第9話 祖霊が選んだオーク(後編)
ルークが武器を選び終えるより先に。決闘の話は、集落中へ広がっていた。
なぜロッカがルークへ戦いを挑んだのか。正しい理由を知る者はいない。
ルークがロッカを怒らせたという者。何か侮辱したのだという者。ロッカの戦利品を盗もうとしたのだと、勝手に話を作る者までいた。
ルークが中央の焚き火を越え。その先にある訓練場へ着いたころには。見物人の一人一人が、別の話を聞いているようだった。
開けた地面を囲むように。すでにオークたちの輪ができている。
幼子たちは、大人の脚の間へ潜り込み。少しでも前へ出ようとしていた。
クラグも、二人の戦士の間をすり抜ける。そのまま輪の最前列へしゃがみ込んだ。
少し離れた場所には、モルグがいる。杖の先へ両手を重ね。黙って訓練場を見ていた。
輪の中央。ロッカが待っている。
ルークから受け取った毛皮の下には。予備の胸当てを身につけていた。重い斧を片方の肩へ預けている。
ブロッグは、見物人の一番前にいた。
ルークが近づいてくるのを見ると。すぐにその進路へ出る。
「戦う前に謝ったほうがいい」
「謝っても、やめないだろう」
「やめるかもしれない」
ブロッグは、中央にいるロッカを一度見る。
「怒らせたままだと、次の襲撃に俺たち狩人を連れていかないかもしれない」
ルークは答えず。ブロッグの横を通り過ぎた。
右手には、片手斧。
集落にある中で、特別に優れた武器ではない。だが。刃と柄の重さは悪くなかった。
本気で斧を使うのは。二年前。最初の襲撃から戻って以来になる。
左腕には。ブラッドマウから得た骨板を巻きつけていた。
手首から肘まで。何本もの革紐で固く縛ってある。湾曲した骨板を、そのまま粗末な盾にしたものだ。
ルークが輪の中へ入ると。ロッカは肩にかけていた毛皮を外した。
ルークへ投げる。
受け止める。
「もう必要ない」
ロッカが言った。
ルークは、しばらく彼女の顔を見た。それから。受け取った毛皮を自分の肩へ回す。
胸の前で縛った。
ロッカの視線が。ルークの左腕へ向く。
「ブラッドマウの骨板か」
肩から斧を下ろす。
「私の斧を、一度くらいは止めるかもしれない」
刃を地面へ向ける。
「長くはもたないが」
ルークはロッカの正面で止まった。
「モルグ長老が俺へ預けた者を、殺すと脅した」
「おまえが戦わないと言ったからだ」
「選べるものが少なすぎる」
ロッカが鼻を鳴らす。
「預けられた者?」
檻のある方向へ顎を向ける。
「私が連れ帰った、役立たずの人間だ」
牙を見せる。
「本来なら、あれは私の戦利品だ」
「一度、捨てただろう」
「なら、もう一度もらう」
「駄目だ」
短い答えだった。
それだけで。見物人の間に、低いざわめきが広がる。
狩人が。襲撃隊を率いる戦士へ。正面から拒絶した。
ルークは、ロッカが何か言う前に続けた。
「あれを生かす責任は、すでに俺が引き受けた」
ロッカは黙ってルークを見る。
やがて。大きく牙を見せた。
「おまえは、いつも妙に愚かな選択をする」
斧を持ち上げる。
「前の襲撃で一族を置き去りにし、臆病者として戻ってきたときと同じだ」
見物人の間から。笑い声が広がった。
ルークは答えない。
ロッカは片方の肩を回した。それから斧を下げ。戦う構えを取る。
「バロクを使え」
ルークも斧の握りを確かめる。
「先に使え」
ロッカが笑った。
足首が。橙色に燃え上がる。
次の瞬間。ロッカは襲いかかっていた。
ルークも。ほとんど反射的に加護を呼び起こす。
足首の痣が熱を持った。
――バロクの加護。
世界が遅くなる。
