二十九話 初恋
リリスはカクカクと膝を震わせながら、エリーに殺される覚悟で見に行った。あんな姿を見られたらエリーも黙っていないと思っていたからだ。
けれど、そこに広がっていた光景を見たリリスは、不敵に口角を上げた。
エリーが背を預ける大木の周囲、見渡す限りの地面に、息を呑むほど美しい『白い花畑』が咲き乱れていたのだ。それは夜闇の中で淡く発光し、あまりにも規格外な規模で草原を埋め尽くしていた。
「いかん!!」
リリスは座っているエリーの体を揺らした。パチッと目を覚ますエリー。
「あれっ、私」
「ふう……良かった。集中しすぎじゃ。にしてもお主ら本当に見込みがあるのお……というか限界を無視しすぎじゃ」
リリスはよしよしとエリーの頭を撫でる。
「生命を認知することは出来たようじゃな。後は少しずつ段階を上げていくだけじゃ。そんなに時間はかからんかもしれんの」
――その日の夕食。借りた部屋でミーニャ含めた四人は大皿に並べられたいくつものうさぎの丸焼きを食べていた。大半はリリス用だった。リリスは満足そうに次へ次へとその肉を頬張っていく。
ミーニャはこれ全部私が取ってきたんだーと自慢している。
「えっへん。どうだ喜べっ! たーくさん食べてねー」
エリーやイオリも、リリスに食べられる前にと、肉に手を伸ばしていく、カリッという皮が割れる音、同時に溢れる肉汁。赤身のほどよい食感を楽しむ。ミーニャはもぐもぐしながら外ってどんなところかと尋ねた。
「私はまだ外出たこと無いんだー。みんなに認められたら人間の街に降りたりは出来るらしいけど」
エリーが口元に人差し指を当てて少し考えた。
「んー、そうねー……砂と土で出来た街とか、石の街とか。たくさんの人がいろんなお店でいろんなものを買う。通貨っていうものを使ってやり取りしてるって感じかな。夜の街を魔石で明るくしたりとか……」
ミーニャは目を輝かせた。
「すごーい! 他には?!」
「あとは……動物みたいな耳が生えた人とか、馬車が走ったりとか」
そんな風に興味津々だったミーニャは食べることも忘れて、エリーを質問攻めにしていた。そしてミーニャは問いかける相手をイオリに変えた。
「ねぇねぇ! イオリは?!」
「あぁ、俺は……転移者だからな」
「転移?」
「前の世界で一度死んでこの世界に来た」
キュッと胸が痛くなったミーニャは表情が沈む。
「えっ……ごめん、死ぬの辛かった?」
「そんなに、かな」
あまり未練というものがなかった。生活レベルは日本に比べれば当然劣っている。けれどイオリにとって今の人生は”生きている”という実感が目の前にあった。それに日本での最後はどこか納得の行くものだったからだ。
「ほんとに?」
「あぁ。今は……この世界に来て良かったと思ってるし。けど前世の技術はすごいぞ? 飛行機ってのは何百人も乗せて空をすごーい距離移動したり、テレビってのがあって、それを何億人も同時に見たりするんだ」
「ほえーっ! なにそれなにそれ!!」
イオリはしんみりするのが嫌で、ミーニャの興味を逸らしていた。そして時間は過ぎていく。月夜の中、川で体を洗い流した三人が部屋へと戻ってくる。水に濡れた三人はどこかつややかだった。
イオリは彼女たちとすれ違う際、あからさまに目線を逸らしながら足早に川へと向かった。ミーニャは不思議そうに頭を傾げていたが、エリーとリリスは「あいつ、私たちの濡れ髪に目のやり場がなかったんだな」と察して、小さく苦笑いを交わし合うのだった。
冷たい川の流れに身を沈めるイオリ。修行の疲れもあってか川の冷たさが心地良い。食べ物で火照った体を冷ましてくれる。そんな時だった。明るい声がイオリの耳へと届く。
「イーオーリッ!」
「ひゃぁああっ!!」
ミーニャの声に情けない悲鳴を上げるイオリ。
「あははっ、なにその女の子みたいな声。覗きに来たわけじゃないよー」
