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三話 無職

 ――イオリ・サトウはクビを言い渡されていた。これで三度目である。


「いや、ちょっと待ってくださいっ! ちゃんと仕事は」


 日本において、過酷なバイトの代表格であるコンビニ店員をサバイブしてきたイオリにとって、この状況は完全に予想外だった。


「んー。あのね。君がいい子なのはわかる。いやほんと。一生懸命なのもよく伝わった。でもここレストランなのよ。メニュー表も読めなければ、注文も書けないんじゃねぇ」


「ふぐっ!!」


 膝から崩れ落ちた。そう、彼は失念していた。言葉は同じだが、独自の用語がある上に文字が読めない……! 違う字という現実を叩きつけられていた。


 ――トボトボと、夕暮れの街を歩く。


「はぁ……一件目は厨房で魔法道具の火の付け方すらわからず、二件目の肉体労働ではなんか知らんけどみんなクソ力持ち。俺がひ弱すぎて使い物にならないとクビ。三件目がこれかよ……もどりづれぇ……」



 イオリは昨夜、帰ってきたラナにこう宣言していた。


 「働いてラナさんに恩返しする!」と昨夜はあれほど大見得を切ったのだ。ラナには止められたが行ける行ける! と朝から自信満々に飛び出し、結果が一文無しでの帰宅。気まずいなんてレベルではない。


 ギィ……とラナの家の扉を開ける。


「ただい……ま?!」


 ラナの服が真っ赤っ赤だった。


「ラナさん!? どうした何があった! 怪我はッ」


 しかしラナの反応は意外なものだった。


「ふふっ。違いますよー。私の血じゃないです。返り血です」


「それはそれで怖いんだけど……」


「魔物を討伐してたんですよ。私はギルドで依頼を受けたり、魔物を討伐してお金を稼いでいるんです」


「あぁ……なるほど。緑色の血じゃないんだ」


「種類によりますね。倒したのはゴブリンです。イメージと違いましたか?」


「ゴブリン……赤色なんだ……へー……」


 感心しながら見ていると、ラナが恥ずかしそうに小声で言った。


「あの……着替えたいので、後ろ向いてくれますか?」


「あっはい! すいませ……」


 即座に背を向けたイオリの脳裏に、ふと邪念がよぎる。――待て、本当に後ろを向くだけでいいのか? 直後、スルリと衣服が床に落ちていく音が耳をくすぐった。煩悩も煩悩。


 イオリはブツブツとおばあちゃんの顔を最高解像度で思い出していた。


「もう……いいですよ」


 ラナはワンピースのパジャマに着替えていた。やはり可愛らしく、イオリはごくりとつばを飲み込んだ。おばあちゃんの残像がなければ理性を失っていたかもしれない。


 ――コト、コトコトッとまな板と包丁が当たる音。食材を切るラナに対し、イオリは今日の成果を報告した。


「えっと……ラナさん。実はいろんなとこ回ったんですけど、全部クビになっちゃって。文字が読めなかったり、魔力? ってのがないみたいで」


 コト……と包丁の音が止まる。振り返ったラナは嬉しそうに両手を重ねた。


「本当ですか?! それは残念でしたね!」


 それはまるで、失くしたものが戻ってきたかのように体を弾ませていた。


「……とても残念そうには見えないんですが」


「あっいや、そんなつもりは……まだ、イオリさんと一緒にいられるんだなって」


 顔を赤くしていく二人。ラナは背中を向けて、誤魔化すように料理を続けた。



 ――二人はまだ少し気まずさが残るものの、会話をしながらラナの作ったサラダやパンを口に運んでいた。


「ラナさんは魔法使いとして生計立ててるんだ。じゃあ俺もこう……剣とかで」


 そう言いかけながら今日の肉体労働の超人達を思い出す。アレが肉体労働していることを考えると無理か。ファンタジー世界で剣を持って戦うというような幻想は早々に打ち砕かれたと思ったその時。


「いいですね! 私とパーティーを組みましょう!」


 イオリが働くことに後ろ向きだったラナが突然意欲を表す。イオリはまさか賛成されるとは思わず目をパチクリさせる。


「えっ……嫌でも、肉体労働もできないのに」


「明日ギルドに行って、適正を調べるんです。大丈夫です。私が守りますからっ!」


「ラナさんが言うなら……」


「大丈夫ですよ。イオリさんを”失うようなこと”は絶対にしませんっ」


 イオリに不安はあった。けれど、ラナが嬉しそうにしていること。そして……ラナとパーティーを組んで二人三脚で歩む未来が、今の彼にはとてもまぶしく見えたから。


 魔物との戦いがどんなものかは知らない。でも、今は浮かれる気持ちを抑えきれなかった。もしかしたらあの女神がなにかしらのチートやバフを与えてくれていたかもしれない。たとえ一見外れスキルだとしても実は裏道があって無双とか。異世界転移と言えばそれが定石だと期待に胸を膨らませていた。


 隣で微笑むラナの瞳から、すっと光が消え失せていることに、浮かれているイオリは微塵も気が付かなかった。


 ――翌日。ラナが買ってきてくれた異世界の服に着替え、鳥のさえずりが始まった街へと繰り出した。ラナと一緒に少しずつ騒がしくなり始める朝の街を歩く。路上に並ぶ屋台の一つに箱いっぱいに入ったリンゴを見つけるラナ。


「あっ、リンゴありますよ。朝食にどうですか?」


「いいの? じゃあ……もらえる?」


「もちろんです! あのっ、リンゴを一ついただけますか?」


「あいよ」


 果物屋の店主からリンゴを受け取ったラナは、それを手際よくイオリへと手渡した。イオリはありがとうと言って、半分に割ろうとするが……


「んぐぐぐぐっ!」


「ふふっ、貸してくださいっ」


 ラナは杖でコツンッと叩く、見えない何かがそのリンゴを真っ二つに切り裂く。それをイオリへと手渡す。


「はいっ、どうぞ」


「あ、ありがとう……情けねー……俺」


「いいんですよ。できることできないことは人それぞれですからっ」


 シャリッ……という音が二つ。イオリの口の中に新鮮な果汁が溢れ出す。一気にリンゴの香りと甘みが口いっぱいに広がった。


「うっ、うまい!!」


 イオリのその言葉に店主も誇らしげ。リンゴを食べ終わる頃にはギルドについていた。家五軒分くらいあるんじゃないかという広さに、見上げるほどの高さ。


「すげー……三階建て?」


「そうですね。一番上は職員用です。二階が酒場とかになってて、一階は依頼を受けたりする場所です。大きいですけど、大きな街ほど人で溢れかえっているわけじゃないですよ」



 二人は中へと足を運んだ。朝が早いということもあってか、冒険者はまばら。


 キョロキョロとイオリは落ち着きがなく視線を泳がせる。異世界モノの定番よろしく『ガラの悪い冒険者に絡まれたらどうしよう』という不安と、初めて踏み入る空間の空気に完全に気後れしていた。


「ふふっ。落ち着いてください。大丈夫ですよ。あの……ティフさん。この方をギルドに登録したいんです」


 イオリは緊張していた。ティフという受付嬢が解析用の書類やギルドカードを準備してくれている。登録料が必要だったのだが、それはラナが代わりに支払ってくれた。


 すぅ……と深く息を吸い込み、肺に溜まった緊張を吐き出す。――頼むぜ女神。イオリはなけなしの信頼を祈りに変えて、少し汗ばんだ手のひらをギルドカードへと、そっとかざした。

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