ロッカの最初の一歩が巻き上げた砂埃が。空中に浮かんだまま、ゆっくりと広がっている。
周囲の歓声も。低く引き伸ばされた、一つの唸り声へ変わった。
ロッカの斧は。すでにルークの頭へ迫っていた。
ルークは横へ一歩動く。
刃が、先ほどまで立っていた地面へ突き刺さった。土が爆ぜる。
見物人たちが、後ろへ身を引いた。
やがて。巻き上がった土が落ち始める。
ルークの姿が消えていた。
輪の中にいるオークたちが。一斉に首を動かす。
ルークは。ロッカの数歩後ろに立っていた。
斧は、まだ体の横へ下げたまま。
訓練場が静まり返った。
ロッカは地面から斧を引き抜く。肩越しにルークを見た。
「思った通りだ」
ロッカが言う。
「おまえの加護は、私より速い」
目が細くなる。
「一族の戦士たちが死んだときも、そうやって逃げたのか?」
ルークの斧を握る手に。力が入った。
今度は。誰も笑わなかった。
見物人たちは。目の前に立つものを、どう見ればいいのかわからなくなっていた。
並外れた加護を隠していた臆病者なのか。
それとも。戦場そのものから、誰にも見られず逃げられるほど速い戦士なのか。
ロッカはルークへ向き直った。
斧の刃を地面へつける。土へ浅い線を引きながら。ゆっくりと構え直す。
「もう一度言う」
牙を剥き。笑う。
「どちらかが血を流すまでだ」
斧を持ち上げる。
「おまえの体を二つに割る前に、止めるとは言っていない」
ルークは左腕を上げた。ブラッドマウの骨板を、体の前へ出す。
ロッカを殺すつもりはない。
だが。殺されるつもりは、さらにない。
バロクの加護を完全に使えば。ロッカが守り始めるより先に、斧を体へ叩き込める。
それは簡単だった。
問題は。それほどの速さで動きながら。刃を皮膚の表面だけで止める訓練など、したことがないということだ。
殺すだけなら簡単だ。
浅い傷を一つだけ作るほうが、難しい。
ロッカが斧の持ち方を変えた。
前の手を、斧頭の近くへ。後ろの手を、柄の端へ。
刃を低くして。武器全体を、斜めに体の前へ置く。
もう。ただ振り回すだけの斧ではなかった。
ルークが近づくために。越えなければならない壁になっている。
ロッカの足首で。橙色の光が、さらに強くなる。
今度は。短く。慎重な歩幅で進んできた。
ルークもバロクを呼び起こす。
世界が引き伸ばされる。
最初の一撃は、左側から来た。
避けて距離を取れば。また先ほどと同じになる。
何も進まない。
ルークは斧の間合いへ踏み込んだ。
左腕を上げる。骨板を、斧の軌道へ斜めに差し入れた。
刃と骨がぶつかる。
ルークは衝撃に合わせて体を回した。
斧を正面から止めず。湾曲した骨板の表面へ滑らせる。
それでも。衝撃は左腕を通り。肩まで突き抜けた。
右手の指が。反射的に斧の柄を強く握り締める。
骨板は耐えた。
ルークは。ロッカの武器の内側へ入った。
目の前には。ロッカの上腕。むき出しの皮膚。
本来の速さで斧を振れば。腕ごと切り落とせる。
ルークは右手を遅くした。
斧の角度を変える。
浅く切るだけでいい。
ロッカは逃げなかった。
斧頭に近い側の手を。素早く下へ落とす。
長い柄が。二人の間へ立ち上がった。
ルークの刃は。皮膚ではなく、木へ当たる。
ロッカは両手の中で柄を回した。
ルークの斧が、柄の上を滑る。そのまま肩の上を通り過ぎた。
引き戻すより先に。ロッカは柄の下端を、ブラッドマウの骨板へ叩き込んだ。
ルークの体が押し返される。
距離を取った。
世界が、本来の速さへ戻る。
見物人たちに見えたのは。ほとんど一瞬だった。
ルークがロッカの懐へ現れ。金属が木へ当たり。次の瞬間には、斧の柄で押し戻されていた。
