十九話 旅の優先度
エリーはイオリの背中をさすっていた。ふかーくため息をついた。
「もうやだコイツ……なんで意気込むと毎回吐くまで飲むのよ……」
「あそこ暗くて、自分がどれだけ飲んだか分からな……うっぷ」
「はいはい。今度から私が呑む量を管理するからね? いい?」
「はぁ……はぁ。はい……オネガイシマス」
エリーはイオリに肩を回した。
「もう大丈夫?」
「吐くことは無いと思う……」
ふらっふらのイオリを宿まで運び、ベッド近くまで誘導する。
「ほら、どうせ明日はゆっくりするんだから。このまま寝ちゃいなさ――キャッ!」
言葉の途中で完全に意識を失ったイオリが、倒れ込むようにして彼女の上に覆いかぶさった。
不意に押し倒される形になったエリーは、耳元で心臓をバクバクと激しく鳴らす。イオリの重みを感じ、彼の肩越しに天井を見上げながら、潤んだ目をそっと閉じた。
「し、仕方ないわね……もう少しこのままでいさせてあげるわよ」
イオリがボソッと、小さな声でラナさんと呟いた。それは寝言。エリーは口を閉じて優しく抱きしめた。
「さみしんぼ。おやすみなさい」
朝までずっと、彼女が目を覚ますその時まで抱きしめ続けていた。
――翌日、イオリが目を覚ます。ズキズキする頭を押さえながら周囲を見渡す。
「ん……あれ、エリーは? う、頭いてー」
イオリは立ち上がり、部屋にあるトイレへ入ろうとした。カチャッ……鍵がかかっている。
「あっ、入ってる?」
「……んっ。もうちょっと待ってて、朝ごはんは用意してあるから」
「……? 分かった。早くしてくれよ? こっちは決壊寸前だからな」
返事は帰ってこなかった。それから少しして、二人は朝食を食べた。
「エリー? 熱でもあるのか?」
「なんで? 元気よ」
「いや、なんか顔が赤いから」
「っ……なんでもない。気にしないで。ずっとあんたと一緒だから……一人の時間がないのよ」
「え? なんて?」
「聞こえなくていいの。聞こえないように言ってるんだから」
――その日の昼頃、イオリ達はギルドハウスへと来ていた。スカルドラゴンの討伐。依頼書を見る限り、報酬はかなりのもの。それだけ見ればミキューの報酬よりもよっぽど高額だった。念のため、エリーはイオリの胸に人差し指を突き刺すように当てる。
「いい?! 言っとくけどこの街に寄付とかぜーったいしないからね! 今回は事情が違うんだから」
「さすがにしないよ。困窮してるわけでもないみたいだし」
「はぁ……だったらいいけど。あんたに言われたら私は拒否できないんだから」
「そうは見えねー……」
数々のエリー優位の状況を思い起こしながら、否定するイオリ。それを横目にエリーは受付でスカルドラゴンの依頼を受注する。そして図書館を探してイオリをそこへ連れて行く。目的はスカルドラゴンの特徴などの情報だ。
イオリはエリーに言われるまま魔物の本を漁っていく。
「なぁエリー。今回はなんで調べるんだ? 前回のミキューとかは受付嬢の説明だけで向かったろ?」
「毒による影響速度が知りたいからね。攻撃方法とか、いろいろ。その場で対処していいような相手じゃないでしょ? 『冒険者たるもの、常に万全の用意を』ってね」
エリーはスカルドラゴンの本を見つけると、テーブルの中央に置いた。指でちょんちょんとイオリの肩を叩く。二人で肩を並べながらその本を読み始める
「毒液に触れたら溶けるのね……瘴気は神経毒で少しずつ……」
「攻撃は基本的に毒液を吐くか、爪での攻撃か……問題は俺の剣でコアを破壊できるかだな」
「あっ、コアの場所書いてある。後頭部と脊椎辺りだってさ」
「確かにこれは……重要な情報だな。あるのとないのとじゃ違う」
――本当に偶然、同じタイミングでお互いの顔を見た。少しだけ、互いに唇を近づける。窓から差し込む夕日がロマンチックに演出する。キスする寸前、ぐいっとエリーがイオリの口に手のひらをあてた。
ラナを想っているかもしれないイオリと、こんな雰囲気だけで流されたくない。そんなエリーの、切ないプライドが足を止めさせたのだ。
「近いわよばーか」
「あっ……あぁ確かに」
少し気まずそうにしながらパタン……とイオリは本を閉じた。
その日の夜。イオリはエリーに言われて夕食を買いに出かける。一人になったエリーはシャワーを浴びながら俯いていた。その目からは涙がこぼれている。
「……バカ……私のバカ、変なプライドばっか……」
シャワーを流し続ける。まるで泣いているのを誤魔化すかのように。
「イオリが……ラナの代わりに私をとか、イオリはラナを見てるからとか……そんなことばっかり浮かぶ……だめだ、こんなこと考えちゃ。イオリは冒険者としてのパートナー……だから、そんな目で見ちゃダメ……私の夢なんて二の次。これは――イオリがラナを取り戻すための……旅なんだから」
パンパンッとほっぺを叩いて誤魔化した。
体を拭いて、タオルを巻きながら浴室から出たとき。
「あっ」
イオリがエリーのタオル姿を目撃してしまう。即座に背中を向いてごめんと謝り倒す。けれど今日は、いつものエリーらしい声が聞こえてこない。
「エリー?」
背中越しに声だけを届ける。
「そのまま後ろ向いてて。今日は……疲れたから。許してあげる。あんたが悪いわけじゃないし」
着替えを取って、再び浴室でエリーはパジャマへと着替えた。
――夕食の豚肉のお弁当を二人で食べながらエリーはラナについてイオリに尋ねた。
「ねぇ。あんたさ。ラナに道中あったらどうすんの? 連れ帰る?」
もしそうなったら、イオリの奪い返すという物語は終わる。エリーはそう思っていた。夢を託すなんてのは、イオリを奮い立たせるための話。いくら自分が本心で託していても、イオリがラナを取り返したのなら、背負わせるつもりはエリーにはなかった。
イオリは窓の外を眺める。
「どうかな……近くには勇者もいるだろうし。話したいし勇者から奪い返したい。けどさ――今の俺にはやるべきことがあるから」
「やるべき……こと?」
イオリは食べる手を止めた。
「――俺はエリーに託された夢を叶えたい。俺を信じてくれたエリーの為に、旅をしてるんだ」
ぽかん……と口を開けていたエリーだったが、張り詰めていた何かが融けるように、突然くすくすと笑い出した。
「ふふっ、あははっ……あーあ、バカみたい」
「はっ?! バカってお前、こっちは真剣に――」
「あんたに言ったんじゃないわよっ」
エリーは立ち上がると、呆然とするイオリの背後へと回り込んだ。椅子に座って正面を向いているイオリに小声で囁いた。
「ほら、こっち向いて。米粒がほっぺについてるわよ」
「えっ? マジ? あんなかっこいいこと言ったのに?」
「あははっ――なにそれっ、自覚あったの?」
イオリは言われた通り、横に立ったエリーの方を向こうとした。柔らかな唇の感触がイオリのほっぺに触れた。




