7.制限
「……すみませんお嬢、職員室に行ったらああいう流れになってしまって、どうにも断りきれませんでした。ご不快にさせるつもりはなかったんですが」
桂太は叶慧の後ろを歩きながら、申し訳なさそうにそう言った。
肩を窄める付き人の姿に、叶慧は苦笑を漏らす。
「構わない。元々忘れ物をしたのは私だし、うちでは昔からあんな感じだから慣れている。……それより、そんなに不快そうな顔をしていたか? 私は表情が豊かではないはずだが」
本館の出入り口付近で、叶慧は足を止めた。駐車場まではもう少しという距離だが、どうしても今、聞いておきたかった。
「ええ、確かにお嬢は喜怒哀楽をはっきりと示されるお方ではありませんが、決して乏しくはありませんよ。注意して見ていれば、すぐに分かります」
そう言って、桂太は微笑んだ。叶慧は何とも言えない顔で青年を見つめる。
とにもかくにも、やはり自分の反応が原因であんなことを言ったのかと、叶慧は息を吐いた。
「つい援護をした立場で言えることじゃないが、来客室での言を撤回するなら、今のうちだぞ。もし御澄の誰かに「御澄家の威厳が損なわれる」などと小言を言われても、私は庇わないからな」
「はい、勿論。俺が一番に優先したいのは、お嬢の御心ですから。上役からのお小言の一つや二つ、何てことはありません。それに俺自身、必要以上の対応をされるのはこそばゆいですし」
「……君は……」
試すつもりで放った言葉に、予想以上に力のこもった答えが返ってきて、叶慧は驚きと戸惑いを胸に生じさせた。
(……まただ)
覚えのある感覚に、叶慧は眉根を寄せた。
明槻桂太という人物は何故かこんな風に、付き人としての職責を超えて、自分のことを慮ってくれるのだ。それは、言葉と態度を見ればすぐに分かる。
けれど、そのことが叶慧にとっては不思議でならなかった。
理由を探して、でも見つからなくて。きっと気の迷いだろうと、一時の勘違いだろうと、そう当たりをつけていた。
それなのに、そういうわけではないのだと、今日みたいに行動をもって示してくれる。
それはとてもありがたいことだけれど、嬉しさよりも疑念が勝る自分自身の心根に、叶慧は内心、落胆を感じていた。
何だか途方に暮れた思いで、叶慧は桂太を見る。
「……君はなぜ、そこまで私に肩入れする。そうまでして私の機嫌を取ったところで、メリットなど無に等しいのに」
桂太は目を見開いた。
叶慧は桂太から顔を背けて、言葉を紡ぎ続ける。
「それとも、まさかとは思うが君も、先見の力は神の恩寵だとかいう妄言を信じているのか?」
叶慧は嘲笑うかのように吐き捨てた。
かつて、先見の力を、神仏からの授かりものであると妄信する一派がいた。
時代の流れと人間の技術の進歩と共に、そういった考えをする輩も減ってきたが、一族内にはまだ頑なにそう信じ続け、叶慧たちを崇めようとする者もいる。
馬鹿々々しいとは思えど、先見の原理が分かっていない以上、完全に否定することも出来ないのかもしれない。
それでも当の力の保持者である叶慧自身は、こんなものが神の力であるはずはないと、身をもって知っている。
というのも事実、先見の力は色々と制限があるのだ。
その中でも叶慧自身が最も不便に思う点は、この力は人物を通してでしか発揮されないというところ。
例えば誰もいない空き地を見ても未来などは見えてこないし、対象が犬や猫でも同じことだ。
つまり叶慧自身が実際に誰かを目視し、意識を向けることでしか、先見の力は発揮されない。
(見える未来が対象の身の周りのことに限定されるのも、苦労するところだな。……それに)
叶慧は嘆息した。
何とはなしに、足元に生えている草に目を向けると、青々とした色が、瞳にくっきりと映る。
先見の力の最も役立たずだと思う点は、より近い未来ほど明瞭に、そしてより遠い未来ほど曖昧に見えるというところ。
数時間、数日先程度のことならありありと見ることが出来るが、年単位になるとぼやけ始め、見えたとしても、それが何年先の光景だ、とはっきり断じることはできない。
対象の外見の変化や、朧気に見える周囲の様子で大体のあたりを付けることはできるが、所詮はその程度なのだ。
先見の力には、色々と制限がかかる。
だからこそ、自分の目で発揮される力は決して万能ではないのだと、叶慧は身に染みて分かっている。
(これほど使い勝手の悪い力が神の御業なんて、お笑いもいいところだ)
「もし君が、先見の力に何か見当違いの期待を寄せているのなら、早く目を覚ました方がいい。私たちは結局、ただの人間だし、目の力とて人の想像が及ぶところの範疇にある。これは言わば、ただの隠し芸みたいなものだ」
叶慧はそう言い、目を伏せた。
こんな風に釘をさすのは初めてではない。昔の付き人や使用人の中にも、先見の力に夢やら幻想やらその他諸々の感情を向けてくる人物がいた。
迷惑とまではいかないが、どうにも居た堪れなくなって叶慧がこのような説明をすると、大概はぽかんとした顔をしていた。
まるで、何を言っているのか分からないというように。
幼い頃には理解できなかった反応だが、今ではしょうがなかったのだろうと思う。
