第3話 レッドタスク族の集落 (前編)
集落の中央では、すでに夕食が始まっていた。
大きな焚き火を囲み、狩人も、働き手も、女も、幼子も、踏み固められた地面へ思い思いに座っている。その間を、雑役たちが木の盆を抱えて行き来していた。
今日の狩りで得た肉は、一族全員へ分けられる。
大きな肉の塊が手から手へ渡り、食べ終えた骨はその場で噛み砕かれる。どの内臓を誰が受け取るかを巡って、あちこちから怒鳴り声も上がっていた。
レッドタスク族に、一人だけで食事をするという習慣はない。
木柵の内側へ持ち込まれた獲物は、すべて一族のものだ。
ルークは、まず鹿を解体場へ運んだ。
作業台のそばにいた肉切り役が顔を上げる。ルークと鹿を一度ずつ見て、短く頷いた。
それだけだった。
鹿は珍しくない。
大きくはあっても、所詮は鹿だ。
肉切り役は後ろ脚を掴み、そのまま解体台まで引きずっていった。
誰も気に留めない。
ブラッドマウは違った。
ルークは巨大な死体を担ぎ直し、中央の焚き火へ向かった。
火の明かりが全身へ届く、広場の真ん中。
そこでブラッドマウを地面へ下ろした。
どしん、と重い音が響く。
ルークを追っていた話し声が、一斉に止んだ。
誰も動かない。
焚き火の薪が弾ける音だけが聞こえた。
やがて、一人の若い狩人が前へ出た。
恐る恐る近づき――最後には勇気を示すように、ブラッドマウの脇腹を思い切り蹴った。
骨の装甲に覆われた死体は、わずかにも動かなかった。
「死んでる」
若い狩人は宣言した。
まるで、誰かがまだ疑っていたかのように。
それを合図に、周囲のオークたちが集まってきた。
骨板を手のひらで叩く者。
ひび割れた頭蓋を指でなぞる者。
無理やり口を開き、突き出した牙の長さを測る者。
「何に殺された?」
声を上げたのは、年嵩のオークだった。
ルークは名前を知らない。族長の主力部隊が遠征している間、集落に残された襲撃戦士の一人だろう。
「西の大岩の近くで見つけた」
ルークは答えた。
「何かに頭を割られていた。まだ息があったから、俺が仕留めた」
「何かが、ブラッドマウの頭を割った?」
「俺より大きな何かだ」
ざわめきが広がった。
「どけ」
人垣を押し分け、一人の若い狩人が前へ出てきた。
ブロッグ。
尾根の近くで何度か見かけたことのある男だ。
ブロッグはブラッドマウの横へしゃがみ込み、割れた骨板へ両手を当てた。
「一撃だ」
周囲を見回し、もう一度言う。
「一撃だけ。ものすごい力で殴られて、骨板が内側へ割れてる」
「どこかから落ちたんじゃないか?」
誰かが言った。
ブロッグは鼻を鳴らした。
「どこからだ? 西の大岩の近くに、こいつが落ちるほど高い場所なんてない」
「獲物を追っていて、岩にぶつかったとか」
「ブラッドマウが逃げるほどの相手って、なんだ?」
誰も答えられなかった。
そのとき。
クラグが一歩前へ出た。
「でかいやつ」
全員の視線が、幼子へ集まった。
クラグの目は大きく見開かれている。
声には、自分が何を言っているのかまるで理解していない者だけが出せる、不思議な確信が満ちていた。
「クラグ、話を聞いたことある。森の奥に、すごくでかいやつがいる」
クラグは両腕を広げた。
「ブラッドマウよりでかい。熊よりでかい。何よりもでかい」
さらに腕を広げようとして、限界まで伸ばす。
「イノシシを一頭、骨ごと食う。目は火みたいに光る」
ブロッグが呆れたように笑った。
「幼子向けの話だ」
「年寄りの狩人が言ってた!」
「年寄りの狩人は、火が小さくなって肉がなくなると、何でも話す」
だが、周囲の空気は変わっていた。
