第11話 幼子たちの秘密 (後編)
ルークが答える前に。森の中から。高く。途切れた笑い声が聞こえた。人間の笑いを。鋭く。
飢えた何かへ引き伸ばしたような声。クラグの体が固まる。直後。窪地の端にある茂みが弾けた。ブランカが飛び出してくる。大きな体が。数歩で窪地を横切った。その広い背には。ロッカが跨っている。片手を。首の後ろにある白い鬣へ埋めていた。ロッカの脚の横には。三匹の狐が吊られている。
後ろ脚をまとめて縛られ。頭を揺らしていた。ロッカが。ブランカの頭の横を軽く叩く。ブランカは急停止した。前脚の爪が。地面へ深い溝を作る。
クラグは後ろへ下がった。肩が。ルークへ触れる。手には。まだ半分残った小鳥を持っていた。ブランカから目を離さないまま。
できるだけ遠くへ投げる。ブランカの目が。飛んでいく小鳥を追った。唇が上がる。牙が見える。喉から。また、割れた笑い声が漏れた。クラグは。ゆっくりとルークの背後へ回った。
ロッカが火を見る。潰された野生タマネギ。炭の上に残る肉。クラグが投げた、食べかけの小鳥。最後に。ルークへ視線を向けた。
「本当だったか」
「何が?」
「誰も見ていなければ、生肉を避ける」
ロッカは言った。
「共同の焚き火で出されたものは食べている」
「自分で捕ったものは、料理するらしいな」
ロッカの目が。ルークの背後にいるクラグへ向く。
「幼子まで連れて」
ルークは。ロッカが使った言葉へ気づいた。料理。ほかのレッドタスク族なら。肉を焼く。焦がす。
台無しにする。その程度にしか考えない。だが。ロッカは違う。人間の集落を襲い。ゴブリンの野営地を通り。
ほかの一族とも行き来してきた。火にかけた鍋。肉と野菜を一緒に煮る人間。食べるために、手を加えるという行為そのものを知っている。彼女にとって。料理は恥ずかしい行為ではあっても。存在しないものではないらしい。
「見せるつもりはなかった」
ルークは言った。
「見に来たのは、おまえだ」
ロッカは。しばらくルークを見る。それから笑った。
「その通りだ」
ブランカの背で体を動かし。クラグを見下ろす。
「幼子」
クラグは背筋を伸ばした。だが。ルークの背中からは離れない。
「ルークに無理やり、料理した肉を食わされたのか?」
ルークは。また、言葉へ気づいた。ロッカは。焼いた肉ではなく。料理した肉と言った。クラグは。ルークを見る。
助けは出さない。
「ち、違う」
ロッカは待った。クラグは。ルークの毛皮を、さらに強く掴む。
「クラグは、焦げた肉が好き」
ロッカは。まだ見ている。
「クラグは、生肉を食べられない」
早口で付け加えた。
「生肉を食べると、腹が痛くなる」
ルークは。クラグの横顔を見た。共同の焚き火で。生の肝を飲み込むところを、何度も見ている。血のついた新しい皮を。味が残っているという理由だけで盗んだこともあった。
生肉が食べられない。これほど説得力のない嘘も珍しい。ロッカの笑みが消える。クラグの細い肩。薄い腕。小柄な体を。順に見た。
「だから、そんなに小さいのか」
クラグが牙を見せる。
「クラグ、小さくない」
「私の斧より小さい」
クラグは。爪先で立った。
「少しだけ」
「それでも小さい」
「クラグは、まだ育ってる」
「なら、もっと早く育て」
クラグは踵を下ろした。胸を張る。ロッカを睨み上げた。
「斧を置け。どっちが小さいか、クラグが見せる」
ロッカは。しばらくクラグを見つめた。そして。頭を反らし、大声で笑った。ルークは。クラグの誇りが。さらに愚かなことを言わせる前に口を挟んだ。
「食事を馬鹿にしに来ただけなら、もう十分だろう」
