第4話 襲撃隊の帰還
二日が過ぎた。
まだ空が白み始める前。ルークは目を覚まし、冷え切った肉団子を三つ飲み込んだ。
味はしない。噛み応えもない。腹を満たすだけの食事だ。
せめて温められれば、もう少しましになるのだが。
そう思いながら、石の小刀の刃を確認する。欠けはない。採集袋の革紐が緩んでいたため、結び直した。
最後に、共同の武器置き場から短槍を一本選ぶ。
今日は日の出を過ぎたころ、西門で三人の狩人と合流する予定だった。そこから森へ入り、それぞれ別れて獲物を探す。
集落の外へ出てしまえば、他人の目を気にする必要もない。運がよければ、また小さな獲物を一匹くらい隠せるかもしれない。
西門へ向かう途中。ルークは、集落の東側で足を止めた。
二人の雑役が、木柵を修理している。
昨夜。酔った戦士が二人、この場所で殴り合いを始めた。一人がもう一人を木柵へ投げつけ、三本の柱を根元から緩ませた。
戦士たちは、そのまま場所を変えて殴り合いを続けた。壊れた木柵だけが残った。
そして朝になれば。
直すのは雑役だ。
一人が柱を両腕で支え、もう一人が根元へ土を詰めている。だが、土だけでは支えきれない。柱は少しずつ傾いていた。
ルークは二人のそばで立ち止まった。
「石を増やせ」
土を詰めていた雑役が顔を上げた。誰かに話しかけられるとは思っていなかったらしい。
「石、もうない」
「解体場の裏に、使われていない古い焚き火跡がある。そこから持ってこい」
雑役は迷った。
「モルグ、柵を直せって言った」
「石を使うなとも言ったのか?」
雑役は考え込んだ。しばらくして、首を振る。
「言ってない」
「なら使え」
雑役は立ち上がり、解体場のほうへ走っていった。残された一人は、傾く柱を必死に支え続けている。
ルークは短槍と採集袋を地面へ置いた。柱へ片手を当てる。そのまま押し戻した。
軋む音を立てながら、太い木柱が垂直へ戻る。
雑役がルークを見た。柱を見る。もう一度、ルークを見る。
「根元を固めろ」
「……うん」
雑役は慌てて屈み込み、土を詰め始めた。
ルークが柱を支えていると。
角笛が鳴った。
短く、二度。
間を置いて。
長く、一度。
雑役の手が止まる。
「デュラグ、帰った?」
「違う」
デュラグの戦士団は、族長グアーグとともに東へ向かっている。ほかの三つの一族から集まった戦士たちも一緒だ。
あの大部隊が帰還するときの合図は、もっと長い。もっと大きい。集落にいる全員を、門の前へ集めるための音だ。
今の合図は違う。
小さな襲撃隊。
雑役は立ち上がった。柱も、詰めかけの土も放り出し、そのまま門へ向かって走り出す。
帰ってきた戦士を出迎える。荷を受け取る。水を運ぶ。負傷者を治療小屋へ連れていく。
誰かに命じられる前に動くことも、雑役の仕事だった。
ルークは柱を穴の中へゆっくり下ろした。石が来るまでは、これで持つだろう。
短槍と採集袋を拾い、門へ向かう。
八人のオークが木柵をくぐってきた。
二人は負傷し、仲間の肩を借りている。さらに一人。胸へ血に染まった布を巻かれ、即席の担架に寝かされていた。
残る五人は、自分の足で歩いている。だが、鎧には傷が増えていた。
刃こぼれした武器。乾いた血。泥と煤。
五日前に出たときと同じ姿ではない。
隊列の先頭を歩いていたのは、ロッカだった。
背が高い。肩幅も広い。左のこめかみから顎の端まで、長い傷痕が走っている。
胸を守るのは、人間から奪った鉄の胸当て。もともと刻まれていた紋章は削り取られ、その上から赤い牙が描かれていた。
脚にはオーク革の脛当て。片方の肩から、狼の毛皮を垂らしている。
