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三十話 旅立ち

 リリスは木の上から降りて、ミーニャの頭を優しく撫でる。


「まぁ安心せい。フラれたなどと思うな。大方やつが他の女の話をして負けたと思ったのじゃろう。しかしじゃ。あやつは必ず功績を上げる。地位を持つ。そうなれば妻なんぞ何人おってもいいんじゃよ」


「????」


 一夫多妻というのをまだよく理解していない様子のミーニャに、リリスは「うんうん」と頷いた。


「うむ。その反応は理解できる。つまりじゃ。お主が二番でも三番でも愛してももらいたいと思うのなら、結ばれることは出来る。順番なんぞただの早いもの勝ちじゃからな。俯くな。お主の初恋は終わっとらんよ」


「ほんと?」


「本当じゃよ。さっ、さっさと体を拭いて寝るぞ」


 リリスはミーニャを連れて借宿へと戻る。


 ――それからエルフの森での生活はあっという間に過ぎていった。いつもの修行場所。エリーはリリスに一輪の花を渡される。リリスから修行の指示を受け、また大木の下で目を閉じる。


「イオリを守りたいのじゃろう? 誰かの後ろでただヒールをするだけ。あとは無事を祈ることしかできん――そんな、無力なだけの役割が嫌だと思うのなら、死ぬ気で精進することじゃな」


 その言葉に、エリーは力強く、真っ直ぐな瞳で頷いた。


 一方、イオリはミーニャに手伝ってもらい、目隠しをしたまま一方的な攻撃を避けるという修行をさせられていた。リリスは少し離れたところから、リンゴをかじりつつ指導する。


「よいか。絶対に魔力を外に流すな」


 ミーニャの木刀がイオリにぶつかりそうになると、ミーニャ自身が戸惑いを見せてピタッ……と手が止まる。リリスは「手加減するな」と大きな声を発した。


「イオリのことを思うのならその腕ごとへし折れ!」


 頷いたミーニャの攻撃がイオリの体に打撲傷を負わせていく。


「てやぁ!」


 膝にクリーンヒットし、イオリが痛みで膝をつく。


「わっ! イオリごめんっ!」


「いや、いいよ。大丈夫」


 泣き言も言わず、修行は着実に進んでいった。それから一ヶ月ほど経過したころだった。リリスは二人の成長を見て、小さく息を吐いた。


「うむ。よくやった。修行は終わりじゃ。後は実践で磨けば良い。ククッ、あの女神のアホヅラを見るのが楽しみじゃの」


 嬉しそうなリリスをよそに、ミーニャは寂しそうな顔をしていた。


「もう……お別れ?」


 イオリとエリーは少し気まずそうに顔を見合わせる。しかし、イオリは迷うことなくミーニャへと歩み寄ると、その小さな体を優しく、包み込むように抱きしめた。


「また会えるさ。俺がそう簡単に死ぬと思うか? ……必ずここから連れ出すって、約束したもんな」


「うん……っ、分かった」


 イオリの胸に顔を埋めたまま、ミーニャは小さく、だけど嬉しそうに声を震わせた。


 その夜、エルフ達に豪勢な食事を提供してもらい、全員満腹になっていた。満足そうにみんなベッドに座っている。エリーが仰向けに倒れると天井を見上げた。


「この天井ともお別れかー。居心地良かったんだけどなぁ。そういえばリリスはどうするの?」


 細長い枝を咥えながら、リリスはお腹を擦っている。


「妾か? 妾もここでお別れじゃ。元々一箇所に長居したり、誰かと一緒にいるような性分ではないのでな。また会うこともあろうて。ただメシの礼をしたまでじゃよ」


 ミーニャがしゅんとする。


「リリスも行っちゃうの?」


「まぁの。安心せい。妾も時折顔を見せる」


「分かった……」


 三人の会話を聞きながら、感慨深くなるイオリ。確かな強さの実感。シェパンに刃が立たなかった時の記憶を思い起こす。今なら、渡り合えるかもしれないと自信を持っていた。


「ありがとな。リリス」


「おぉ……なんじゃ改って。妾は女神の尻拭いとメシの礼を」


「それでもだ。正直、どうすればいいか分からなかった。旅に出た頃は強くなってたし、魔王幹部にも通用すると思った。けどスカルドラゴンを倒したあと、魔王幹部と相まみえた。情けなかったよ。全く通用なんてしなかった。弱すぎて見逃されるレベルだ。あの時、俺はエリーを失うかと思ったんだ。すごく……怖かった」