ロッカは。輪の中央で姿勢を崩していない。
歓声が上がった。
ルークは斧を握り直した。
今の一合で。一つわかった。
ロッカは。バロクを全力で使うルークを、目で追えない。
だが。追う必要がない。
ルークが刃を制御できる速さまで落とした瞬間。ロッカにとって。戦える相手へ戻る。
ロッカが前へ出た。
今度は。斧の軌道が小さい。
多くのオークが好む。大きく。力任せに振るう攻撃ではない。
両手の位置を。絶えず柄の上で変えている。
ある一撃は短く。次の一撃は長い。
刃は、離れた場所からルークを脅かす。近づけば。長い柄が守りへ変わる。
斧頭の下にある曲線部分まで。武器を絡め取るために使われている。
ロッカは。ルークより速くなろうとしているのではない。
速度を使って移動できる場所を。一つずつ潰している。
斧の刃が。ルークの脚へ向かって低く走った。
ルークはバロクを使う。
橙色の光となって。ロッカの背後へ抜けた。
死角へ入る。
速度を落とし。制御した一撃を振り下ろす。
ロッカには。ルークが移動する姿は見えていない。
だが。止まる場所はわかっている。
ルークの斧が下りるより先に。ロッカはすでに回り始めていた。
大きな斧頭も。体とともに後ろへ回る。
広い側面が。ルークの刃を受け止めた。
金属同士が鳴る。
ロッカはルークの武器を外へ押す。
すぐに。斧頭の下側にある曲線を。ルークの斧頭へ引っかけた。
小さな片手斧を。手から奪おうとしている。
ルークは逆らわなかった。
引かれる方向へ手首を回す。
引っかかっていた斧が、外れる。
ロッカは。それも予想していた。
ルークの斧が自由になった瞬間。自分の武器を反転させる。
柄を短く持ち。ルークの左腕へ叩き込んだ。
ブラッドマウの骨板を上げる。
二度目の衝撃は。最初より重かった。
ひび割れる音。
白い骨板の表面へ。細い亀裂が走る。
見物人たちが吠えた。
ルークは。同じ場所へもう一度打たれる前に離れた。
左手首から肩まで。鈍い痛みが脈打っている。
指を動かす。
二本。
まともに反応しない。
ロッカは、ゆっくりと追ってくる。
骨板の亀裂を。見ていた。
ルークには。まだ別の手段がある。
ウルガルを使えば。ロッカの守りごと、力で砕ける。
ラゴンを使えば。次の一撃を正面から受けても、体は耐えられる。
だが。どちらを使っても。この場にいる全員の前で、二つ目の痣が燃える。
ルークが輪へ入ったのは。ロッカがすでに知っている加護だけを、見せるためだった。
ロッカが斧を高く振る。
ルークは横へ避けた。
だが。斧は最後まで下りない。
途中で軌道が変わった。
柄を片手の中で滑らせ。ルークが選んだ退路へ、刃を横に走らせる。
ルークはさらに下がった。
少しずつ。見物人の輪へ近づいている。
周囲のオークたちも後ろへ下がり。ロッカのために、輪を広げる。
バロクを全力で使えば。見物人の間を抜けることはできる。
だが。誰かを突き飛ばさずに通れる余裕はない。
ロッカは。ルークの速さを閉じ込めたわけではない。
どんな武器にも。それはできない。
ロッカが閉じ込めているのは。ルークが選べる道だった。
ルークは。胸当ての下に見える、ロッカの脇腹へ目を向ける。
一度。刃を届かせればいい。
ロッカは、斧を斜めに構えた。足首では。まだ橙色の光が燃えている。
ルークはバロクを使った。
ロッカの目では追えない速さで。右側へ回る。
そのままなら。ロッカが振り向く前に、太腿へ斧を埋められる。
だが。ルークは、二歩離れた場所で速度を落とした。
斧を。ロッカの肩へ向かって上げる。
ルークが遅くなった瞬間。ロッカの目が、彼を捉えた。
