二十六話 エルフの待ち伏せ
二時間後、原初の魔女は満足そうに両手を組んで枕にし、地面に寝そべっていた。隣のイオリに向かってこう言った。
「かぁー、なっさけないのう」
イオリはその隣で死にかけのような顔で空を見上げて仰向けになっていた。表情はいまだ優れない。
「ざけんなクソガキ……おえっ」
「ほほう? 妾をクソガキ呼ばわりか。分からせてやるとするかの」
原初の魔女はイオリの上に乗る。そっとローブを上げていく。少しずつ露わになっていくのは、白く滑らかな無防備な肌。イオリは思わず生唾をごくりと飲み込んだ。妖艶に口角を上げた彼女は、さらに思わせぶりな手つきでローブを割り開いていく。
「ククッ、ガキという割には随分と熱い目つきではないかのぉ? メシの謝罪も込めて、妾が極上の時間を楽しませて――」
――だが、最高潮に達しようとした魔女の艶技は、突如として遮られる。
リリスの背後に、いつの間にか凄まじい邪気を放つエリーが音もなく立っていた。ガシッ……! エリーの細い指先がリリスの頭頂部を捉え、ミシミシと音を立てて締め上げる。そこにあるのは、完全なる無言の圧力だった。
「わ……妾、ちーっと冗談が過ぎたかもしれんのぉ……イタタタタタ!! 割れるっ! 貴重な妾の脳みそぶちまけちゃう!!」
その後、エリーの手が離れると、リリスは魂を抜かれたかのようにイオリの胸元へどさりと倒れ込んだ。頭の痛みに耐えているのか、ぴくっぴくっと小刻みに腰を跳ねさせている。
その拍子に、彼女の圧倒的な柔らかさが容赦なくイオリの体に押し付けられた。男としての本能が限界を迎えそうになるのを必死に抑えながら、イオリは冷や汗混じりにリリスを薄目で睨みつける。
「ふむ、どうやらある程度は染み込んだようじゃな。たしか、イオリとよばれておったかの。そっちのメスはエリーじゃったか」
「あ、ああ……そっちは? 原初の魔女とか言ってるけど俺にはさっぱりだからな」
「異世界人ならそんなもんじゃろ。妾はまぁ、むかーしから生きてる魔女。とでも思えば良い。名前は……んー」
眉をひそめ、少し考えたあと何かを思いついたかのように言った。
「リリスじゃ!」
「おいこら。今考えたろ」
「まぁまぁ……妾も不思議じゃが、なんかこう、ピーンと来たんじゃよ。今なら、こっそり楽しめるかもしれんぞ? ローブは便利じゃからなぁ……? エリーとやらは地図とにらめっこじゃし」
リリスはイオリの股の間に自身の太ももをねじり込み、しなだれかかるようにして唇を近づけてくる。
「ほれ……ぬしも男じゃのー。隠しきれておらんわ、とても硬――んぐっ」
イオリは耳まで真っ赤になった顔を必死にそむけながら、迫るリリスの顔面に優しく手を添えて、唇が触れるのを防いだ。
「悪いな。俺はそういうのはしない」
「……はぁ。フラれたか。仕方ないの。そのうちぬしが第二婦人でも作るようになったときにでも出直すかの」
リリスはイオリから立ち上がって退いた。ローブの下が見え、イオリが顔を背ける。
「ククッ、しかし反応は健全なようじゃな」
イオリは上半身を起こし、疲れたように腕で顔を隠しながら言った。
「うるせ」
――それからまた一時間ほどが経過すると、イオリはフラフラと立ち上がった。
「少しは、歩けそうだな」
「大丈夫? イオリ。私が肩貸すよ?」
エリーがイオリの腕を自分の首の後ろに巻き付けた。リリスがニヤニヤとその様子を見ていた。エリーは少し照れながら言った。
「なによ……あんたのせいでこうなってるんだけど」
「ククッ、まぁまぁ。よいではないか。慣らすまでは妾もちゃんと面倒を見てやる」
エリーはジト目で訴える。
