十八話 ピアノ
「エリー? 何しに行ってたんだ?」
イオリは部屋で自分の剣の手入れをしながら、息を切らして帰ってきたエリーに問いかける。
「なんでもないからっ」
少しツンツンしたエリーに、首を傾げながら視線を剣に戻す。あの日、ラナに買ってもらった剣。軽さだけでなくかなり丈夫で、これだけ使い込んでも壊れる気配がない。未だに刃こぼれ一つなしという優れものだった。
「あっ、そうだイオリー。ごはんどうする? 路銀はあんまりないけど……情報収集もあるし酒場行く? ずっと干し肉だったしちょっと贅沢しようよ」
「ん? あー……そうだな。確かになんか、腹減ったし」
剣の手入れで夢中だったイオリは自分の空腹に言われて気がついた。剣を鞘にしまって二人は近くの酒場へと移動する。中のライトは温かみが強く、ステージでは楽器を奏でる者たちがいた。
「へー……この世界にもピアノあるんだ」
「知ってるの? 私は楽器のことはよくわかんないけど。マスター!」
エリーはいくつかの料理を注文する。値段も手頃で助かったとエリーは満足げ。ピアノを弾いていた人が席を立つ。どうやら弾きたい人が弾く。そういうスタイルらしい。
「イオリ?」
エリーは「ちょっと行ってくる」と、席を立ったイオリの背中を見送る。ピアノの前に進んだ彼はそっと椅子を引き、鍵盤に対して肘の位置を合わせる。。ポンッ……と指が跳ねるような指使いで音を確認する。そして両手の指に力を込めた瞬間だった。
イオリの演奏が酒場を包み込んだ。ジャズという独特な演奏方法は異世界にとっては異国の音楽。にもかかわらずそれは酒場の中で調和を保っていた。
ゆったりとしながらも、鍵盤から弾き出される音はその主張を弱めない。酒場の空間に静かな癒しの音色が染み渡っていく。この瞬間この場所は酒を飲む場所ではなく、音を聞く場所へと変わっていた。酒を飲む手が止まる客。それはエリーも例外ではなかった。
ぽーっ……とエリーがイオリを眺める。
「なによ……かっこいいじゃん」
この音楽を楽しむ為に、誰もが耳を傾ける。あっという間に時間は過ぎ去っていた。イオリがそっと静かに余韻を走らせ、優しく手を止めた。
――静寂。そしてカランッ……という氷が溶ける音で現実が戻ってくる。拍手を浴びる中、エリーはうっとりとした目で見ていた。
「~~~っ」
――かっこいいぃ……いきなりなんなの、一人じゃ生きていけなかったやつが……こんな……知らなかった……弾けたの?! 顔が赤い? いや、ここは暗いし絶対バレない、大丈夫……!
エリーが必死に平静を装おうと、表情を取り繕っているときだった。
バンッ!! 荒ぶった音と共に、酔っ払った大柄な複数人の兵士が扉を蹴破る。
「うぃー、ひっく……なんだぁ? 静かだな」
雰囲気は完全にぶち壊されていた。そしてその視線はエリーへと向いた。潤んだ彼女の目はどうやらその兵士の気を引いたらしい。
「おっ……今日は若い女がいるのか。まぁなかなかの」
手がエリーの胸へと伸ばされた、その瞬間。
――キィン……と、静かだが、あまりに鋭い抜刀音が酒場に響く。
「――その手が触れる前にその手首を切り落とす。警告はこの一回のみだ」
いつの間にか戻ってきたイオリが、剣の切っ先を兵士の首筋へと正確に当てていた。その大柄の兵士は冷や汗を流す。冷たい感触が首筋に伝わり、恐怖を煽る。
「こいつ……いま、なにを」
理解できていなかった。魔力のない最速の剣。予測不能の攻撃は相手を完全に萎縮させた。
「じょ……冗談だよ。マジになんなって」
ピッ……と首の皮が切れる。小さな傷口から血がツーッと垂れた。
「悪かった!! 何もしない!」
クスクスッと周囲の客から笑い声。あれだけ横暴切って、萎縮したのだから当然といえば当然だ。居心地が悪くなった兵士たちは店を変えるために踵を返した。
「エリー? 大丈夫……か」
ぎゅっ……
「ん……ありがと」
「みんな見てるから……その恥ずかしい」
ヒューヒュー! と周りの客は茶化していた。
「今だけよ」
エリーはバッと離れた。心底照明が暗くて良かったと彼女は思った。もし……明るくて、この顔を見られたら……もう何も誤魔化せないから。
運ばれた料理を二人で食べながら周囲の話し声が聞こえてくる。
「なぁ聞いたか? あの勇者が倒したドラゴンのこと」
「あぁ……あれな? この国の近くに出没した小型ドラゴン。倒したってやつだろ? やっぱ勇者はすごいよな。ギルド側もかなりの金額を報酬で渡したとか。国王が直々に財政から金を引っ張り出したんだってやつだろ?」
「それがよ。なんか……復活したらしいぜ?」
「復活? なんでまた……ドラゴンの首は落としたんだろ?」
「勇者がコアを破壊しなかったんだってよ。魔物はコアを破壊しないといずれ再生するのに。しかもたちの悪いことにスカルドラゴンに進化しやがった」
「はぁ?! やべーじゃねーか。大丈夫なのかこの国」
「あぁ……やばいぜ。なにせ毒を撒き散らす上に強さはドラゴン級。ギルドが依頼してるけど対応できる冒険者がいないって。だから今勇者に連絡を送っているらしんだが……」
「うん、それで?」
「”拒否”された。俺様がそんなミスをするはずがない。お前達の責任だって」
「まじかよ……まぁ勇者が言うんじゃ……何も言えないけどよ」
「ったく……だから東の経路は封鎖だってさ」
――エリーはため息をつきながら、鶏もも肉ステーキの特製ソースがけを口に運んだ。
「勇者も適当ねー……コアを破壊せずに終わらせて、報酬かっさらっておいて、尻拭いもしない」
「なぁエリー……」
エリーは名前を呼ばれると、ふかーくながーいため息をついた。
「分かってる。どうせその依頼を受けよう。でしょ?」
「正解っ! エリーの魔法で毒はなんとかなるだろ?」
「言っとくけど……短期決戦だからね? そんなのと戦ったら私だってすぐに魔力切れ起こすわよ」
「任せろ。俺がすぐにそのコアを破壊してやるさっ」
「調子乗ってるわねー。ここんとこ調子いいからって」
――数時間後。
「オロロロロロロ」