決して万能とは言えない力だが、奇異であることは確かなのだ。
常識の範囲を超えた力を目の当たりにしておいて、「ただの隠し芸」という主張を受け入れろという方が無理な話だ。
そういった背景から、当然桂太からも、困惑の言葉が返ってくると予想していた。
まあ最初はそんなもので、徐々に分かってくれればいいと、そんな風に考えていた。
……だからまさか、「知ってますよ」などという答えが返ってくるなんて、露ほどにも思わなかったのだ。
「…………知っている?」
「はい」
オウム返しに聞いてしまった叶慧に、桂太は穏やかな微笑をたたえて口を開いた。
「先見の力に数々の条件があることも、お嬢がその力を使いこなすために努力を重ねてこられたことも、無闇に使わないよう、常に気を配っておられることも。全て、知っています」
「なっ……」
なんで、と言おうとして、叶慧は口を閉じた。
桂太は叶慧の付き人だ。おそらく先見の力に関することは既に聞いていたのだろうと、今更ながらに思い至る。
過去には説明を聞いた上で、それでも熱い視線を送ってくる人物もいるにはいたが。
「……私が先見の力を使わないように、気を配っているとはどういう意味だ」
叶慧が声を押し殺して、引っかかっていたことを聞く。
すると桂太は、あっさりと言ってのけた。
「だってお嬢、初めてお会いしてからずっと、面と向かって俺の目を見ようとはしないでしょう。こっちを向いている時だって、焦点は顔以外のところにいってますよね」
「………!」
思わず息をのんだ。
まさか、気付かれていたとは思わなかった。
先見の力は基本的に、相手の顔を単に見つめたくらいでは発揮されない。叶慧自身が対象者の顔、正確には瞳を見て、意識を集中させることで初めて発動するのだ。
しかしごく近い未来、数時間先くらいの先見は、少し顔を見ただけでも無意識に発動されてしまうことがある。未来を覗き見るつもりがなくとも、すれ違いざまに見えてしまうことだってあるくらいだ。
だから、普段は真っすぐに人の顔を凝視しないように気をつけている。
見たとしても即刻目を逸らすように、向かい合ったとしても背後の景色や服に視点を置くように、気を配って。
特に目的も持たず、無闇やたらと未来を見てしまうのは叶慧自身も疲れるし、そもそもプライバシーの観点から見てどうなの? という話だ。
長年やってきて、もはや習慣化していることなので、誤魔化し方だって大分上達していたはずなのに。
(侮れない)
心の中で唸る。
叶慧は自分の付き人の評価を、考え直す必要があると思った。
「でも、分かっているというならなぜ、そこまで私に尽くそうとする」
先見の力に心酔しているわけじゃないというのなら、ここまで親身になってくれている理由が何も思いつかない。
心底不思議そうに自分を見て来る叶慧に、桂太は、困ったように笑った。
「お嬢、言ったでしょう。俺はお嬢のお人柄に惚れて、お役に立ちたくてここに来たのだと。俺の目的は、本当にそれだけですよ」
「でも、そんなこと……」
言葉につまって、叶慧は視線を落とした。その様子を、桂太は少し眉を下げて眺める。
「お嬢、貴女はとても賢い方です。だからこそ理解し難いかもしれませんが、人の想いというものは、論理的な理由や説明のつかないことが、ほとんどなんです。……例えばたった数分の何気ない出来事が、目の前の景色をいっぺんに変えることだってあるんですよ」
「……?」
一体桂太が何を言っているのか、はっきりとは分からなくて叶慧は困惑する。
言い聞かせるような言葉を頭の中で反芻していると、桂太はくるりと表情を変えて、朗らかに笑った。
「ま、だから何が言いたいのかっていうと、俺がお嬢のことを一番に思っているのは、違えようのない事実だということです。今はまだ信じられないかもしれませんが、これから行動で示していくので、どうぞお楽しみに。いつか信用してもいいと思えた時には、笑顔を見せてくださいね」
明るく芯のある表情を見て、叶慧は尊敬と憧れのようなものが、自分の胸に生まれてくるのを感じた。
眩しそうに桂太を見つめていると、桂太の瞳が、おどけるような色を帯びた。
「あ、それとお嬢。しっかりしているように見えて、お嬢がまだ15歳の可愛らしい高校生1年生だっていうことも、知ってますからね」
「それは言わなくていい」
飄々とした物言いに、即座に言葉を返してねめつける。
「というか君、だんだん言葉が砕けてきてないか。私は君の主のはずだが」
そう言うと、痛いところをつかれた、というように桂太は気まずそうにした。
「……すみません、意識してはいたんですけど、何せ生まれはごく普通の家庭だったもので。以後、気を引き締めます」
身を縮こませる桂太を見て、叶慧はやれやれとため息をついた。
そして小さく吐息を吐くように、ふっと笑う。
「別にそのままでも構わない。公式の場で気を抜かなかなければ、私としては特に差し障りはないからな。それに最初から一人称は「俺」だったし、今更のことだ」
「……!」
途端に顔を輝かせる桂太を、叶慧は鬱陶しそうに見やる。
けれども瞳だけは、隠しきれない喜びを、その輝きの中に映していた。