「面倒を見てくれる……ねー。こっちはあんたみたいな大食いの面倒見れる余裕はもうないんだけど? もう街もないし、カバンの中はすっからかんだし。お金はあるけど……」
「じゃが妾はついていく」
エリーに重心を預けながらイオリは言った。
「諦めろエリー……こいつに常識は通用しない」
「はぁ……仕方ないわね。とにかくここから移動して街でも村でも探しに行かないと。ただでさえさっき襲われて面倒な状況なのに……」
三人は道なき道を進み続けた。もしかしたら自分たちを襲った子が村に戻っていったのかもしれない。その期待を込めてひたすら歩いた。イオリのこともあってか、遅い足取りでおよそ半日ほど進んだ頃だ。
馴染みの敵、複数体のゴブリンが現れる。
「ちょっとリリス。あんたが相手してよ。あんたのせいでイオリは――」
プイッとリリスは顔を背ける。
「嫌じゃ」
「はぁ?!」
「おいそれと干渉するわけにはいかんのじゃよ。大義名分があればまだしもな。特に命の有無というのは干渉するわけにはいかん」
「嘘でしょ?! くっ……イオリ、いける? 私だけでも倒せるかもしれないけど……」
「いや、やってみるよ。さっきよりは気持ち悪くないし、ゴブリンくらいなら」
イオリは足元のふらつきを堪え、泥を払うように剣を構えた。三体のゴブリンが、獲物を見定めたようにイオリを囲む。万が一に備えフルール・ド・シエルを発動するエリー。
一体のゴブリンが、耳障りな叫び声と共に棍棒を振り下ろした。いつもなら、風の動きと敵の予備動作から軌道を完璧に読み、最小限の体捌きで避けていたはずだった。
――しかし、頭の奥に流れ込んでくる未知の『感覚』がノイズとなり、 避けるタイミングがほんのわずかにズレる。
ゴンッ! という鈍い音。イオリの腕に重みのある一撃が繰り出された。エリーが驚く。
「ちょっとリリス?! いいことしたって言った割にイオリ弱体化してない?!」
リリスは顎をさすりながら言った。
「あれー?」
「あれー? じゃないわよ!!」
その後、イオリは空間の距離感を完全に見誤って空振りを連発し、棍棒で何度も殴られて全身泥だらけのボッコボコにされながらも、力技で強引にゴブリンの首をハネて討伐した。
「イオリ大丈夫?」
「あぁ……大丈夫。フルール・ド・シエルあるし。クッソ痛いけど。なんか、敵の攻撃が予測出来ないっつうか」
その話を聞いたリリスがポンッ! と何かが分かったかのように右手の拳を左手のひらに当てた。
「あぁ、なるほど! お主、とんだ化物じゃな。合点がいったわ。この世界の者は皆、無意識に魔力の流れを読んで敵の先手を打つ。
じゃがお主はこれまで、純粋な視覚と聴覚、己の肉体能力だけで刃を合わせておったわけだ。そりゃあ、急に魔力なんて『余計な感覚』を詰め込まれれば、世界の解像度が変わりすぎて狂うのも無理はないのぅ。くくっ、面白い奴じゃ!」
イオリは深くため息をついた。
「こいつマジで……何言ってんのか分からねぇ……」
ガサッ……。タタタタッという走り出す音が遠ざかっていく。イオリとエリーが警戒を強める。先程自分たちを襲ったエルフかもしれないからだ。耳を澄ませながら慎重に、かつ先を急いだ。
一時間ほどさらに進んだ時だった。足元に一本の矢が突き刺さる。周囲の木の上から男の声。
「――何者だ。これは警告である。それ以上一歩進めば。あっおい! 進むなと言っているだろ!」
リリスが気にせず歩いた。エリーが顎を外しそうなくらい驚いている。
「ちょっと何してんのよ?! 刺激しないで、って、きゃぁぁああ!!」
頭上の周囲から大量の弓矢の雨が降り注ぐ。




