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十話 名前

 ――その日、いつものようにゴブリンの死体の山が積み上がっていた。狩り尽くしたイオリはフラフラと移動を始める。より森の奥へ。街からどんどん離れて危険な場所へと吸い寄せられるように。


「イオリ」


 エリーが正面に立ちはだかる。エリーの手が震え、こわばった。


 だが、イオリはその横をすり抜けていく。震えていたエリーの拳に力が入る。


「あっそ……私のことなんか、本当にどうでもいいんだ」


 ――イオリの首をエリーの剣が捉えた。イオリはその僅かな隙に自身の細身の剣を挟み込む。二つの刃が激しくぶつかり、金属音が森の中で孤独に響き渡った。


「……」


 イオリは虚ろな目で振り向いた。少し長い前髪が遅れて頬へと落ちる。エリーはその目を見ると、涙を浮かべ、息を胸いっぱいに貯めた。息を止めて睨みつける。


 イオリはエリーの剣を弾く、まだ彼女がのけぞっているというのに深くしゃがみ込み細身の剣を構える。エリーは歯を食いしばり、剣を即座に手元へと戻すように振り下ろした。


 二つの剣が交差し、火花が散る。エリーの剣を握る手がしびれ、痛みを発生させる。


「なに、これ……本当にこれが――最弱?」


 イオリの銀閃が突然力なく引かれる。エリーは支えを失い、前方へと体勢を崩した。イオリの引き絞られた刃が、逃げ去るような軌道で彼女の右手の甲を鋭く切り裂く。


「……! フルール・ド・シエル!!」


 一面に蕾の世界が広がる。傷が塞がっていく。一輪の花が咲いた。



 ――エリーの目の前に細身の剣の切先が映る。寸前に自分の剣で弾き、軌道をずらす。彼女の頬から血が溢れる。しかし瞬時にそれは回復する。


 繰り返されるイオリの剣技。エリーは押され続け、一太刀ごとに傷を負っては回復を繰り返した。蕾は次々と咲き始める。クラッ……とエリーの視界が揺らぐ。


「……魔力がっ」


 エリーは剣を切り払う。イオリの細身の剣と衝突した途端、彼女の剣はエリーの手から離れ、一面の花畑へと滑り落ちた。それはエリーが、イオリの初速斬撃を抑え込むためだけに放った一撃だった。



 ――ふわりと、エリーの金色の髪が散り急ぐ花吹雪に舞った。

彼女は武器を捨て、無防備な両腕で、イオリのボロボロの身体を壊れ物を扱うように強く抱きしめた。二人の胸の間に挟まれた細身の剣が、エリーの柔らかな肌を無残に切り裂き、鮮血がシャツを赤く染める。


 ――激痛が走る。けれど、エリーは腕の力を絶対に緩めなかった。


「イオリ……もうあんたのそんな顔、見たくないよ。そんなに――あの女が好きだった?」


 カチャッカチャカチャと揺れていたイオリの剣が、一面の花畑へと静かに落ちた。二つの剣が重なり、小さな金属音が鳴り響いた。


「お願いイオリ……私を見て」


 一輪の花に、彼女の涙が落ちていく。弱々しい彼の声が耳に伝わる。


「……エリー?」


 彼女は胸いっぱいに広がる感情を抑えきれずに涙を溢れ出させた。愛おしそうにイオリを強く抱きしめる。


「そうだよ……? 私だよ、バカ」


「俺、……なにして」


「今は……休もう?」


 まるで緊張の糸が解けたかのようにイオリはエリーに体重を預けて気を失った。エリーはイオリの頭を自分の胸へと抱きかかえるようにして撫でていた。


「おやすみ……イオリ」


 エリーはイオリを背中に担いだ。一歩、また一歩。その足取りは鉛のように重かった。


 全身の細胞から魔力が一滴残らず絞り出され、呼吸をするだけで肺が焼けるように熱い。視界はチカチカと明滅し、身体強化を失った四肢は、世界の重力にそのまま押し潰されそうになる。転びそうになる足を必死に叱咤し、イオリを支える腕に最後の力を込めた。


「もう少し待っててねイオリ」


 ――足はガクガクと震え、限界を超えてふらつく。エリーの家に着く頃には、ただ立っていることさえ奇跡と言える状態だった。


「すごいよイオリ。魔力がないって、こんなにつらいんだ」


 震えながらイオリをベッドへ下ろすと、膝から力が抜けた。


「はぁ……はぁ。良かった……イオリが、私を見てくれたっ」


 彼女ははにかんだ。そして自身も気を失うようにそのまま眠りに落ちた。




 ――朝日が差し込む。鳥のさえずりの中で、エリーは体を起こした。ずっと床で寝ていたエリーの体はあちこちを痛めていた。起き上がってまず最初に視線を動かした先はベッド。イオリが上半身を起こして天井を見上げていた。声の震えと共に囁いた。


「イオリ……おはよ」


 ――エリー……おはよう。


 その掠れた声が鼓膜に届いた瞬間、エリーの顔は見る影もなく、くしゃくしゃに歪んだ。涙が堰を切ったように溢れ出す。気丈に振る舞おうと下唇を強く噛み締めようとするが、震えが止まらずにそれすらできない。


 限界だった。彼女はついに我慢を投げ出し、天井を見上げたまま、迷子の子どものように大声をあげて泣きじゃくった。


 ――十分ほどすると、袖で涙を拭いていつもの調子で睨みつける。


「イオリ! あんた無理しすぎなのよ!」


 赤く腫らした目はまだ潤んでいる。


「ご、ごめん……あんま覚えてないけど」


「はぁ?! 私がどんだけ……はぁ、もういいわよ。あんた――大丈夫?」


 イオリはその意味を理解して息を呑んだ。そして微笑むように言った。


「大丈夫。エリーが居たから」


「……せいっ!!」


 ぽこっと頬を殴られるイオリ。


「なんでぇ?!」


「うっさい! 時々あんたは……そのあれよ! バカ!」


「おかしくない?!」


 エリーは笑みをこぼした。目に浮かんだ涙をそっと指先で拭き取った。


「ふふっ、あははっ。なによ元気じゃない。良かったぁ。いつものバカなあんたで」


「バカバカ言うなよ……」


 どこか儚げに口角をあげたエリー。


「で、本音は?」


 静寂。まるで時が止まったかのようにイオリは動かなかった。そして、ぽつりとこぼした一言は……


 ――ラナさんに会いたい。



「やっぱりバカね。今だけは……私がその穴を埋めてあげるわよ。あんた、さっきから情けない顔して目が潤んでるのよ」


 エリーはベッドに膝をつき、彼の頭を再びその胸へと引き寄せた。


「うっ……俺、なんで……ラナさっ……ずっと」


「いいから、先に感情を全部こぼしておきなさい。言い訳なんてあとでいくらでも聞いてあげる。私は、どこにも行かないから」


 エリーの胸元で、イオリは子供のように嗚咽を漏らして泣いた。彼女のシャツはどんどん染みていく。それを全部受け入れるようにエリーは抱きしめる手を緩めなかった。


「あんたは一人じゃないからね」


 エリーは胸にイオリを埋めながら、心の中で呟いた。



 ――ラナ、あんたは本当に、こんな未来で良かったの? イオリ、泣いてるよ。あんたのためにさ……

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