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第5話 塩

 その日の狩りは中止になった。


 襲撃隊が戻った以上、普段の仕事よりも、負傷者と戦利品の処理が優先される。モルグの指示で、ルークと同行するはずだった三人の働き手も、荷車の積み荷を降ろすことになった。


 昼を過ぎるころには、負傷した戦士たちは治療小屋へ運び込まれていた。三人の捕虜は、育児穴の隣にある捕虜檻へ移された。


 そして、ロッカの襲撃隊が持ち帰った戦利品だけが、解体場の脇へ山積みにされている。


 ルークたち四人に与えられた仕事は、その仕分けだった。


 穀物は貯蔵穴へ。


 レッドタスク族は穀物を、肉より劣る食い物だと考えている。それでも、狩人が何日も獲物を持ち帰れなかったときには役に立った。


 煮れば柔らかくなる。幼子も食べられる。雑役や捕虜を、死なない程度に生かしておくこともできる。


 武器は、壊れているものも含めて武具庫へ送る。使えるものは鍛冶役が直す。直せないものも、炉へ入れて溶かせば鉄として使える。


 布は状態ごとに分けた。


 破れていないもの。繕えば使えるもの。細く裂いて、包帯や紐にするしかないもの。


 人間の道具は、すぐに用途がわかるものだけ別にする。使い方のわからない道具は、一か所へまとめて積まれた。


 いずれ誰かが石で叩き割るか。使い道を見つけるか。


 そのどちらかだ。


 作業を始めてしばらくすると、ブロッグが現れた。


 ブランカの革紐は持っていない。ロッカの姿もなかった。


 ルークは荷車から穀物袋を引き下ろしながら尋ねた。


「ロッカは、次の襲撃について何か言っていたか?」


 ブロッグは反対側から、別の袋を持ち上げる。


「戦獣を任された」


「質問の答えになっていない」


「襲撃隊の長は、弱い手に戦獣を預けない」


「噛まれかけていたが」


 ブロッグの腕が止まった。


「噛まれてない」


「そうか」


「ロッカは、俺なら扱えると思った」


 ブロッグは袋を地面へ下ろした。必要以上に強く。


 中の穀物が鈍い音を立てた。


「実際、扱えた」


「もちろんだ」


 ルークは次の袋へ手を伸ばした。


「次も気をつけろ」


 ブロッグがルークを見る。


 ロッカへ話しかけていたときのように、頭は下げていない。声も柔らかくしていない。


「何に気をつける?」


「食われないように」


 ブロッグが口を開きかけた。


 そのとき、解体場の向こうからロッカが歩いてきた。


 両手で木の盆を持っている。盆の内側は、ブランカの血で赤く汚れていた。


 ブロッグはすぐに、地面へ置いた袋を持ち直した。背筋まで伸びる。


「ブロッグは、襲撃の戦利品を仕分けている!」


 誰にも尋ねられていないのに、大きな声で報告した。


 ロッカはブロッグを見なかった。歩調も変えない。そのまま解体場を横切り、治療小屋の裏へ消えていった。


 ブロッグは姿が見えなくなるまで、その背中を追った。


「見たな」


「見ていた」


 ルークは答えた。


「おまえも、俺も、ほかの働き手も、荷車も」


 ブロッグが眉を寄せる。


「ルークの話し方、好きじゃない」


「そうか」


「人間みたいに話す」


 ルークは返事をしなかった。


 前の人生の記憶が戻って以来、何度か同じことを言われている。


 言葉の選び方。話す順番。余計なところまで説明する癖。


 オークの会話としては、確かに回りくどいのだろう。


 直す必要は感じなかった。


 ルークは荷車の底へ手を伸ばした。


 破れた毛布が一枚、積み荷の下敷きになっている。それを持ち上げると、小さな壺が転がり出てきた。


 片手に収まるほどの素焼きの壺。口は蝋で固く封じられている。


 表面には文字もない。絵もない。何が入っているのかを示す印は、どこにもなかった。


 ルークは壺を両手で回した。軽く振る。


 中で、細かなものが擦れ合う音がした。


 石ではない。穀物よりも細かい。


 ルークは蝋の封を割った。蓋を開ける。


