十二話 日常
エリーは勢いよく立ち上がり、背後からイオリの背中を強く叩いて大きな声で言った。
「しゃーないわねっ! だったら奪い返しに行くわよ!!」
「いったっ!! 手加減とかないのかよ?!」
イオリは、痛む背中に手を当てようとするが普通に届かない。エリーはクスッと笑う。振り向こうとするイオリの頭を、エリーは背後から両手でぐっと挟み込んで固定した。彼女は今の自分の顔を見られたくないのだ。
「体かったいわねーあんた」
エリーは片手を自分が叩いたイオリの背中にあてて、優しく撫でる。
「モブだから何も得られない? そんなふざけた世界のルールに剣を向けたんでしょあんたは。だったらそれでいいじゃない」
そっとイオリを後ろから抱きしめる。大きな胸がイオリの背中に押しつぶされる。
「ちょっ……エリー胸がっ」
「黙ってなさい」
静かな時間が流れる。目を閉じて、イオリの背中をその身に感じる。少しだけ目を開ける。
「私の夢、剣士になることだった。それで絵本の勇者みたいに魔王を倒すんだって。こんな夢、だれにも言えないでしょ」
「エリー……じゃあなんで」
「なんで勇者パーティーに行かなかったかって? 私はね……剣士の才能が絶望的にないの。適性はヒーラー。それが世界の決めた私の役割。それでも、どうしても夢を諦めきれなくて、ずっと無駄に剣を握ってたのよ。
――それに、ラナに捨てられたあんたを、放っておけなかったから。バカよね。自分の夢の可能性を完全に捨ててまで、あんたの隣にいることを選ぶなんて」
エリーはさらに胸を押し付けるように腕の力を強め、彼の耳元で優しく囁いた
「イオリ――私の夢、あんたに託してもいい?」
それはエリーがイオリを奮い立たせるためのもの。同時に、自分の夢を本気でイオリに託したいという気持ちで言った。彼女はイオリに――英雄になって自分の夢を代わりに叶えてほしかったのだ。
エリーは一呼吸置いて、頭をイオリの頭にくっつけた。
「あんたが剣士になって、魔王を倒す。女神が許せないんでしょ。勇者が気に食わないんでしょ。だったら覆してやればいいじゃない。賛成するわ。そんで私が全部、支えてあげるわよ。もしあんたが……私の夢を代わりに背負ってくれるのなら……だけど」
彼女のイオリを抱きしめる手が震える。ずっと捨てられなかった夢を他人に託す。断られても無理強いはしないという二つの覚悟が現れていた。自分の夢を、押し付けるような呪いの言葉にはしたくなかったから。
「エリー」
彼女の腕に手を被せるイオリ。振り返ってエリーの目を見つめる。唇が触れそうなほど近かった。
「俺を、信じてくれるか?」
「ふふっ、バカね。信じるに決まってるでしょ? 私もバカなんだからっ」
互いにおでこを当てて笑い合う。
――イオリはそれから、心身の回復に長い時間をかけた。月日はさらに流れ、自然と町に顔を出すことができるようになる。エリーはいつもその隣でイオリが無理をしていないか確認する癖がついていた。ある程度回復をし始めると、筋力トレーニングから始まり、たくさん食べ、エリーと模擬戦をするようになる。
そして今日は実践の日――無意識化だった剣術に再びたどり着くために、ゴブリンの巣窟へ。イオリが足を踏み入れた瞬間、蕾が一面に広がる。
「イオリ! 好きなだけボコられて!!」
「おいおいおいっ! ボコられたいわけじゃねーんだけど?!」
空気を読まずに襲いかかってきたゴブリンの首を反射的に落とす。途中で引っかかりを感じ、まだまだだと実感するイオリ。何が悪かったのかと思い返そうとしたときだった。
ゴンッ! と背後のゴブリンに頭部を殴打される。治っては行くが……
「いってぇ!!」
痛みが消えるわけじゃない。振り返りざまに涙目でゴブリンに蹴りを入れる。ゴブリンが蕾畑にゴロゴロと転がった。