「おまえたちを探していたわけではない」
ロッカは。ブランカの耳の後ろを掻いた。
「川の近くで、ブランカが狐と遊んでいた」
ブランカが。また喉を鳴らす。
「遊んでいた?」
「ブランカはな」
ロッカは。脚の横に吊られた狐へ触れる。
「狐は違った」
火へ目を向ける。
「肉を料理するのは、恥ずかしいと思う」
次に。ルークを見る。
「だが、止めるほど興味はない」
「寛大だな」
「そういう意味ではない」
ロッカは。狐を縛った革紐を外した。三匹を。クラグの足元へ投げる。クラグが体を引く。狐は。重なって地面へ落ちた。ブランカが。不満そうな声を出す。ロッカは。その頭を軽く叩いた。
「あれは、もうこいつのものだ」
ブランカの耳が伏せられる。ロッカはクラグを見る。
「生肉で腹が痛くなるなら」
狐を顎で示す。
「それも焦がせ」
クラグは。一番近い狐へ、そっと触れた。
「食べろ」
ロッカは言った。
「蛇の腹から出てきたものに、見間違われなくなるまでな」
「クラグは、蛇の餌に見えない」
「なら」
ロッカの牙が見える。
「誰も間違えないくらい食え」
クラグは。三匹の狐を自分の近くへ引き寄せた。ロッカの笑みが戻る。
「強くなれば」
クラグを見る。
「いつか、私の襲撃へ連れていってやる」
クラグが顔を上げた。珍しく。何も答えなかった。ロッカが。ブランカの頭を叩く。ハイエナが森へ体を向ける。
「ルーク」
「何だ?」
「夕食のあと、私の小屋へ来い」
理由は言わない。返事も待たなかった。ブランカが地面を蹴る。ロッカは。その背へ低く身を伏せた。二人は窪地を横切り。
木々の間へ消えた。枝が揺れる。遠ざかる笑い声も。やがて聞こえなくなった。それで。この場所も。ルークとクラグだけのものではなくなった。クラグは。声が完全に消えるまで黙っていた。それから。長く息を吐く。
「ロッカ、怖い」
「俺の後ろへ隠れていたから、よくわかっただろう」
「クラグ、隠れてない」
「吊り帯の中へ入るところだった」
クラグは。投げ捨てた小鳥を拾いに走った。そのまま。丸ごと口へ入れる。一度で飲み込んだ。
「ブランカが近かった」
「そうだな」
クラグは。三匹の狐を縛っている革紐を解き始めた。重みで。結び目が固く締まっている。爪で何度か引っかいたあと。石小刀の刃を入れた。
「ほかの幼子は、ロッカが好き」
「おまえも好きなように見える」
クラグは。すぐに不満そうな顔をした。
「肉をくれたからじゃない」
「そうとは言っていない」
「ロッカは、赤子だった幼子に乳をやった」
ルークは。ロッカが消えた木々を見る。
「クカが、ロッカが赤子に乳をやってるところを見た」
育児穴の中なら。珍しいことではない。乳が出る雌が。近くにいる赤子へ乳を与える。飲み終われば。別の雌へ渡す。誰も。その赤子を自分のものとは呼ばない。幼子自身も。誰の腹から生まれたのか知らないまま育つ。だが。珍しいのは。幼子たちが。誰から乳をもらったのか気にしていることだった。普通のオークなら。肉の味と同じように。考えようともしない。
多くの幼子にとって。ロッカは。血にまみれて集落へ帰り。人間の武器を引きずってくる戦士だ。そのロッカが。赤子を胸へ抱いていた。その姿は。幼子たちへ、強い印象を残したらしい。
「それでわかるのは」
ルークは言った。
「ロッカが、一人の赤子へ乳をやったことだけだ」
「トゥクは、ロッカがトゥクにもやったと言ってる」
「トゥクは覚えているのか?」
「覚えてない。赤子だった」
「なら、なぜわかる?」
「だから、トゥクは強いって言ってる」
ルークは何も言わなかった。クラグは。それを続けてよいという意味に受け取ったらしい。