 粗い白色の結晶が、午後の日差しを受けて輝いた。


 ルークの手が止まった。


 塩。


 周囲の音が、少しだけ遠ざかった。


 穀物袋を運ぶ足音。木材を打つ音。働き手たちの話し声。


 すべてが耳に入っているはずなのに、意識へ届かない。


 前の人生を思い出してから。


 ルークは一度も、まともに塩を振った肉を食べていなかった。


 レッドタスク族には、塩を集める習慣がない。


 新鮮な血。内臓。生肉。


 オークの体は、それだけで必要なものを得られる。わざわざ白い石を探し、砕き、食べ物へかける理由がない。


 ルークは指先で一粒つまんだ。舌へ載せる。


 粗い。少し苦い。砂も混ざっている。


 質のよい塩ではなかった。


 それでも。


 間違いなく塩だった。


「なんだ、それ?」


 ブロッグが肩越しに覗き込んだ。


「塩だ」


「食い物か?」


「これだけを食べるものではない」


 ルークが止めるより先に、ブロッグが壺を奪った。


 指を突っ込む。白い結晶をひとつまみ取り、そのまま口へ入れた。


 次の瞬間。


 ブロッグの顔全体が縮んだ。


「うぇっ!」


 地面へ唾を吐く。何度も舌を出し、口の中を手の甲で拭った。


「まずい!」


「そのまま食べればな」


 ブロッグは壺を、使い道のない道具が積まれた場所へ投げた。


 ルークは地面へ落ちる前に受け止めた。中身が少しこぼれた。


 もったいない。


「それ、欲しいのか?」


「役に立つかもしれない」


「何に?」


 本当の用途を説明しても理解されないだろう。ルークは少し考えた。


「肉を長持ちさせる」


「どうやって?」


「肉から水を抜く」


 ブロッグは干し肉の山を見た。それから鼻を鳴らす。


「干した肉もまずい。あれは幼子と雑役が食うものだ」


「なら、誰もこの塩を欲しがらないな」


 ルークは壺を持ち上げた。


「俺がもらう」


 ブロッグは白い結晶を見る。次に、ルークを見る。


「焦がした肉を食う。今度は白い土を食う」


「塩だ。土ではない」


「塩?」


 声は、荷車の向こう側から聞こえた。


 クラグが立っていた。両腕に、抱えきれないほどの薪を抱えている。


 その目が、ルークの手にある壺へ向けられた。次に、ルークの顔へ向く。


 兎を食べたとき。ルークは言っていた。


 料理した肉には塩が必要だと。


 クラグは自分が何を口にしたのか、すぐに気づいた。片手で口を塞ぐ。


 当然、遅い。


 薪が何本か腕から落ちた。


 ブロッグがクラグへ顔を向ける。


「おまえ、これを知っているのか?」


 クラグは激しく首を横へ振った。


「クラグ、何も知らない」


「今、塩って言っただろ」


「言ってない」


「言った」


「クラグ、急いでる」


 クラグは落とした薪を拾うこともせず、そのまま走り去った。


 残った薪を半分ほど落としながら。


 ブロッグはその背中を眺めた。だが、すぐに興味を失ったらしい。


 片手を振る。


「持っていけ。ロッカは、もっと役に立つものをたくさん奪ってきた」


「そうする」


 ルークは壺の口へ、割れた蝋を押し戻した。


 完全には閉じない。それでも、中身をこぼさず持ち運ぶことはできるだろう。


 採集袋へ入れる。


 これで塩は、ルークのものになった。


 ブロッグは皆の前で一度捨てた。その上で、ルークが持ち帰ることを認めた。


 一族のものを盗んだとは、誰にも言わせない。


 そもそも。


 塩を欲しがる者など、ルーク以外にはいないだろう。


 そのとき。


 捕虜檻の近くで、杖が地面を叩いた。


 周囲のオークたちが、そちらへ顔を向ける。


 モルグが立っていた。


 捕虜を連れ帰った襲撃戦士の一人と、古い一族語で話している。


 人間語は、山地一帯で広く使われていた。


 人間と取引する者。人間を襲う者。異なる一族同士で話す者。


 誰にとっても、人間語は都合がいい。


 若いレッドタスク族の多くは、普段の会話にも人間語を使う。ゴブリンの集団も同じだ。


 先祖から受け継いだ自分たちの言葉を、ほとんど忘れた集団すらある。