胸当ての隙間からは、新しい包帯が見えた。上腕を負傷したらしい。すでに血は止まっている。
背中には、重い両刃斧。
そして。
ロッカの後ろを、馬ほどの大きさのハイエナが歩いていた。
鉄の首輪。そこから伸びる革紐を、ロッカが片手で握っている。
まだらの毛皮は、戦士の鎧よりも多くの傷痕に覆われていた。大きく裂けた口。人間の頭蓋くらいなら、そのまま噛み砕けそうな顎。
左の前脚には、新しい傷がある。歩くたび、血が土へ落ちた。
ブランカ。
ロッカが飼っている戦獣だ。
ルークとロッカは、同じ木柵の内側で長く暮らしている。互いの名前も知っている。だが、交わした言葉は数えるほどしかない。
ロッカは、族長の主力部隊が不在の間も活動する、小規模な襲撃隊を率いている。
狙うのは、人間の小さな村。離れた農場。護衛の少ない交易路。
デュラグが率いる戦士団には、小さすぎて価値がないと見なされる獲物だ。
木柵を修理していた雑役が、井戸水の入った桶を抱えて走ってきた。負傷した戦士へ近づこうとする。
ブランカの巨大な頭が動いた。
低い唸り声。
雑役の足が止まる。
ロッカは、そのまま真っ直ぐ歩いてきた。雑役は気づくのが遅れた。慌てて横へ避けようとする。
ロッカなら、簡単に避けられた。
避けなかった。
足が雑役の胸へ入る。雑役の体が地面から浮いた。後ろへ飛ばされ、背中から倒れる。
桶も転がった。水が土へ広がる。
雑役は胸を押さえ、息を吸えずに口を開いた。
ロッカは革紐を引く。
「行くぞ、ブランカ」
振り返りもしない。
ルークは倒れた雑役のそばへ歩いた。雑役は自力で起き上がろうとしている。片腕を胸へ巻きつけ、浅い呼吸を繰り返していた。
ルークは手を差し出す。
雑役は、その手を見つめた。
なぜ差し出されたのかわからない。
そんな顔だった。
それでも、恐る恐る掴む。ルークは引き起こした。
「息はできるか?」
雑役は一度だけ吸い込んだ。顔を歪める。それから頷いた。
「水を汲み直せ」
雑役の肩が跳ねた。すぐに井戸へ向かおうとする。
「急がなくていい」
雑役は立ち止まった。ルークを見る。それから、小走りで井戸へ向かった。
急がなくていいと言ったのだが。習慣は簡単には変わらないらしい。
視線を感じた。
数歩先。ロッカが立ち止まっている。
その目は、走り去る雑役を見ていた。次に。ルークが差し出した手を見る。
最後に、ルークの顔へ向けられた。
ルークも見返した。どちらも口を開かない。
しばらくして。ロッカが先に視線を外した。
何も言わず、族長の大屋へ向かって歩き始める。
そこへ、ブロッグが駆けてきた。
手には何も持っていない。角笛を聞いた瞬間、自分に与えられていた仕事を放り出したのだろう。
「ロッカ」
ブロッグは拳を胸へ当てた。
「いい帰還だった」
ロッカは歩き続ける。ブロッグは半歩後ろへついた。
「負傷者は三人だけだ。いい襲撃だった」
「三人も負傷した」
ロッカは前を向いたまま答える。
「よくはない」
「死者が三人出るよりはいい」
「あれはまだ死ぬかもしれない」
ブロッグが担架を振り返る。布の隙間から、血が滲んでいた。
「なら、負傷者は二人になる」
ブロッグは頷いた。
「もっといい」
ロッカが足を止めた。ゆっくりとブロッグを見る。
ブロッグはすぐに頭を下げた。
「違う。ブロッグが言いたいのは――」
言葉を探しながら、両手を広げる。
「ロッカは、ほとんどの戦士を連れて帰った。他の襲撃隊なら、もっと死んでいた」
ブロッグは顔を上げた。
「このまま勝ち続ければ、いずれグアーグにも挑める」
「そうだな」
