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十一話 シチュー

 イオリが落ち着いたのはそれから数十分後のことだった。精神の疲労はなかなか抜けないらしく、表情はまだどこか影がかかっている。


 エリーはイオリの頭を撫でながら名残惜しそうに離れた。


「お腹空いたよね。今から作るから待ってて」


「あっ……うん。ありがと」


「いいのよ。私が好きでやってることだから」


 ありがとう、その言葉で勝手に笑みが零れそうになる。背中を向けて無理やり隠した。キッチンへと足を進め、包丁を握り、いつものように野菜を極小のみじん切りにしようとした瞬間──ピタッ、とエリーの手が止まった。


「あ……そっか。もうちゃんと起きてるんだから、別にこんなに細かく刻まなくてもいいんだっけ……」


 寝たきりだった彼のために、ずっと付きっきりで離乳食のようなスープを作り続けていた。その癖が染み付いていることに気づき、エリーは少しだけ気恥ずかしくなる。


 魔法具に魔力を送り込む。円形の炎がボッ! と燃え上がる。魔力量を調節して鍋を乗せた。肉に焼き目を入れながら程よいところでじゃがいもやニンジンを入れていく。小麦粉を混ぜ、水とミルクを流し入れる。味を調節しながらそのまま火にかけ続けた。


「よし。これで大丈夫」


 イオリがその様子を関心するように観察していた。


「へー、エリーって料理できるんだ。すげー手際いい」


「あんたね。私はここで一人暮らしなのよ? それに冒険者ならある程度の料理くらいできるわよ。遠出したら野営なんて普通なんだし」


「それもそっか……」


「あぁ……そっか、あんたはいつもラナが作ってたんだっけ」


 コポッとシチューが大きな泡を吐く。エリーはヘラを使って、かき混ぜ始めた。


 魔法具から火が消えていく。器へとシチューを移していくエリー。

 コト……シチューの入った器をテーブルへと並べていく。


「ほらっ、食べな。私が手間かけて作ったんだから」


 イオリはスプーンでシチューを口の中へと運んだ。温かく濃厚なシチューが喉を通っていく。


「……おいしい。それになんだか、食べたことがあるような。とても”懐かしい味”がする」


 その一言に、エリーはシチューを口へ運ぶ手をピタリと止めた。ドクン、と心臓が大きく跳ね上がる。


 ――なんだ……私のやってきたこと、無駄じゃなかったんだ。私のシチューの味……覚えてるんじゃん。


 胸の奥から熱いものが一気に込み上げてくる。しかし、それを必死に表情から締め出した。


「あっそ。まぁどっかで食ったんじゃない? 美味しかったんならそれでいいわ」


「うん……今までで一番美味しい。落ち着く」


「~~~~~ッ!!」


 エリーは今すぐ目の前のバカをボコスカ殴りたかった。そうでもしなければこの照れを誤魔化せない――だが、それをグッ……と堪えて、震える両手を太ももに押し付けた。チラリと視線を上げると、イオリは何も気づかずに美味そうにシチューを咀嚼している。


 逃げ場のない熱が顔面に集中し、耳の裏まで真っ赤に染まっていくのが分かった。


「エリー? 食べないの?」


「たっ、食べるわよ!!」


「えっ、なんで怒ってんの?」


「怒ってない!! 怒ってないから……さっさと食べちゃって」


「ん、分かった」


「はぁ……」


 ――お腹を膨らませたイオリは、椅子の背もたれに体を預けるようにして姿勢を崩した。


「はぁー……美味かったー」


「あっそ。良かったわね」


 エリーは水魔法を使ってシンクで洗い物をしていた。ふと口角が上がっているのに気がつき、すぐに下ろす。そしてラナの夢のことをイオリに話した。死んだおじいさんにもずっと言っていた昔からの夢。


 勇者パーティーに入って活躍すること。


 それを聞いたイオリが窓の外を見る。


「そう……だったんだ。確かに出会った頃、そんな話を聞いた気がする」


 エリーは悲しげな表情をしながら食器の水気を切っていく。


「私はさ。ラナを許せない。ラナは……あんたしかいなかった。だからあんたを手放さないようにしてた。檻に閉じ込めて、檻の開け方を教えない。なのに自分の夢が転がってきたら……鍵をかけたまま捨てたんだ。ラナにだって葛藤はあったと思う。でもやっぱりあんたを捨てたこと――私は許せない」



 食器を一つ一つタオルで拭いていく。そして甘いコーヒーを二つ淹れてイスに腰掛ける。


「はい。食後のコーヒー。甘くしたけど……あんたの好みだったわよね?」


 イオリは頷いてコーヒーを口へ運んだ。


「俺は……ラナさんを責められないし、恨めない。ずっと、夢だったものが叶えられるかもしれないんだったら、それを……拾われた俺がなにか言えることじゃない。命の恩人でもあるから」


 エリーは机を叩いて立ち上がった。


「だからって……! その責任も取らずに無言で出ていくなんて……私はやっぱり許せない」


 イオリは下唇を噛んだ。冷静な今、イオリはラナを責め立てることができなかった。


「あんたね……腑抜けすぎよ」


 諦めたようにエリーはイスに座った。イオリにはもっと怒ってほしかった。理不尽だって。でもイオリはラナを責めなかった。エリーはもどかしい気持ちを持ちながらも、こう問いかけた。


「だったら、なんであんた……あんなに追い詰められてたのよ。あのときはラナを恨んでたの?」



 イオリは首を横に振り、コーヒーを眺めながらこの世界に来た時のことを語り始めた。


「俺さ。転移してきただろ。前の世界で、ずっとモブだったんだ。だれの記憶にも残らないような人生。すげー悩んで、死んでしまいたいと思うくらい……思い詰めたこともある。でもあのクソ女神が俺を殺したんだ。間違えて連れてこられたけど、正直幸せだった。でもラナさんが消えて、探しに行ったら代わりに勇者と会った」


「あんた……勇者に会ったの?」



「会ったよ……手も足も出ずに、ゴミみたいにボコられた」


 イオリは自嘲気味に笑ったが、その瞳の奥にはドロリとした昏い炎が揺れていた。


「こんなやつに、ラナさんを奪われたのかって。俺がモブだから? あいつが世界の中心である“勇者”だから? 全部が最初から決まってたみたいに、あのクソ女神の手のひらの上で転がされてるのが、どうしても許せねぇって思った。


 だから、あの時は世界ごとあの女神に剣を向けて、全部奪い返してやろうって、本気で頭が狂ってたんだ……まぁ、そこから先の記憶は、全然ないんだけどさ」


「ラナのことを恨まないなんて、あんた本当にバカね」


「あははっ。そうかもな。俺も……依存してたんだよ。だから……罪があるのなら二人ともなんだ」


「バカらし。奪い返す……か」


 エリーは両腕を机の上に乗せた。その上に自分の頭を乗せて顔も隠す。本当は聞きたかった。イオリがラナを好きかどうか。でも、怖くて聞けなかった。それを聞いたら泣いてしまいそうだったから。



 ――薄々自覚はしてた。私は……きっと。

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