「むしろやられてほしいけどね。私もヒーラーとしての経験値を積まなきゃなんだから」
「わぁー、全然心配してくれてねぇ」
イオリはその転がったゴブリンにとどめを刺す。ゴブリンを殺すたびに研ぎ澄まされていく感覚。どこか懐かしいような……静かな世界。無意識化だったあの世界を覗いていた。
イオリは半歩下がりながら剣を切り下げる。飛び込んでくるゴブリンの力を利用してスッ……と刃は地面へとついた。
――まるで抵抗を感じない。それが正解であると知っているかのように。
だがそんな世界は長くは続かない。些細なことでプツンッと糸が切れるように集中力が消える。イオリを覆う大量の影。
「「あっ」」
イオリとエリーが同時にその光景を目にする。
――ここはゴブリンの巣窟。辺り一面のゴブリンがイオリに向かって飛びかかっていた。
押し寄せるゴブリンの群れに比例して、視界の蕾たちが次々と狂ったように花を咲かせていく。イオリの悲鳴のような断末魔が響く中、エリーは急激な過剰回復による魔力酔いで、強烈な吐き気に襲われた。
「うっ……無理っ! イオリ限界!!」
その声を合図に、イオリは即座に剣を鞘へと叩き込んで駆け出した。すれ違いざまにエリーの身体をひょいと横抱きに抱え上げ、全力疾走に移行する。
――大量のゴブリンに追われるという図が出来上がった。しかし……ゴブリンからすればたまったものではない。突然やってきて蹂躙して、都合が悪くなったら逃げ出すのだから。
おそらくゴブリンから最も怒りを買われている存在がいるとすればイオリだろう。
イオリは、ゼーハーゼーハーと息を切らしながら街まで帰ってきた。背中に抱きかかえていたエリーを下ろし、地べたに両手をつけて座り込む。
「つっ……つかれだ……」
「あんた、結構体力ついてきたわよね。私を抱えて全力疾走なんて」
「そうか……?」
エリーは髪先を指でクルクル巻きながらボソッと呟いた。
「別に私だって走れるのに」
「はぁ? あんな真っ青な顔で限界とか言われたら走れるとは思わんだろ。どうせまた限界まで続けたんだろ?」
「それはっ……だって、少しでも長くあんたが……頑張れたらって、あんたが強くなっていくの、見てて嬉しいっていうか……」
「は? 声が小さくて聞こえないっての」
「むっ……あんたが予定より早くぼっこぼこにされたからでしょうが!!」
ガミガミと言い合いをしながら街へと入っていく。まるで言い合いなんか忘れたかのように、その日の新鮮な食材を二人で選び、紙袋へと詰めていく。
「イオリー。今日はサンドイッチでいい?」
「いいぞ。だいぶハムも安いしな」
いつものように具材を買った二人はエリーの家へと帰っていく。玄関の扉を開ける頃には夕日が差し込んでいた。二人で手分けしながら調理していく。
「イオリー。パンきっといて」
「分かったー」
二人並んで狭いキッチンに立つ。その時、隙を突いてイオリの手が伸び、エリーが切ったばかりのハムをぱくっと一枚盗み食いした。
「あっこらっ! 何つまみ食いしてんのよ!」
「だって腹減ったし」
「あと数分で完成でしょうが! 待ちなさい!」
ガミガミと怒鳴り散らしながらも、エリーは自分の指先でハムを一枚つまみ、そのまま口へと放り込んだ。もぐもぐと咀嚼しながら美味しそうに、ふにゃりと頬に手を当てる。
イオリは呆れた様子で、手元を動かしながら呟いた。
「……お前なぁ」
「えへへっ。私だってお腹くらい空くわよ」
二人は食卓を囲み、サンドイッチを頬張る。味の濃いソースが具材と一緒に流れ込んでくる。疲れた体に染み渡るちょうど良さ。イオリもエリーも美味しいと言いながら口にソースをつけていた。互いに指摘して笑い合う、そんな一日だった。




