34.繋がり
――静寂を、突如鳴り響いた機械的な高音が切り裂いた。
「タイムオーバーだ」
そう言って携帯電話を取り出した隆明は、通話ボタンを押す。
『……隆明か』
それほど広くもない部屋だからか、漏れ聞こえた音がはっきりと聞こえる。
久方ぶりに聞いた新條将道の声は、その肩書に見合う重厚な響きをしていた。
対する隆明は、人をおちょくるような飄々とした声で話し出す。
「これはお父さん、お忙しい合間を縫って、わざわざ息子に電話をかけてくださるとは驚きですよ。それで、ご用件は?」
『……言うまでもない。このくだらん茶番を今すぐやめて、御澄のお嬢さんを引き渡せ。お前に付いていた奴らは、日下部たちが全て押さえた。分かったらさっさと出てきなさい。これ以上私の顔に泥をぬるような真似は許さん』
「そうですか。しかしお父さん、貴方が日下部を抱き込んでいたとは、恥ずかしながら気付きませんでした。教育係に引導を渡させるとは大変に良いご趣味ですが、一体いつから引き込んでおられたので?」
『いつからも何もない。そもそも日下部は新條に従事する者であってお前個人の所有物ではない。お前が一連の愚行を企てた時からずっと、奴は私の手駒だ』
「……そうですか。これはしてやられました。お望みどおり、すぐにでも御澄のお嬢さんはお返ししますよ。少々怪我を負わせてしまいましたが、命に別状はありませんので、ご安心を。では」
そう言って、一方的に電話を切った。
叶慧を振り返った顔は、相変わらず笑みをたたえていた。叶慧に歩み寄り、手の拘束をとる。
「おめでとう。待ちに待った、救いの手のご到着だ」
叶慧は赤くなった手首を眺める。
隆明は、思い出したというように口を開いた。
「ああ、そうだ。外に出たら、真っすぐ進んで突き当たった壁を、前に押し出せ。それが扉だ。来た時は分からなかっただろうが、この部屋はちょっと変わった造りになっていてな。外から見て容易には出入口が分からないようになっている」
「……隠し部屋、というものですか」
「そんなに大層なものじゃない。父にこの屋敷を譲り受けた時に、ちょっといじっただけだからな。間取りを見ればすぐに分かるし、管理人も知っている。……まあ、ちょっとした時間稼ぎができる程度だよ」
言葉と共に、叶慧の背をとん、と軽く押す。
出ていけというジェスチャーだということはすぐに分かったが、叶慧は外に出ようとはしない。
代わりに強張った表情で、隆明と向き合う。
「……どうした、早く出ていけ」
「……」
叶慧は何も言わず、ふるふると首を横に振る。表情は一層強張り、目には脅えの色が浮かぶ。
その様子を、目を丸くして見つめ、隆明はふっと笑った。
「……なんだ、やっぱり見えていたんだな」
そう言って、机に歩み寄ると、引き出しを開ける。
そして――。
隆明が動くと同時に、叶慧は悲鳴を上げた。
「隆明様‼」
甲高い声を放ち、全速力で隆明に駆け寄ると、そのままの勢いで右腕に抱き着く。
その手に握られた鋏が喉に到達する、直前だった。
「何を、なさっているんですか!」
掴まれてもなお、強い力で己の命を絶とうとする右手にしがみつく。
「放せ! ……っお前に、関係ないことだろう!」
そう叫び、腕を引きはがそうとする男を、叶慧は睨み上げた。
関係ないだと。
ここまで連れてきておいて、こんなことに巻き込んでおいて、今更部外者扱いをするつもりか。
―――ふざけるな。
「関係、あります!」
ぎりっと奥歯を噛みしめ、足と手に力をこめた。
自己本位も大概にしろ、この分からず屋。そうののしり、声を更に張り上げる。
「なぜ、分からないのですか! あれほど貴方を想う人たちがいるというのに! いい加減に思い知って下さい、いいですか隆明様!」
普段こんな大声を出すことがないからか、喉の奥が焼け付くように痛い。
けれどそんなことに微塵もかまうことなく、叶慧は全身全霊で怒鳴り続けた。
「人一人の人生はその人のものでも、その人の命は、命の重みは、一人だけのものではありません! 生まれてから、たった一人で生きてきたわけでもないでしょう! ……貴方を想う人がこの世に一人でもい続ける限り、貴方の命は貴方だけの所有物ではない! たった一人で好き勝手に投げ出すなんてことは、絶対に許さない!」
叶慧は、自分に協力を申し込んできた女性の姿を思い浮かべる。
狂っていると思った。壊れていると思った。実際、妄信的に隆明のことを語る様子は、歪んでいるとしか言えなかった。でも、その元にあるのは、隆明への情であるのも間違いない。
日下部だってそうだ。懇願するように名を呼び、痛みをこらえるように顔を歪めていたあの人が、単なる裏切り者であるはずがない。
隆明がやろうとしていることは、そういう人たちに一方的に背を向け、一生まとわり続ける、行き場のない悲しみと怒りを植え付ける行為だ。
そんなもの、看過できるはずがない。
「なんなんだよ、お前は……」
舌打ちをしそうな勢いで、隆明は吐き捨てる。
けれどその声はかすんで、覇気がない。
(もう、いいだろ)
自分だって、もう疲れた。新條家にこだわっても未来がないことは分かっている。それでも諦めきれない、それを何度繰り返してきただろう。
もう、取返しのつかないところまできた。
これで、何もかもを手放せる。何もかもをどうでもいいと、背を向けることができる。
それなのに、どうして唯一後ろ髪をひく存在を、思い出させるんだこいつは。
何故当事者でもないくせに、誰よりも的確に自分の心を突いてくる。
「……放せ」
「嫌です」
「……放せ!」
「嫌です‼」
間髪入れずに返して、叶慧は一層力を込める。
そうは言っても徐々に、自分の力が押し負けていることを感じる。
元々男女のハンデがある上に、散々痛めつけてくれたおかげで、叶慧の体は既に満身創痍だ。
「……っ」
自分一人の力で大の男を抑え続けるのは無理だと感じた叶慧は、とっさに叫んだ。
「誰か、誰か来て!」
喉が切れるほど、あらん限りの力をこめて叫ぶ。
気を抜けばすぐにでもほどけてしまいそうな腕を抑えながら、叶慧は自分の非力さを思い知る。
(ああ、悔しいな)
一人では、何もできない自分が歯がゆくて、ほとほと嫌気がさす。
だけど誰かの助けがないと何もできないのは当然のことで、それなのに辛さや悲しさに覆われて、自分だけしかいないと思い込んで、殻に閉じこもって自暴自棄になって。そんなこと、何度も繰り返してきた。
そのたびに、自分で想像するより何倍も、誰かと深く関わって生きているということを痛感するのだ。
だから、ここで隆明に投げ出させるわけにはいかない。
この分からず屋に、何としても自分という存在の重みを、思い出させてやらねば気が済まない。
叶慧が、今までたくさんの人に教えられてきたように。
どれほど叫んだろうか。
ドタドタという足音と共に、聞きなれた声が耳朶を打った。
「……お嬢、ここですか!」
「え……?」
瞬間、人違いかと思った。
願望が音という形になって、都合の良い幻想を見せているのだと。
けれど、聞き違えようがない。見間違えるはずがない。
扉を豪快に蹴り開ける音と共に目に映ったのは、信じられない、けれど誰よりも叶慧が待ち望んだ男の姿だった。




