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先見のお嬢は、未来を憂う  作者: 和広奈子
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6.来客


「ふう……」



 4時限目を終えた叶慧は、そっと息をはいた。

 勉強は嫌いではないが、やはり長時間座っていると、身も心も疲れる。


 手を思い切り伸ばして、指をパキパキ鳴らす。

 そうすると伸ばした腕から、しゅわしゅわと疲労物質が抜けていくような感じがして、気持ちいいのだ。

 少々はしたなくも見えるこの仕草は、実家では、特に祖母の前では絶対に出来ない仕草だ。




「さて」

 午前の授業が終わるとやってくるのは勿論、昼食タイムだ。

 クラスの女子たちは既に、気心の知れた友人同士で連れ合って、思い思いの場所へ移動している。

 

 そんな中、叶慧も鞄から弁当を取り出し、席を立った。

 昼休みにたった1人だというのに寂しさや肩身の狭さなど微塵も感じさせない、それどころかむしろ機嫌が良さそうな顔で、廊下を歩いていく。


(一昨日は唐揚げ、昨日は鮭の塩焼き……とくれば今日は、生姜焼きあたりだろうか)

 

 風呂敷に包まれた弁当箱の中身を想像すると、自然と心が浮足立つ。

 この時、この一瞬が、叶慧にとって1日で1番幸福な時間だと言っても、過言ではないかもしれない。 


 叶慧は珍しく頬を緩ませて、足取りも軽く、今日もお決まりの場所に一直線……の、はずだった。

 


 ピンポンパンポーン――


『……1年1組御澄叶慧さん、至急、本館の来客室まで来てください。繰り返します、1年1組……』



「…………はあ?」



 すさまじい怒気がこもった声に、たまたますぐ近くを通りかかった男子生徒が、思わず身を竦ませる。

 それには気付かず、叶慧は据わった目で斜め上方のスピーカーを睨みつけていた。

 

 誰だ。何の用だ。よりにもよって何でこの時間帯なんだ。


 疑問と不満が、底をつかずに湧いて出る。

 色々と問いただしたいことはあったが、呼ばれてしまった以上、指示に従わないわけにもいかない。

 

 手元の風呂敷包みを眺め、残念そうなため息をつく。

 叶慧は目を上げると、ふと、自分の横で突っ立っている男子生徒に気が付いた。


「……何か?」


 元々切れ長の目をしている叶慧は、普通に見つめただけでも怒っているように見える。


 それだけでなく今は、不機嫌な顔に刺々しい声音も追加されていたので、声をかけられた生徒は目に見えて慌てだした。


「いっ、いやっ、別に何もない、だす……」

「……そうか」


 相手の狼狽ぶりに、ようやく自身の惨状を自覚した叶慧は、複雑そうな表情を浮かべる。

 一度口を開きかけたが、結局それ以上は構うことはせず、さっさと目的地に向けて歩きだした。

 





 少女が去った後には、大量の汗を流す男子生徒だけが残された。


「お前、だすってなんだよ……」

 

 傍で一連の出来事を見守っていた友人の生徒が、呆れ気味に話しかける。

 声をかけられた側は額の汗をぬぐい、仏頂面になって口を開いた。


「しゃーねーだろ、いきなり横で「はあ?」とか言われたら誰でもビビるっつーの」


「うわ、情けねえ。同学年の女子相手に怖気づくなよ」


「おっまえ、同学年たって、あの御澄叶慧だぞ。まず存在感から違うっての。……いやまあでも、あれだな。美人がすごむとやっぱ迫力すげえわ」

 

 そう言って顔を赤らめた少年を、友人はひきつった顔で見る。


「え、何? お前もしかしてそっちの性癖あんの? ちょっと引くわぁ……」


「何でそうなるんだよ! そういう意味じゃねえっての!」


「ま、それはともかく、御澄叶慧と話せたなんてある意味貴重な体験かもな。でも勿体ねーよなぁ、あれで性格さえ良けりゃ、憧れのお嬢様像ピッタリなんだけどなー」


「バーカ、夢見てんじゃねえよ。所詮金持ちからしたら俺らなんて、石ころみてえに見えるんだろ。……ありゃ一部のマニア向けだ」


 苦笑いを浮かべた少年を見て、もう一人の方は首をかしげた。


「そーか? 俺はあんだけ美人なら、多少の性格の悪さは気になんねーな。むしろちょっとくらいなら、睨まれてみてーかも」


「なっ、お前こそ、そっちの趣味あんじゃねーか! 一応言っとくけど、くれぐれもやめとけよ。それ後で絶対後悔するやつだぞ……」

 

 などと言い合いながら、男子生徒たちは、叶慧が歩いて行った方をぼんやり眺めていた。





 そんなことを影で言われているとは露知らず、叶慧は来客室の前で、難しい顔をして立っていた。


 自分に来客ということは、およそ御澄家の者であることに相違ないだろうが、引っかかることが一つ。


(……今まで、何かあった時に学校に来るのは決まって須藤だった……が、須藤はそもそもお祖母様の付き人なわけで、私に専属の付き人が与えられた今となっては……)

 

