二十話 スカルドラゴン
それはイオリの頬にエリーの唇が触れた感触だった。硬直するイオリのほっぺたを指で拭って米粒を取るようなフリをするエリー。
「今のは事故だから許してあげる。忘れて」
「えっ、あっ……」
イオリは唇の触れた箇所を指でなぞる。
「私、残りはあとで食べるから。少し外の空気吸ってくるね」
「……」
イオリは放心していた。エリーは外に出ると、愛おしさに胸をぎゅーっと押さえた。あまりの恥ずかしさと嬉しさに、その場で何度もぴょんぴょんと跳ね回る。
「うぅ……しちゃった。やるじゃない私っ!」
ぴょんぴょん飛び跳ね、夜空を見上げた。
「私の夢を……叶えたい。そのための旅か」
空に浮かぶ月を見上げながらエリーは、暖かい胸の温もりとその鼓動を楽しんだ。私のために――旅をしてくれているんだ。
――翌朝。エリーはトイレで頭を抱えていた。
「やりすぎたやりすぎたやりすぎた!! ほっぺにちゅーなんて。どうやってアイツの顔見ればいいのよ……!」
小声でひたすら自分を責め立てる。
「今から出て、イオリが起きてて、それで顔を合わせて、いつもみたいに茶化せる? 無理ー!! 顔が真っ赤になるに決まってるでしょ……!!」
酸欠になるほど深呼吸をし、扉を開ける。
「おはっ、おはようイオリ」
起きていたイオリは目を合わせずに挨拶を返す。
「おはよう……エリー」
気まずい時間。
「ほらっ! 今日はスカルドラゴンを倒すんだからさっさと朝ごはんを食べる!!」
「はっはい!!」
イオリはスパッと気をつけの姿勢で立ち上がる。このやり取りで少しだけ慣れたエリーはパンッとイオリの背中を叩く。
「気張って。私たちはスカルドラゴンなんかに倒されるわけにはいかないんだから」
――二人は朝食を食べ、討伐に向けて荷物を準備する。イオリは軽く剣を振って体を慣らした。なけなしの金を使って馬車で東口へ。途中で下ろしてもらい、スカルドラゴンの発生場所へと歩き始める。
砂が風に舞い、肌に張り付いてざらつく。足は砂に取られ歩きづらい。足跡が東口から長く続いていく。エリーは太陽の位置を確認し、地図とにらめっこしながら目的の場所をイオリと目指す。
カランッ……カラカラ。骨がいくつもぶつかるような音。砂に混じって毒の瘴気が漂い始める。
「エリー」
「うん。ここらへんにいるみたいね」
濃くなっていく瘴気のせいで、視界が悪くなっていく。
「この辺のはずなんだけど……」
地面がグラリと揺れた。
「「……!!」」
二人は今立っている地面から飛び退いた。砂が盛り上がり、サラサラと落ちていく。盛り上がった砂の中からスカルドラゴンの爪が突き出てていた。地中から這い上がり、全身を現すと、イオリ達を見下ろしていた。
「フルール・ド・シエル!」
準備は整った。イオリは足場の悪いこの砂の大地を駆け回った。スカルドラゴンはイオリに標的を定め、くるくると周りながら様子を伺う。直後、その長く鋭い爪をイオリに向かって振り下ろす。
イオリは最小限の動きでそれを避けながら剣を振り下ろす。スカルドラゴンの手首の関節部分に刃が入っていく。スカルドラゴンが体勢を崩し、まるで苦しむように体をジタバタさせる。砂が舞い上がりイオリの目に入りそうになる。
「クソッ……でも関節部分なら俺でも斬れるな」
冷静に判断しながら再び剣を構える。スカルドラゴンは両手を地面にバンバンと叩きつけた。大量の砂が舞い上がり、視界はさらに最悪になる。
背後から、ゾクリとするような凄まじい風切り音が迫る。イオリは直感的にその場に身を伏せた。直後、切り落としたはずの指先の骨が、勢いよくスカルドラゴンの元の位置へと戻っていく。伏せるのが一瞬でも遅れていれば、背後からの衝突で背骨を砕かれていたところだった。
「まぁ……そう簡単にはいかないよな」
花が次々と咲いていく。イオリは花の咲き具合からエリーの限界があとどれくらいなのか予測を立てる。あまり猶予はないと判断し、一気に走り出した。自分を弾き飛ばそうとするスカルドラゴンの爪を剣で軽く触れて軌道を変えて受け流す。それは背後の砂を強く叩きつけ、天高く舞い上がる砂柱が生まれる。
間髪入れず、二撃、三撃と襲いかかるスカルドラゴンの爪。視界には映らずとも、空気の乱れや肌感、予測によってそれらを避けていた。スカルドラゴンの口内で何かが光り輝く。
「イオリ! ブレス!!」
その挙動から察知したエリーはイオリに警戒を呼びかける。イオリは進行方向を正面ではなく、斜め横へと変える。毒液が自分を通り過ぎて地面にへばりつく。シュー……という音を立てながら砂を溶かしていく。
「砂ですら溶かすのかよ……!」
イオリはスカルドラゴンの腕に足をかけた。
「あんなの食らったらエリーがすぐに限界来ちまう」
高く飛び上がってスカルドラゴンの背に乗った。
「見つけたぜコア!!」
剣を突き刺そうとした瞬間だった。スカルドラゴンの毒液が背中側へまるで針のように飛び出した。イオリは反射的にその毒をすべて斬り伏せる。
「しまっ……剣が溶け……あれ」
イオリが剣を見ると溶けていない。武器屋のおっちゃんに全力の感謝を捧げて剣をコアに突き立てた。
「勇者の尻拭い終わりだっ!!」
パキッ……! コアが音を立ててヒビが入り始める。そして――パリン! という音と共にスカルドラゴンのコアが破壊される。
ピュッ……と衝撃で飛び散った毒液が少しイオリにかかるが、すぐに再生する。イオリは飛び降りてスカルドラゴンの下敷きにならないように距離を取った。音を立てて崩れていくスカルドラゴン。轟音が響く中、エリーが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「お疲れ様イオリ! あっさりと倒したじゃん!」
「調べたおかげだな」
二人はハイタッチする。そして妄想を膨らませる。多めの路銀。ご馳走に少し楽になるであろう旅。スカルドラゴンの死骸が完全に地面へと落ちた。砂埃も落ち着いていく。エリーも瘴気が消えたことを確認してヒール魔法を解除した。
「さっ、イオリ。証拠持ってギルドへ報告に――」
衝撃音。スカルドラゴンをまるで覆い隠すかのような砂の柱。サラサラと砂の雨が降りかかる。背が高く、濃い紫色をした執事服の男。紳士的な服装とは裏腹に、犬の頭部を持つその異形は、砂の柱の隙間から冷徹な視線をイオリたちへ向けていた。
「スカルドラゴンが倒されたので勇者かと思って来てみれば……まさか一般人とは。せっかく育てていたんですがね」
イオリの本能が警告していた――逃げろと。