柄を持つ両手が離れる。
長い木の棒が。二人の間へ上がった。
ルークは肘を落とした。
手の中で、斧の柄を回す。
肩へ向かっていた刃が。途中で下へ落ちる。
狙いは。むき出しの太腿。
ロッカも。軌道の変化を見た。
前の手を緩める。
柄が、手のひらの中を滑る。
重い斧頭が下へ落ちた。
その広い側面を。太腿の前へ置く。
わずかに外へ傾ける。
ルークの刃が、金属へ当たった。
その瞬間。ロッカは武器を捻った。
斧頭の下にある曲線が。ルークの片手斧へ絡みつく。
横へ引かれた。
先ほどの衝撃で弱っていた二本の指が。ついに力を失う。
片手斧が。ルークの手から飛んだ。
ロッカの背後へ落ち。地面へ突き刺さる。
ロッカの姿勢は。まったく崩れていない。
バロクを使い。横を通り抜け。無事な右手で武器を拾うことはできる。
だが。迷った一瞬で。ロッカが前へ出た。
ルークは下がる。
ロッカが追う。
ルークは。亀裂の入ったブラッドマウの骨板を、二人の間へ上げた。
ロッカは両手で斧を持ち上げる。
そのとき。二つ目の光が生まれた。
右肩にある痣が燃える。
光の線が。肩から腕を走り。拳へ集まった。
見物人の間に。驚きの声が広がる。
――ウルガルの加護。
ロッカは。二つ目の加護を持っていた。
ウルガルの印が激しく燃える。
両手の中で。重い斧が、枝ほどの重さしかないように動いた。
振り下ろしが始まる。
近くにいた見物人たちが、一斉に身を引いた。
一人の戦士が。後ろにいた幼子たちへぶつかる。
小さな体が。大人の脚の間を転がった。
訓練場の中へ倒れる。
ルークの、すぐ後ろ。
ロッカも見た。
口元から、笑みが消えた。
だが。ウルガルの力を乗せた斧は。すでに動き始めている。
今から止められない。
ルークは。バロクを使うことができる。
斧が届くより先に。安全な場所へ逃げられる。
だが。後ろの幼子にはできない。
ウルガルの一撃が。地面へ当たったときに何が起きるか。
ルークは知っている。
刃が幼子そのものを外れても。地面へ放たれる力までは、避けられない。
後ろにいる者すべてを。吹き飛ばす。
ルークは動かなかった。
胸へかけた毛皮の下。心臓の上が熱を持つ。
薄くなっていた痣が。光り始める。
――ラゴンの加護。
力を完全に解放すれば。光は全身へ広がる。
三つ目の加護を。輪の周囲にいる全員へ見せることになる。
ルークは。ほんの一部だけを呼び起こした。
心臓の上から。数本の光だけが、皮膚の上へ伸びる。
そこで止めた。
これだけでも。体が砕けるのを防ぐには足りる。
痛みまでは、防がない。
ルークは。振り下ろされる斧へ正面を向いた。
左腕を体の前へ振る。
亀裂の入った骨板を。刃の軌道へ斜めに差し込んだ。
一撃を。横へ逸らすために。
だが。足りなかった。
ウルガルの力が。ルークの技術ごと押し潰す。
斧は。骨板に走った亀裂へ直撃した。
ブラッドマウの骨板が。二つに割れた。
激痛が。左腕から胸までを貫いた。
ルークの体が、後ろへ押される。
踵が地面を削り。二本の深い跡を残す。
それでも。ルークは斧と幼子の間に立ち続けた。
一撃の力は。ルークの体へぶつかり。左右へ分かれていく。
土が。両脇へ弾け飛ぶ。
後ろには。何も届かなかった。
割れた骨板の両側が。左腕から落ちる。
ルークは立っていた。
斧に切り裂かれてはいない。
だが。皮膚の下にある骨という骨が。すべて砕けたような痛みがあった。
割れた骨板の破片が。左腕へ突き刺さっている。
傷口から血が滲み。革紐へ染み込んでいく。
手首から肩まで。すべての神経が、痛みを叫んでいた。
ラゴンの加護は。ルークの体を壊さなかった。