 嫌な予感がしつつもノックをして、おそるおそるドアを開ける。

 開けた先、まず目に飛び込んできたのは、想定通りの、そしてあまり想像したくない顔だった。



「あ、お嬢。お勉強お疲れ様です」


「やはり君か……」


 来客室の椅子に座る桂太を、これ以上ないほどの渋面で見やった叶慧は、重いため息を吐いた。


 予想通り過ぎる展開と、桂太が常時向けてくるキラキラ攻撃に胸やけがして、肩をがくりと落とす。



「まあまあ御澄さん、明槻さんは忘れものを届けて下さったみたいよ?」


「忘れ物?」


 何故か頬をほんのり赤く染めた担任教師が、笑顔でその場を取り成す。

 話をふられた桂太は、一つ頷いて口を開いた。


「ええ、お嬢、体操服を忘れていったでしょう? 朝に気付けば良かったのですが、初出勤日で少々浮かれていたようで、確認を怠ってしまいました。……申し訳ありません」


 そう言って頭を下げる桂太に、叶慧は不思議そうな視線を向ける。


「体操服……? あ」


 そう言えば今日は臨時の時間割で、午後からは金曜の授業になっていたことを、叶慧は唐突に思い出した。


(私としたことが、うっかり忘れるなんて……)


 スケジュール帳にはしっかり記入していたはずだが、どうやら見直すのを忘れていたらしい。


「よく、気付けたな」


 驚きながらも、体操服を受け取る。

 

 叶慧にまじまじと見られ、桂太は嬉しそうに笑った。


「主の予定を把握しておくのも、付き人の仕事ですから」


「いやさすがに、授業内容までは網羅しなくても良いと思うが、とにかく助かった。……って、それだけのことなら、先生に預けていってくれても良かったんじゃないのか」


 わざわざこのためだけに、自分が来客室に呼ばれた理由も、桂太が留まっていた理由も見当たらない。

 そう思った叶慧が胡乱な目で言うと、何故か桂太は、ばつが悪そうに口を噤んだ。


「それは……」


「ダメよ、御澄さん」

 

 桂太の言葉を遮って、女性教師が突然、口を挟んできた。

 驚いて叶慧が見ると、教師はにっこりと笑った。


「せっかく来て下さったんだから、お茶くらいはお出ししないと。それに、その、御澄さんのご家族には、いつも本当に、色々とお世話になっていることだしね」


「……」


 担任教師の取り繕ったような笑顔を見て、叶慧は目を丸くした後、長い睫を伏せる。

 暗に、御澄家が学校に納めている多額の寄付金のことを言っているのは、すぐに分かった。


(そういう、ことか)

 

 呆れと虚しさと諦めが、胸の中で同時に生まれて、ないまぜになる。

 何とも言えない居心地の悪さも行き場のない苛立ちも、こうして家の者が学校に訪れている時に立ち会うことは久しぶりだったので、忘れかかっていた感覚だ。

 

 胸に黒い靄がかかっていくのを感じながらも、何か言わねばと、叶慧は自分に言い聞かせる。


 しかし、叶慧が言葉を見つける前に、先に沈黙を破る者があった。 


「……ご配慮いただき、ありがとうございます。けれど次からは、こういったもてなしは結構ですので、どうかご遠慮ください。その方が、私としても立ち寄りやすくなりますし」


 突如として話し出した桂太の声と、いつになく改まった口調に驚き、叶慧はとっさに、伏せていた目を上げる。 

 視線の先には、物腰や言葉遣いは柔らかいままに、毅然とした態度で担任と対面する桂太が見えた。



「……!」

 

 一瞬だけ、桂太が自分に向けた、申し訳なさそうな目を見て、叶慧は激しく動揺した。

 まるで自分がこの状況に嫌悪感を覚えているのを、見透かされたようだと、直感的に思ったのだ。


(そんなはずはない)


 感情を表に出していい時と、そうでない時の区別くらい、自分でもできる。

 たった今、心の中でどれだけ悪感情を持っていようと、そのことはおくびにも出していないはずだ。

 

 自分をずっと昔から見てきた者ならいざしらず、会って数日の桂太に、勘づかれるわけがない。

 

 頭ではそう思うのに、叶慧は何故か、桂太から意識を逸らせなかった。



 叶慧は無意識に、拳を強く握る。


 ーー「御澄家」の名の下に行われる自分への優遇が、幼い頃からずっと、叶慧は嫌いだった。

 自分自身には何の力も持たないのに、ただ御澄家の者だというだけで与えられる好意も期待も気遣いも、その全てが虚しくて、疎ましかった。


 慣れてきた部分もあるが、やはりそういった場面に立ち会うと今でも、どうしようもなく心は冷えていく。


(けれども、そう思ったところで、今の自分にはどうしようもない)


 祖母が、大人たちが決めてきたことに、まだそれらの庇護下にある、子供の自分が口を出す権利はないのだ。

 そう思って、いつも苦い感情を呑み込んでいた。



『嫌な時は、嫌だと言ってもいいんですよ』

 


 ふと脳裏によみがえった、温かな声に、叶慧は瞼を震わせる。

 ざわめく心を鎮めるように胸のあたりで手を握り、そのまま目の前の桂太を見ると、再び視線を下げた。

 


 どうして、と、心の中で呟く。

 ……自分が隠している思いを見抜いたのは、かつて、たった一人しかいなかったのに。

 


 叶慧はぎゅっと唇を噛みしめて、顔を上げる。


 桂太から予想外の言葉をかけられ、「で、でも……」と食い下がっていた担任に、静かに語りかけた。


「……本人もこう言っていることですし、その通りにしてやってください。何か不都合がありましたら、家の者には私から説明させていただきますので、どうぞご心配なく。……それでは山木先生、対応をしていただきありがとうございました。校門まで彼を送っていこうと思うので、これで失礼いたします」

 


 一息に言い、一方的に話を切り上げると、叶慧は目で桂太に合図をした。


 主の意図を正確に読み取った付き人と一緒に、踵を返す。



 若い担任教師はもの言いたげな顔で、ぱくぱくと口を開閉させていたが、それには気付かないふりをして、叶慧と桂太は来客室を後にした。






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