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十四話 旅立ち

 ――とある日の昼下がり。イオリ達から遥か遠くの街。薄暗いレストランの中心テーブルにて勇者はビールの入った木製ジョッキを傾けていた。


「おいマスター! 追加の酒!!」


 ガンッ! と勇者ハルトは手にしたジョッキを机に叩きつけた。あまりの強さに木製ジョッキは粉々に砕け散る。マスターは頭を何度も下げながら媚媚びでも売るように言った。


「はいっ! ただいま持って参ります!」


 近くのテーブルでは勇者の仲間が座っていた。女剣士が一人、魔法使いが一人、情報屋のスフィアが一人、そして……魔力タンクのラナ。


 その凄まじい音に、ラナはビクッと肩を揺らした。 怯えながら杖を強く握りしめ、視線を勇者へと向ける。近くのテーブルに座る他の仲間たちは、慣れっこなのか気にする様子もない。居心地の悪さを感じたラナは小さな声で言った。


「すいません……外の空気を、吸ってきます」


 ハルトは目を向けることなく、マスターが怯えながら差し出してきた、なみなみと注がれた新しいジョッキを勢いよく傾けた。彼の周囲には呼び出した夜の女性たちが取り囲んでいる。勇者をおだて、彼の体を撫で回す。


 それを尻目に一人外へと出たラナ。表に人の気配はあまりなかった。木造の街並みが一瞬、自分の故郷と同じような錯覚を生み出した。


 それがむしろ、かつて故郷でイオリと過ごした平穏な日々を思い出させ、ラナの胸を強く締め付ける。あの日々を捨ててまで選んだ現実が、これなのだと突きつけられるように。


「あれから……一年くらいですか。イオリさんは大丈夫でしょうか。きっと……大丈夫ですよね。だって、いつの間にかゴブリンも一人で倒せるようになっちゃいましたから。だから、私がいなくても……私なんか、いらな……」


 涙が勝手に溢れてくる。急いでラナは路地裏へと駆け込んだ。口元を手で押さえる。


「どうして……泣くんでしょうか。だって私は……夢を叶えているはずなのに、ちゃんと活躍して……それで、胸を張ってイオリさんの元に帰って……」


 ――今すぐ会いたい。そんな無責任な言葉が浮かぶ。しゃがみ込み、言葉にできない泥泥とした苦痛が胸を締め付ける。


 路地裏の、ラナからは見えない影でスフィアの尻尾がゆらゆらと揺れる。ピクピクと耳を動かし、ラナの漏らす後悔を拾い集めていた。


「……はぁ。またにゃ。でも気持ちはわかるにゃ」


 聞こえるはずもない独り言。


「英雄の昔話とは似ても似つかない勇者。何をしても勇者という看板を盾にすれば許される。あの男は狂ってるにゃ。今日だって中型モンスターを一体倒しただけで豪遊にゃ。やれやれ」


 スフィアはラナの泣き声を聞きながら腰を下ろした。その目はどこか、ラナに似ていた。


「あんたは天秤に乗せるものを間違えたにゃ。でもこれが選んだ道の代償にゃ。世界を敵に回しても戻りたい……まぁでもラナには、もっと重い責任が乗っかってるからにゃ」



 勇者の笑い声が、まるで嘲笑うかのように酒場から漏れていた。



 ――同時刻、昼下がりの街でイオリとエリーは冒険に必要なものを買い揃えていた。イオリはパンパンに詰まったカバンの中身を確認する。ひとつ、またひとつと荷物を取り出しては、念入りにチェックを重ねていく。


「えっと……万が一のポーションに、路銀。あとはいくつかの魔道具と……」


「何回確認するのよ。大丈夫。もし足りないものがあっても道中立ち寄る街で買えばいいんだから」


「いやぁなんか……心配になるというか」


「はいはい。さっさと行くわよ!」


 イオリを全く気にすることなく歩き出すエリー。イオリは慌ててバッグに荷物を詰め直して追いかける。


「置いていくなよー!」


「あんたがトロトロしてるからでしょ?」


 エリーは浮足立っていた。夢を叶えるために旅立つのは……長年待ち焦がれていたものだからだ。ただ夢を見続けていただけの、故郷で燻っていただけの日々。そんな自分の環境が、今まさに変わろうとしているのだから。