ブロッグが笑った。褒められたと判断したらしい。
「戻るのが早かった」
ブロッグはすぐに次の話題へ移った。
「あと二日は外にいると思っていた」
「人間どもが、予想より早く守りを固めた」
ロッカが答える。
「奪えるものだけ奪った。残りは焼いた」
「賢い」
ブロッグは何度も頷いた。
「とても賢い。引き際を見極めるのも戦士の腕だ」
胸へ手を当てる。
「ブロッグは前からそう言っていた」
ルークは、ブロッグがそんなことを言うのを一度も聞いたことがなかった。
レッドタスク族でも、必要なら退くことは許される。だが、褒められることではない。
本物の戦士なら、敵が折れるまで戦う。あるいは、自分が折れるまで。
引き際を知ることは、確かに役立つ。それを口に出して認めることが、戦士らしくないだけだ。
ロッカは族長の大屋の横で立ち止まった。そして、ブランカの革紐をブロッグへ差し出す。
「持て」
ブロッグは反射的に受け取った。両手で強く握る。
ブランカが首を動かした。巨大な鼻先が、ブロッグの胸へ近づく。
ブロッグの笑みが消えた。
ブランカは匂いを嗅ぐ。唇がわずかに上がった。汚れた牙が見える。
「いい獣だ」
ブロッグは小さな声で言った。
「強い獣だ」
ロッカはブランカの傷ついた前脚へしゃがみ込む。
ブロッグは動かない。
動けない。
後ろから、木製の荷車が集落へ入ってきた。二人の若い狩人が、押すようにして運んでいる。
車輪が土へ深い溝を作った。
荷台の大半を、穀物の袋が占めている。側面には布の束。人間の槍が数本。中央から割れた丸盾。
そして、荷台の後ろには。
三つの檻。
ブロッグが、ブランカの鼻先を気にしながら尋ねる。
「捕虜か?」
「三人」
ロッカはブランカの傷を見たまま答えた。
「繁殖用だ」
ブランカが喉を鳴らした。ブロッグの指が革紐へ食い込む。
「こいつ、いつもこうなのか?」
「誰かを噛むか考えているときはな」
ブロッグの体が固まった。
ロッカは荷袋から清潔な布を取り出し、ブランカの脚へ巻き始める。
ルークは荷車を見た。
最初の檻には、人間の女が一人。次の檻にも一人。
どちらも旅の汚れにまみれている。一人の手首には、黒い痣が残っていた。縄で長く縛られていた跡だ。
もう一人は、顔の片側を乾いた血で汚している。
二人とも何も話さない。目も合わせない。
最後の檻には、小柄な女がいた。
ほかの二人より背が低い。肩幅も狭い。細い体つき。
オークなら、まだ幼いと勘違いするかもしれない。だが、顔立ちはすでに大人のものだった。
泣いてはいない。木の格子を掴む指にも、震えはなかった。
女の目は動いている。
荷車を囲むオーク。腰の武器。開いた門。
門の向こうに広がる森。木柵の高さ。見張りの位置。
恐怖で何も見えなくなっている目ではない。
状況を見ている。
一つずつ。
忘れないように。
女の視線が、集まったオークたちの間を移動する。
やがて。
ルークのところで止まった。
顔を見る。肩を見る。手を見る。
腰の短槍。泥のついた採集袋。
頭から足まで、ゆっくりと観察された。
ほかのオークたちを見る目とは、少し違っていた。
ルークが何者なのか。
測ろうとしている。
やがて荷車は、そのまま通り過ぎた。女の目も、木の檻の向こうへ消えていく。
ルークはしばらく、その後ろ姿を見ていた。それから短槍を担ぎ直す。
狩りへ出る予定は、もうなくなっただろう。
帰還した襲撃隊の負傷者。奪ってきた荷。新しい捕虜。
集落の働き手は、そちらへ回される。
ルークは踵を返した。
まだ修理の終わっていない、東側の木柵へ戻った。




