二十一話 シェパン
「フルール・ド・シエル!!」
咄嗟に回復魔法を発動するエリー。一瞬の出来事だった。イオリの左肩の上に、その相手の手刀が降り掛かっていた。超絶的な反射速度でイオリは考える前にその腕を斬り落とす。しかし、イオリは激しく息切れをしていた。それは――恐怖。
相手は一歩だけ優雅に下がると、無くなった腕を見て感心するように自分の肩を撫でた。
「ほぉ……まさか私の腕を斬り落とすとは。しかし、一番驚いたのは私の速度に追いついたことです。むしろ超えていたかもしれませんね」
相手の腕がボコボコと音を立てながら再生していく。彼は少し上機嫌でイオリとエリーに頭を下げる。
「いくら戦闘タイプではないとはいえ、一般人に傷をつけられるほどもうろくしたおぼえはないのですが……あぁ、申し遅れましたわたくし――魔王幹部シェパンと申します」
エリーは震えながらも、地面に手を付けてフルール・ド・シエルの出力を維持する。
「魔王……幹部? こんなとこで?」
心の準備など出来ていない。もっと、乗り込むという流れを想定していた。この想定外の状況に必死に頭を回転させる。カタカタと震える腕に黙れと命令する。
――逃げる。逃げる逃げる。無理だ。まだ勝てない。目の前にして分かる。別格だ……
イオリは剣をシェパンに向け、エリーを守るように構える。
「魔王幹部と、こんにちはするなんてな。予想外だぜ」
「そうでしょうね。勇者ですらないのに対面するというのは……普通はありえませんから。にしてもあなた……ステータスはゴミ同然だと言うのに、あの強さ。不思議ですね」
シェパンは白い手袋をギュッと引っ張った。
「――少し遊びましょうか」
シェパンはスカルドラゴンの亡骸に近づき、手を当てる。骨の一部が形を変え、背の大きな剣へと姿を変える。白骨から禍々しい黒へと変化した。シェパンはそれを大きく振りかぶると、たった一歩でイオリの頭上へ移動し、軽く振り下ろした。
イオリは寸前までそれを受け止めようとしたが、本能的にいなす方向へと変換。その大剣をすべらせるように軌道をずらした。地面へとついたシェパンの剣が振動を発生させた。その揺れはイオリの足をすくませる。
「正解です。あのまま受けていたら潰れていたでしょう」
シェパンのつぶやきと同時に繰り出される腹部への衝撃。イオリは体をくの字に曲げて地面を転がる。数輪の花が一気に咲いた。
「かはっ……!」
「ほう……立てますか」
イオリは剣を支えにして立ち上がる。シェパンは顎を撫でながら花の魔法を眺める。
「なるほど。この魔法の力というわけですか。であれば、あの女を始末してからの方が――」
シェパンの後頭部にイオリの剣。シェパンは瞬間的に剣を間に挟む。彼は微笑む。
「おやおや。相当大事なお方のようで」
シェパンの超速の蹴りがイオリの腹部へと触れる。その蹴りはイオリの腹部側面を掠めた……ただそれだけなのに、肉がえぐれる。花は満開へと近づき始める。エリーを背に、繰り広げられる超速の攻防戦。
「しぶといですねぇ……面白いお方だ。魔王軍に入りませんか? 歓迎しますよ」
イオリの首をへし折るように掴むシェパン。イオリは潰れた声で吐き捨てた。
「ハッ……だれが。こっちはお前らを殺しに行くんだよ。夢を託されたからな……!!」
「それはそれは」
ゴキュッ……喉が完全にへし折られる音。刹那、シェパンの腕が切り落とされる。
「ふむ……」
シェパンが楽しんでいるその先で、エリーはすでに限界だった。満開状態の白い花畑。ブシュッ……と鼻血が垂れても必死に意識を保つ。砂漠についた手は激しく震える。視界なんてもうほとんど見えていない。
――逃げられない。圧倒的過ぎる。でもイオリが隙を見つけてなんとか……イオリ、だけでも。
「イオリ……私は大丈夫だから逃げて……!」
ぼたぼたと血が落ちていく。
――ダメ……もうちょっとだけ。イオリなら……きっと逃げられる。でも私が倒れたら、だれがイオリを……だから……だから倒れるなわた……し……
視界はすでに消えていた。カクンッ……と座ったまま、人形のように体の力が抜ける。気絶してからも数秒、満開の花畑は維持されていたが……静かにそれは散っていく。
残された砂の上でシェパンは首をかしげる。
「おやおや、お仲間が倒れましたね。もうあなたは死ぬしか未来がありませんが」
側面から振り下ろされるシェパンの剣を、イオリが防ぐ。だが――バキッ……と防ぎきれなかった衝撃でイオリの片腕が折られる。それでもイオリは立ち続けた。片腕を垂らしながら、もう片方の腕は剣を絶対に離さない。
「ざけんなよ……俺が、生きてるうちは……エリーに手出しさせねぇよ。殺せるもんなら殺してみろよ。俺がエリーを置いて先に死ぬわけねぇだろうが」
「くくっ……はははは」
シェパンはポイッ……と、剣を捨てる。
「いやはや。楽しい遊びでした。これならスカルドラゴンが死んでも元が取れたというもの。この辺にしておいてあげましょう。元々殺すつもりはありませんでしたし。我々が相手するべきは勇者であり女神。極悪であれど非道ではない」
シェパンの蹴りが空気を破裂させる。イオリの腹部にそれが食い込むとグチャッ……という音がイオリの中で発生し、血反吐が出る。視界がぐちゃぐちゃに回転する。イオリは膝をつきながらも剣は握ったまま地面に突き刺した。
シェパンが背中を向ける。
「勇者でもなければ、餌でもないものを殺す道理はありません。殺したところで旨味もありませんし。たかがレベル一であることに変わりもない。世界征服の邪魔になることはないでしょう。女神に不幸あれ。それでは」
シェパンは蜃気楼のように姿を消した。イオリは腹部を抑えながらエリーの元へと這っていった。血の足跡を残しながら、やっとたどり着いた。
「最後の一文だけは……納得だぜ」
微かな声で捨て台詞を吐くと、エリーを守るように覆いかぶさった。イオリの血が広がり、砂に吸われていく。視界が揺らぐ。最後のセリフを吐くと、一気に意識を落とした。
「エリー……ごめん」
――数時間後、エリーが目を覚ます。全身がうまく動かない。
「……私、生きてる……? ――イオリ!!」
自分に覆いかぶさっているものがイオリだと分かると飛び起きた。フルール・ド・シエルを発動しようとしても一輪の蕾も出ない。むしろ全身に強い激痛が走り、気を失いそうになる。
イオリの服をめくると腹部の青痣がひどく腫れている。体温もひどく冷たい。カバンの中に入れていた非常用のポーションや薬草を当てて応急処置をする。
「イオリ! イオリ!! 目を覚ましてっ!!」
こほっ……という小さな咳。
「良かった……生きてる!」
耳を胸に当てる。聞き逃してしまいそうなほど弱い呼吸。
「呼吸が小さい……でもここから街まで遠いし……私の魔力が回復するまで待ち続けるしか……」
砂漠の日が沈み、月が二人を照らす。何度もポーションや薬草、包帯を変えて看病する。寒さに耐えるために抱きしめて眠る。
「イオリ、あったかい? 待っててね」
震えながらも体を密着させて暖を取る。
翌朝。エリーはイオリの体に頭を乗せる。微かな魔力を使い、エリーは囁く。
「お願いどうか――フルール・ド・シエル」