痛みを消してはくれない。
胸へ巻いていた毛皮が裂けている。
その下。心臓の上で光っていた線は。すでに消え始めていた。
ロッカの大きな体が。見物人たちからルークを隠している。
間近に立つロッカだけが。裂けた毛皮の下を、はっきり見ることができた。
少し離れた場所では。モルグの目が細くなる。
そして。光は完全に消えた。
見物人の多くは。割れたブラッドマウの骨板を見ていた。
ロッカだけが。ルークの胸に残る、薄い痣を見ている。
二人の目が合った。
見られた。
ルークには。別の加護がある。
ロッカの視線が。ルークの後ろへ移る。
幼子は。地面へ座り込んでいた。
怪我はない。驚いているだけだ。
ロッカは。もう一度ルークを見る。
これまでで最も大きく。牙を見せて笑った。
ウルガルの力を乗せた斧は。革紐で補強されたブラッドマウの骨板を砕いた。
本来なら。どんなオークでも、地面へ叩き倒される一撃だ。
それを受けても。ルークは立っている。
ロッカは斧を引いた。
二つの痣は。今も燃えている。
モルグの杖が。地面を強く叩いた。
「そこまでだ!」
ロッカの動きが止まる。
長老が、輪の中へ入ってきた。
ルークの胸にある毛皮の裂け目へ。一度だけ視線を向ける。
だが。その下の光は、もう消えていた。
モルグは杖を上げ。ルークの左手を指した。
指先へ。黒い血の粒が集まっている。
地面へ落ちた。
続いて。もう一滴。
ルークが左腕を下げたことで。革紐へ染み込んでいた血が流れ。今になって、指先から落ち始めていた。
「血を流したのはルークだ」
モルグが宣言する。
「勝者はロッカ」
レッドタスク族が。一斉に吠えた。
「二つの加護だ!」
「バロクとウルガル!」
「デュラグと同じだ!」
「族長グアーグと同じだ!」
「ロッカは、レッドタスク族最強の一人だ!」
オークたちが武器を掲げる。拳で胸を叩く。足を踏み鳴らす。
地面の震えが。ルークの足へ伝わった。
ルークは。自分の後ろを見る。
守った幼子は。まだ地面へ座っている。
ほかの幼子たちが、周囲へ集まっていた。
その中に。クラグもいる。
「なんでルークが負けた!」
クラグが叫んだ。
「ルークなら勝てる!」
少し年上の幼子が。クラグの肩を押す。
「ロッカは加護を二つ持ってる。ルークはバロクだけだ」
「ルークも――」
クラグは。両手で自分の口を塞いだ。
周囲の幼子たちが。一斉に見る。
クラグは。ゆっくりと手を下ろした。
「関係ない」
腕を組む。
「ルークのほうが強い」
育児穴の雌の一人が。二人の幼子の毛皮を、背中から掴んだ。
「仕事へ戻れ」
そのまま。育児穴の方向へ押し出す。
クラグは何度かよろめき。それでも。輪の中を振り返り続けた。
ルークは。左手を閉じようとした。
腕に激痛が走る。
動いた指は。二本だけ。
その場へ。ゆっくりと腰を下ろした。
周囲では。レッドタスク族が、まだロッカの名を叫んでいる。
ロッカは。少しの間、ルークの前に立っていた。
座り込んだルークを見下ろす。
ルークは待った。
胸に見えた痣のことを。全員へ話すのか。
だが。ロッカは何も言わなかった。
斧を肩へ預ける。
そのまま。輪の外へ歩き出した。
ブロッグが。ほかのオークたちとともに、すぐ後を追う。
「ブロッグは、ロッカが簡単に勝つと最初からわかっていた!」
大声で叫ぶ。
「二つの加護を持つロッカに、立ち向かえるオークはいない!」
さらに胸を張る。
「ほかの一族の戦士たちも、ロッカの歌を歌う!」
「それだけの力があれば、グアーグが戻ったときに挑める!」
別の戦士が叫んだ。
その言葉が。近くにいる者たちへ広がる。