「じゃあなんだよ……」
もじもじしながらイオリは体を沈める。
「少し聞きたいなーって。なんで……前の世界さみしくなかったの?」
あの時、イオリが話は逸らしつつも、ミーニャはやはり興味はあったようだ。イオリは観念して自分がどんな気持ちで生きていたのか、どんな人生だったのかを語り始めた。
「……俺はさ。だれからも相手されなかったんだよ。個人からも、世界からも。親でさえずっと弟のことしか見てなかった。俺と比べて優秀だったからな。
別に不自由してたわけじゃないけどさ。まるで自分が、世界を回すためのただの替えの利く部品のような、居ても居なくても何も変わらない存在。そうやって誰の記憶にも残らず人生が終わるんだって、絶望してた」
「さみしかった?」
岩の後ろにいるミーニャを見ながらイオリは笑みをこぼした。
「あははっ。当時はな。何も残さず、だれの記憶にも残らない人生。だったら……もういいか。なんてことも考えた。でも最後は普通じゃないことをした。そしたらこっちの世界に来たんだよ。そこで、生きることがどういうことかを教えてくれた人が居た」
「だれ? エリー?」
イオリは首を横に振った。
「ラナさんって言うんだ。すごく面倒を見てくれて、優しくて。人生で初めてだった。……俺はあの日、初めて人に『必要』とされたんだ」
「……今は一緒じゃないの?」
「そうだな。あの人は今……夢を叶えてるんだ。だから、あの人にもう一度必要とされたい。そう思ってる」
「そっか……」
岩の影からどこか遠くを見上げるイオリの姿を、ミーニャは眺めていた。イオリはそんなミーニャに気が付かずに、ただ言葉を続けた。
「けどな。今もまだ、俺を必要としてくれてる人がいる。弱くて、価値がないような俺を、支えてくれた人がいる。その人は俺に夢を託してくれた。今はその夢を見てる。一つだけじゃないんだ。いろんな目標の為に旅をしてる」
――ちゃぽん、と水音が響いた。
驚くイオリの視界に、衣服のまま川へと飛び込んできたミーニャの姿が映る。彼女はそのまま水中でイオリの元へ滑り込むと、その小さな体をイオリの胸へと引き寄せ、ぎゅっと身を押し付けた。水に濡れた彼女の体温が、冷たい川の中で驚くほど熱く伝わってくる。
「じゃあ、私も託したい。一番最後でもいいから、私をこの森から連れ出して。私もいろんな世界を見たい。でも――見るならイオリ達と一緒がいい」
イオリは緊張しながらも、優しく言った。
「分かった。必ずお前をここから連れ出す。今は危険な旅だから、連れ出せないけど。約束する」
「ありがとイオリ!」
イオリの首元にもう一度きつく抱きついた後、ミーニャは名残惜しそうに川から上がると、濡れた体のまま夜の森の中へと走って消えていった。
――彼女は一人、さみしく森を歩いていた。小さな彼女の泣き声が森に染み渡る。リリスが木の上から話しかける。
「なーにを泣いとるんじゃミーニャ」
「きゃぁ!!」
「だれにも言ったりはせんよ」
「……好きになっちゃったから」
「あぁ、なるほど。惚れていたのか」
コクリと頷いた。
「なるほどのぉ。あやつも罪な男じゃ。にしてもなぜじゃ? この森にも大勢の男がおるじゃろうに」
「分かんない……。でも、森でちゃんとイオリのことを見てから、ずっと胸の奥が痛いの。一緒に眠った時の体温も、私の取ってきたお肉を『美味い』って食べてくれた顔も、寂しそうな前世の話も、全部焼き付いて離れなくて……。でも、一番自覚しちゃったのは、誰かのために生きようとしてるあいつの横顔を見た時。胸が、ちぎれそうなくらいキュッとなったの」
リリスは静かに木から飛び降りると、ミーニャの涙を優しく指先で拭った。
「ククッ、素直で愛らしいのぅ。その胸の痛みの正体、教えてやろうか?」
ミーニャは懇願するように言った。
「なんて言うの?」
「一目惚れから始まる――”初恋”じゃよ」