 だが、モルグは忘れていない。


 外の種族が近くにいるとき。長老は好んで、古い一族語を使った。


「細い」


 モルグが言った。


 襲撃戦士が肩をすくめる。


「見つけたときから細かった」


「歩けたか?」


「ほとんど自分で歩いた。途中で逃げようとしたから、最後は檻へ入れた」


 モルグは頷いた。


 捕虜檻の中には、連れ帰られた三人の人間がいた。


 二人の女は、檻の奥に座っている。


 肩を寄せ合っているわけではない。ただ、互いに背を向けるだけの余裕もなかった。


 小柄な女だけが、檻の中央に立っていた。


 泣いてはいない。格子も掴んでいない。モルグが近づいても、その場を動かなかった。


 長老は檻の隙間から腕を伸ばした。小柄な女の腰を掴む。


 女の体が硬くなった。


 逃げようとはしない。


 逃げても無駄だと理解しているのか。それとも。


 逃げない理由があるのか。


 モルグは破れた服の上から、腰骨へ指を押しつけた。左右の幅を測る。


 家畜の若い雌を調べるときと、まったく同じ手つきだった。


「小さすぎる」


 治療小屋のほうから、ロッカが歩いてきた。手にはまだ、ブランカの血が残っている。


「選べるほど残っていなかった」


 ロッカは答えた。


「ほかは逃げた。こいつだけ逃げなかった」


「置いてくるべきだった」


 ロッカは檻の中の女を見る。


「どうやって見分けろというんだ?」


 面倒そうに言った。


「人間の女は、どれも小さく見える。私は人間を産ませる役じゃない」


 モルグは、その説明を受け入れた。


 女から手を離す。近くにいた見張りへ顔を向けた。


「連れ出せ」


 見張りが立ち上がる。


「殺せ。食いたければ食ってもいい」


 小柄な女の表情は変わらなかった。


 言葉が理解できなかったのか。あるいは。


 理解していても、反応しなかったのか。


 ロッカが女を見た。


「西の大岩の近くへ置いてくればいい」


 見張りの手が、檻の留め具へ伸びる。


「ブラッドマウに食わせる。腹が満ちれば、森に出る幼子を襲わなくなるかもしれない」


「ブラッドマウは死んだ」


 ブロッグが言った。


 ロッカが振り返る。


「誰かが、ようやくあの化け物を殺したのか?」


「違う」


 ブロッグは先ほどまでの余裕を少し失った。それでも、ロッカを前にして胸を張る。


「ルークが、死にかけているところを見つけた。最後に仕留めた」


 ロッカの目が細くなった。


「どうやって?」


 ブロッグの肩が固まる。


 質問されたのは、自分がよく知らないことだった。ロッカの視線を受け、先ほどまで上げていた顔が少しずつ下がる。


「ブロッグは知らない」


 その声は小さくなった。


「ルークに聞け。モルグは討ち手の取り分として、ブラッドマウの骨板を与えた」


 ロッカの視線が、荷車の向こうにいるルークへ移った。


 その前に。


 モルグが杖の先で地面を打った。


「どうやって殺したかは重要ではない」


 ロッカが長老を見る。モルグも目を逸らさない。


「ブラッドマウは死んだ」


 もう一度、杖が土を叩く。


「それで十分だ」


 二人の間に沈黙が落ちた。


 やがてロッカが鼻を鳴らした。


 見張りは再び、檻の留め具へ手をかける。木の棒を持ち上げようとした。


「待て」


 手が止まった。


 全員の目が、声の主へ向く。


 ルークは荷車の反対側に立っていた。


 片方の肩には採集袋。その中には、手に入れたばかりの塩の壺が入っている。


 片手には、大きな穀物袋を抱えていた。


 ルークは檻の中の女を見た。


「殺す必要はない」


 モルグの目が細くなる。


 ロッカは何も言わなかった。


 ルークは続けた。


「今は小さくても、いずれ育つ」


 捕虜檻の中。


 小柄な女が、初めてルークと目を合わせた。視線を逸らさず、そのままじっと見返してきた。


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