゴンの時と同じように。
――シェパンはイオリの右足目掛けて剣を振り下ろす。イオリは軽く背後へと飛び退いた。空を切ったシェパンの剣が止まる。それは自分で止めたのではない。避けざまにイオリがその剣筋を剣で受け流し、勢いを殺したのだ。小さな風圧が土埃を上げる。
「ほう……確かにあのままわたくしが振り払っていれば、近くの民家は粉々だったわけですが。それを危惧した。というところですかね?」
「だったらなんだよ」
「そこまでの余裕を見せますか。この短期間で随分と強くなられたようで。以前の超人的な反射速度を維持しているだけではない。ステータスに変化は無いはずですが……以前と違うのは、そうですね。あなたの中に、確かな魔力が宿っていることでしょうか」
「すこーしばかり変なやつにしごかれたからな」
「それはそれは。楽しみがいがありますね。どうやら本当に我々が気をつけるべき相手は――勇者ではなくあなた方なのかもしれませんね」
数秒の沈黙。まるで合図を送ったかのように同時に二人の剣が動き出し交差する。火花が散り、風圧は乱れ家屋を揺らす。ピッとシェパンの頬に傷。イオリにつく傷は即座に修復。
シェパンは攻撃の手を止めて後方へと下がる。
「再生速度も以前とは比べ物にならない。この魔法がある以上、あなたが棒立ちでも殺せないかもしれませんね。限りはあるでしょうが……」
顎に手を当てながら思考する。
「であれば……手数を増やしましょう」
イオリは唐突に、何もない空間へ剣を振るった。空間の歪みが暴かれ、出現しかけた黒い化物の腕が、攻撃を繰り出す前に細切れとなって霧散する。シェパンの余裕が初めて崩れ、呆気に取られたように動きを止めた。
「あなたは……よもやそこまで」
シェパンの雰囲気が変わる。強力な魔力が彼の全身から溢れ、二人への殺意を持って威圧する。
「全身全霊を持ってあなたを殺しましょう。あなたのその剣は――魔王様に届きうる」