何人かのオークが、木柵の向こうへ目を向けている。その先には、夜へ沈み始めた森があった。
水桶を運んでいた雑役の一人も足を止め、暗い木々の間を見つめている。
クラグは自分の話が受け入れられつつあると察したらしい。さらに一歩前へ出た。
「クラグは、でかいやつがブラッドマウを殴ったと思う」
割れた頭蓋を指さす。
「ブラッドマウ、怖くなって逃げた。それで岩にぶつかった。ルークが見つけて、最後に仕留めた」
クラグは得意げに胸を張った。
「ルーク、すごく勇敢」
「すごく運がよかった、だ」
ブロッグが訂正した。
クラグは素直に頷く。
「運もすごくよかった」
ルークは何も言わなかった。
慎重に考えた嘘より、クラグの思いつきのほうがよほど役に立っている。
幼子が、真実より恐ろしく、真実より面白い話を与えたのだ。
だが、森の奥に得体の知れない怪物がいる。
そちらなら、誰もが喜んで信じる。
集まっていたオークたちは、やがて小さな集団へ分かれていった。
森の奥には何がいるのか。
昔、似た声を聞いた者はいないか。
ブラッドマウより巨大な獣など、本当に存在するのか。
何人かの老いた狩人は、さっそく昔話を始めていた。
おそらく、その場で半分ほど作っている。
幼子たちはクラグの周囲へ集まり、もっと詳しく話せと騒ぎ始めた。
クラグは喜んで応じた。
森の怪物は、話すたびに少しずつ大きくなっていった。
モルグが現れた。
長老は急ぐことなく、人垣の間を進んできた。周囲の者たちが自然に道を空ける。
モルグは何も尋ねず、ブラッドマウの横へしゃがみ込んだ。
何を調べるときもそうするように、時間をかけて死体を観察する。
残った指で、割れた頭蓋の骨板をなぞる。
亀裂の縁を押す。
傷口へ顔を近づけ、匂いを嗅いだ。
周囲の声が、少しずつ小さくなる。
「一度だけだ」
やがてモルグが言った。
「横からの一撃。わずかに下から上へ入っている」
骨板から手を離す。
「殴ったものは、ブラッドマウの肩より低い」
ルークの背中に、わずかな冷たさが走った。
モルグが立ち上がる。
そして、ルークを見た。
「おまえは、こいつが死にかけているところを見つけた」
「そうだ」
「最後に仕留めた」
「そうだ」
ルークは右手を持ち上げた。
握った拳を、モルグへ見せる。
モルグはそれを見た。
次に、ブラッドマウの傷を見る。
もう一度、ルークの拳へ視線を戻した。
ルークは表情を変えなかった。
拳には傷一つ残っていない。バロクとウルガルの加護が、ルーク自身の体も守っていた。
普通なら、これほどのものを殴れば、指の骨が砕けている。少なくとも皮膚は裂け、血が出ているはずだ。
だが、モルグが見ているのは拳の傷だけではない。
一撃の角度。
力の向き。
傷の大きさ。
そして、拳というものの形。
沈黙が、三呼吸続いた。
モルグがゆっくり頷く。
「皮と牙は武具庫へ運べ」
周囲のオークたちへ告げる。
それからルークを見た。
「骨板はおまえのものだ。討ち手の取り分とする」
何人かが、ルークへ目を向けた。
討ち手の取り分が認められることは少ない。
ましてや、それを与えられたのが戦士ではなく、採集や運搬を担う働き手となれば、記憶には残るだろう。
だが、異議を唱えるほど不自然な判断でもない。
瀕死だったとはいえ、最後に仕留めて集落まで運んだのはルークだ。
「感謝する」
ルークは答えた。
モルグは返事をしなかった。
踵を返し、族長の大屋へ向かって歩き出す。
少し不揃いな足取り。
踏み固められた土へ、一歩ごとに深い足跡を残していく。
ルークは、その背中を見送った。