 ぎゅっと拳を作り、それを見つめるイオリ。


「ふむ。分かった。その感謝はしっかりと受け取るとしよう。感謝するとよいぞっ!」


「あぁ、ありがとな」


 どこかリリスは気まずそうに頭の後ろを掻く。エリーまでお礼を言うもんだから、気恥ずかしくなったのか、ベッドに先に潜り込んだ。ミーニャがクスクスと笑っている。


「あははっ、リリスって意外と素直に褒められると、どうしたらいいか分からなくなるタイプなんだぁ――ほわっ!」


 ミーニャの腕が掴まれ、リリスの布団の中へ取り込まれた。ミーニャの笑い声が聞こえた後、ひょこっと顔だけ出すミーニャ。


「おやすみイオリ、エリー。明日早いんでしょ?」


 ミーニャは連れ戻され「柔らかーい」とはしゃいでいた。それは彼女なりの空気を壊さないための強がりでもあった。二人はおやすみと言って自分たちも布団に潜り込んだ。


 ――翌朝。旅の準備を終わらせた二人。リリスはまだ寝ぼけていた。全身を大きく伸ばしながら二人を見送る。


「んぁ……ふぁー……妾はもう少しここで過ごしてから立ち去るとするかの。気をつけるんじゃぞ」


「あぁ。元気でな。師匠」


「なんじゃ突然。いつも通りリリスでよい。達者でな」


「ミーニャも、また戻ってくるまで……またな」


「ふぐっ」


 ミーニャが涙を溢れさせる。トテトテと近づいてくる。ぎゅっとあの川の日のように抱きしめる。あの川の日とは違い、今日は正面からイオリを抱きしめていた。小さい体が必死に大きなイオリの体を包み込もうとしている。


「イオリ……絶対だからね」


 イオリはしゃがんで抱き返す。エリーは今回は許すかと、見ないフリをした。


 ――不意に、ミーニャが背伸びをしてイオリの右頬にそっと唇を寄せた。


 チュッ、という小さな音が響き、離れてもなお、唇の柔らかな感触が温かく残り続ける。ミーニャは涙を浮かべながらも、どこか誇らしげに、はにかんでみせた。


 そんな甘酸っぱい空気を遮るように、呆然とするイオリの左側から、いつの間にかリリスがぬっと顔を覗かせる。


「なんじゃ、なら妾も別れの記念にいただくかの。むっちゅー」


 容赦なく左頬に吸い付いたリリスは、わざとらしく少し長めの濃厚な音を立て、これ見よがしに真っ赤なキスマークを焼き付けた。


「うむうむ。よい反応じゃ。からかいがあるというもの……ハッ、忘れておった。待てエリー! そんな般若のような顔をするな!! ただの別れのキスじゃ、親愛の情じゃ!!」


「くっ……! ほ、ほっぺた……そうよ、ただのほっぺただから許してやるわよ……っ! まぁ? 私はあの子たちと違って? 精神年齢も大人だし? これくらいで怒るわけ……っ!」


 そう言い張るエリーの握り拳は、ミチミチと音を立てそうなほどに激しく震えていた。完全に決壊寸前だが、必死に『大人の余裕』を保とうと深呼吸を繰り返す。


「はぁ……。イオリはほんと、無自覚にこれなんだから……。もういいわ、それじゃあね、二人とも! また会いましょ」


 ミーニャとリリスに手を振ると、完全に魂の抜けた顔で放心しているイオリの襟首をガシッと掴み、そのままズリズリと引きずりながら里を後にした。

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