ロッカが足を止めた。
歓声も。少しずつ静まった。
ロッカは。集まったレッドタスク族へ向き直る。
「次の襲撃を率いる」
再び。期待に満ちた声が上がった。
「今度は、もっと多く連れていく」
ロッカが言う。
「名を呼ばれた者は、準備しろ」
最初の名を呼ぶ。
一人の戦士が。拳を胸へ叩きつけた。
次の名。
女戦士が槍を掲げ、吠える。
名が呼ばれるたび。新しい歓声が起きた。
ブロッグは。一人呼ばれるごとに、少しずつ背筋を伸ばしていく。
ロッカの視線が。集まった狩人たちの上を移動した。
何人かの名を呼ぶ。
呼ばれた狩人は。拳や武器を上げて応えた。
ロッカの視線が。ブロッグの近くへ来る。
ブロッグは半歩前へ出た。背筋を伸ばす。胸を張る。
ロッカの目は。その上を通り過ぎた。
最後の狩人の名が呼ばれる。
そこで。ロッカは口を閉じた。
一人だけ。狩人たちの中に立っていない者がいた。
見物人からも離れ。まだ訓練場の中央へ座っている。
ロッカが、そちらを見る。
「ルーク」
集まったオークたちが。一斉に振り返った。
ルークは。砕けたブラッドマウの骨板のそばへ座ったままだった。
ロッカは。上げていた手を下ろす。
「以上だ」
ブロッグの笑みは。一呼吸だけ、顔に残った。
ロッカは歩き出す。
選ばれたオークたちが、その後ろへ続いた。
見物人の多くも。新しい襲撃の話を聞こうと、ついていく。
ブロッグだけは。その場から動かなかった。
槍を握る手へ。力が入る。
ルークは。一族全員の前で負けた。
それでも。ロッカはルークを選んだ。
ブロッグではなく。
ルークを。
しばらくして。ブロッグも背を向けた。
無言で。ロッカたちの後を追う。
モルグが。座っているルークの横を通った。
足は止めない。
長老の視線だけが。ルークの胸にある、毛皮の裂け目へ触れる。
そのまま。歩き去った。
やがて。訓練場には。踏み荒らされた土。二つに割れた骨板。そして。地面へ落ちた、黒い血の跡だけが残った。
ルークは一人で座っている。
ロッカは痣を見た。
モルグには。光そのものは見えなかった。
だが。長く生き残ったというだけで。オークが長老に選ばれるわけではない。
長老に必要なのは。経験。そして。見たものの意味を理解する知恵だ。
モルグの視線が。ルークの胸へ留まったこと。
本来なら体を砕くはずの一撃を受けても。ルークが立っていたこと。
モルグは気づいている。
ブラッドマウの死体を調べたときと同じだ。
ルークの話がおかしいと理解しながら。それでも、討ち手の取り分を認めた。
ロッカと同じように。
モルグも。知るには十分なものを見ていた。
そして。二人とも、何も言わなかった。
オークにとって。加護は隠すものではない。
持つ者へ誉れを与え。一族全体を強くする。
ロッカは。ルークの痣を、はっきりと見た。
秘密を守る理由などない。
だが。ロッカ自身も。最後の一撃まで、ウルガルを隠していた。
ルークが。なぜ自分の加護を隠すのか。
それは、ルーク自身にはわかっている。
だが。なぜロッカが。ルークの加護を隠したのか。
それはわからない。
そして彼女は。一族全員の前で、ルークの名を呼んだ。
言葉にされなくても。取引の意味は理解できた。
ルークの秘密は。ロッカが握った。
ロッカが守る限り。秘密は残る。
代わりに。ロッカが呼べば。ルークは、その隣に立つことを求められる。
ルークは二年間。誰にも注目されないように生きてきた。
価値のない狩人と思われることで。自由を得ていた。
だが。たった一度の決闘で。ロッカは、それを不可能にした。
狩人としての。静かな暮らしは。
終わった。