「テブも、ロッカがテブにやったと言ってる。クカも。バブーは二回」
「証明できる者は?」
「いない」
「育児穴の雌へ聞いたか?」
「幼子は聞くなって言われた」
それは。肯定でも否定でもないものとして、受け入れられたらしい。
「クラグは、どう思う?」
ようやく。結び目がほどけた。三匹の狐が離れ。クラグの脚の上へ落ちる。一番大きな狐を。両手で持ち上げた。
「ロッカは、クラグにも乳をやったかもしれない」
ルークはクラグを見る。レッドタスク族に。母という立場はない。幼子は育児穴のものであり。乳の出る雌なら、誰でも腹を満たす。誰が産んだかも。誰が抱いたかも。育てば、意味を失う。
人間にとっての母。一人の女が。子を産み。乳を与え。自分の子だと認める。そのようなものは。レッドタスク族には存在しない。だが。トゥクは。ロッカが自分へ乳を与えたことにしたがっている。テブも。クカも。バブーも。そして。クラグも。彼らが求めているのは。優しさではない。もしそうなら。ロッカを選ぶはずがなかった。
自分たちが知り。強いと認め。憧れている一人の雌が。まだ記憶もないほど小さかった自分を。一度は抱いた。そう信じたがっている。その願いを。強さの話へ包んでいる。ロッカの乳を飲んだから。自分は強い。それが。彼らの知っている、唯一の形だった。
「そう思う理由はあるのか?」
クラグは。狐をさらに高く持ち上げようとした。後ろ脚が。地面を引きずる。
「クラグは強い」
ルークは。しばらく、その姿を見ていた。幼子たちは。証拠もないのに、同じことを言っている。ロッカを。ただ戦士として憧れているだけではない。一度は。自分だけを抱いてくれた存在であってほしい。
そう望んでいる。誰かに属するということを。誰にも教えられていないのに。幼子は。誰か一人へ属したいと願うことがあるのかもしれない。レッドタスク族には。そのような結びつきを置く場所がない。だから。必要とする心まで存在しないのだと。ルークは思っていた。
違ったのかもしれない。
「それですべて説明できるな」
クラグは。ルークが自分の強さへ同意したと思ったらしい。笑う。狐を火の横へ置いた。
「これを食べれば、クラグはもっと強くなる」
「そうだろうな」
クラグは狐を裏返した。腹へ刃を入れようとする。最初の一度では。毛皮をほとんど切れなかった。狐の胸へ片足を載せる。もう一度、力を込める。
「教えたことを思い出せ」
クラグは手を止めた。毛の流れを見る。
「毛に逆らわず切る。覚えてる」
刃の角度を変える。
「まだ忘れていたように見えたが」
「クラグは、まだ覚えてる途中」
今度は。石の刃が、毛皮の下へ入った。腹が開く。
「それで」
ルークは言った。
「生肉を食べると、本当に腹が痛くなるのか?」
クラグは。狐の腹を切ることへ、必要以上に集中し始めた。
「心臓は、アマハと焼いたほうがいい」
「質問への答えではない」
「潰したアマハ。そうすれば落ちない」
「肝は?」
クラグが。必要以上に強く頷く。
「苦いところが甘くなる」
ルークは。狐の皮を剥いでいくクラグを見る。質問は聞こえている。それでも。別のことだけを答えようとしている。それで十分だった。生肉で。本当に腹が痛くなるのか。料理を食べるために。その場で思いついた嘘なのか。もう。どちらでもよかった。
理由が何であれ。クラグは。自分の肉を料理して食べたいと思っている。
「わかった」
ルークは言った。
「アマハは少しだけ使え。多すぎれば、肝へ火が通る前に焦げる」
「クラグ、わかってる」
ルークは新しい枝へ手を伸ばした。火の位置を。少しだけ整えた。