 出口でギルドの馴染み達が手を振っている。


「おーい。お前ら!」


 あのガタイのいい冒険者もそこにいた。


「出立だな。気張れよ!」


「あぁ! わざわざ見送りなんてありがとな。行ってくる」


「お前はひときわ目立ってたからな。最弱のくせに元気で場を盛り上げる。最弱のくせに剣を捨てねぇ。そんな英雄に俺達は期待しちまうのさ」


「ばっ……あのな。そういうことを言われても、俺はまだゴブリンしか」


「期待させてくれや。未来の英雄。みんなお前に夢を見てんだ」


 大柄な冒険者は、ポンッとイオリの背中を叩く。イオリはそのまま送り出される。振り返ると、道具屋、武器屋、防具屋。それだけじゃない。いろんな店や依頼をしてくれた人まで見送りに来ていた。


 エリーが肘でつつく。


「よっ、未来の英雄。人徳あるじゃん」


「そういうこと言うなよ。照れるだろ……」


「今のうちに慣れておきなって。これからあんたはもっともーっと感謝されるんだから」


 次第に街が見えなくなっていく。見送りの声も遠く小さくなっていった。


「なんか、寂しいな」


「故郷を離れるってそういうもんよ」


「故郷? そっか……故郷か。日本からこの世界に来たときは……寂しいとかなかったのにな」


「なにか言った?」


「今は前だけ向こうぜって話」



 ――二人が旅を始めて二日目のことだった。開けた草原で野営をすることに決めた二人。大きな岩がまばらにある程度の環境で、野営にはぴったりの場所だった。


 簡易的なテントを広げ、エリーが火をつける。集めておいた木材がパチパチと水分を飛ばしながら燃え上がっていく。カチッ……という音が聞こえ、彼女はイオリに視線を向けた。イオリが剣に手をかけていた。


「魔物?」


 焚き木を足して火を大きくしていくエリー。焚き火はさらに燃え上がる。


「あぁ、一体だけ。四足歩行の小型モンスターだな」


「ウルーかな?」


「たぶんな」


「私いる?」


「大丈夫」


「分かった。本当に感覚鋭くなったよね」


「何度も死にかけるほど修行したからな……」


 イオリが足音もなく進んでいく。


 ――ウルーと呼ばれた狼のような魔物はまだイオリに気づいていない。足元を見ながら匂いを嗅いで獲物を探っている。まだ自分が捕食される側だとは思っていないということだ。


 耳がピクリと動くが、イオリの方を見ることはない。イオリが一歩を踏み込んだ瞬間、わずかに風が乱れ、ウルーは振り返った。


 ――その刹那。鞘から抜き出されたイオリの剣が半月を描いた。ウルーの首が地面を転がった。イオリは剣についた血を振り払う。半円の血飛沫が月夜に照らされる。


 彼はゆっくりと鞘へ収めた。ウルーの首から下を掴んで野営地へと持っていく。


「ただいまー」


「おかえり。早かったね」


「奇襲できたからな。スパッと一太刀」


「やるじゃん。これでついにゴブリン以外の魔物を倒したわけね」


「手応えはなかったけどな」


「いいじゃない。どうせこの先、化物みたいなのとばっかり戦うんだから」


 エリーは小さなナイフを腰から抜き出した。そしてウルーの皮を剥ぎ取り、肉を捌いていく。


「次の町は明日つくから。そんなに大きなところじゃないみたい。その先の小国が目的だから中間地点ってところね」


 ウルーの肉を骨ごと丸焼きにする為に木の棒で支えを作った。


「うんいい感じに作れた。あっ、言っとくけど、塩しかないからね。贅沢な味付けなんて……」


「大丈夫。エリーなら塩だけでも抜群にうまく作るから」


 ボトッ……と木の棒が焚き火の中に落ちる音がした。暗闇を照らす焚き火の炎だけでは説明できないほど、彼女の顔は赤くなっていた。

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