3.付き人
長い廊下を進みながら、叶慧は過去の付き人たちを思い出す。
記憶を辿ってみても、御澄家の人間である自分とは一歩距離を置き、腰を低くして接する者たちばかりだった。
物静かで、穏やかで、慇懃で、どこか遠い。彼らに抱く第一印象は大体がそんな感じだった。
だから、今回もきっと同じだろう。自分の気を損ねないように、人当たりの良い微笑を浮かべた青年を思い描きつつ、叶慧は歩みを止めた。
一つ息を吸い、襖の前で言葉をかけると、向こうから応えがあった。
静かに、そしてゆっくりと襖を滑らせる。
十六畳の和室には、黒いスーツを着用した二十代前半と思わしき青年が座していた。
「……君が新しい付き人候補か。名は、なんという?」
叶慧が問いかけると、頭を下げていた青年は顔を上げた。
「お初にお目にかかります! 本日付で御澄本家ご令嬢、御澄叶慧様のお傍に上がることになりました、明槻桂太と申します。どうぞ末永くよろしくお願い申し上げます」
「……………」
青年は、やけに明るい笑顔と気合のこもった声で叶慧に口上を述べてきた。
陽光の如き笑みを向けてくる相手に、叶慧は表情を完全に消し去った、埴輪のような顔を向ける。
…………部屋間違えたか?
あまりに予想と違いすぎてそんな考えが頭をよぎる。けれど、祖母が指定したのは間違いなくこの部屋だし、青年の話した内容からも、目の前にいる人物こそが自分の付き人となる相手であることは、間違いなさそうだ。
(それにしてもまあ、今までと随分と毛色の違う……)
無表情の下で面食らっていた叶慧はようやく己を立て直し、まじまじと相手を観察する。
はきはきとした口調にばかり気を取られていたが、良く見れば整った顔立ちをしている。涼やかな目元も短く切った髪も清潔感をまとっていて、黙っているとごく普通の好青年に見える。そして付き人候補となったからには、身体能力知力も他に抜きんでているのは間違いない。
そこまで考えて、ふと叶慧は我に帰る。思えば最初に声をかけてからずっと黙り込んだままだったと、今更ながらに自覚する。
再び相手を見ると、当の桂太は、輝かしい笑顔のままただじっと叶慧の言葉を待っているようだった。改めてとんでもない人間が来たと、心の中でため息をつき、叶慧は咳払いをした。
「御澄家次代先見役、御澄叶慧だ。……明槻、と言ったか。厄介な役目を負わされて気の毒だが、これからよろしく頼む。業務については祖母の付き人である須藤が教えるだろうから、私から特に言うことはない……が、さしあたって一つだけ言っておく」
叶慧は相手の顔をひたと見据える。真っすぐ自分に向けられる眼差しに不安と恐れを抱きながらも、表面には出さずに口を開く。
「私は、君に……いや、付き人に過干渉は一切望まない。共に行動する時間こそ長くなるだろうが、最低限の責務を果たしてくれればそれでいいし、何なら上乗せした評価を報告してもいい。だからくれぐれも、私の役に立とうなどと行き過ぎた志を持たないよう、肝に銘じておいてくれ」
青年が息を呑む気配が伝わってくる。想像通りの反応に特に感慨を抱くこともなく、叶慧は冷え冷えとした視線で、相手の言葉を待った。
「……困った」
桂太がぽつりと漏らした呟きに、叶慧は首を傾げる。
「どういう意味だ?」
問えば、青年は眉を下げて叶慧を見つめた。
「いえ、そのですね。叶慧様の付き人になれるのは身に余る光栄だと思っておりますし、無論、貴女様の御申しつけには何なりと従うつもりだったのですが」
困ったように、言いにくそうにしながらも、はっきりとした響きで、青年は続きの言葉を放った。
「申し訳ありません。勝手ながら、その命だけは聞き入れかねます」
口では申し訳ないと言いつつも、一歩も引く気のない態度だった。
(……いや、そんな堂々と言い切ることじゃないだろう)
予想外の言葉に驚き、思わず怯みつつも、叶慧は桂太をねめつけた。
「君は一つ、勘違いをしていないか?」
叶慧は冷めた目つきで相手を見る。
「私が君に何かを言った時、それは命令であって提案じゃない。言うまでもなく、君に拒否権もない。付き人になりたいというなら、そこは当然弁えるべきところだろう?」
「勿論、心得ております。ですがそれでも、「役に立とうと考えるな」のお言葉だけは、どうしても受け取るわけにはいかないんです。私は、叶慧様のお役に立ちたくて、付き人に志願したのですから、それではここにいる意味がなくなってしまいます」
「…………は?」
つい、動揺を隠しきれずに声を漏らしてしまった。話せば話すほど、事態が混迷していくのは何故だろうか。
今初めて会ったばかりの相手に、どうしてこれほど熱烈な言葉をかけられるのかさっぱり分からなくて、ただただ困惑する。
(そもそも付き人候補は、大概が多額の給料を目的としてか、上からの指示で任命された者のはず)
事実、今まで叶慧が会ってきた付き人のほとんどがそうであった。
主人に情や思い入れがないわけではない。ただ、きっかけの動機はそういった分かりやすく、割り切ったものだというだけだ。まして初対面の相手に、ここまで思いを寄せられる理由など考えられるはずもない。
「……ひょっとして、君は以前に、私と会ったことがあるのか?」
記憶にないながらも、もしかしてと思って尋ねると、青年はにこりと笑った。
「お会いしたことがある、と言っては語弊があるかもしれません。昨年の冬に、ご一族の会合でお目にかかったことがあるだけですから」
「冬の会合……? 年末に分家で開かれた定例会のことか」
御澄家には、叶慧たちが住む本家の他に、二つの分家が存在する。
名乗る姓は全て「御澄」だが、叶慧にとっては季節の節目の会合で顔を見る以外には、ほぼ接点が無いのが現状だ。
一族勢揃いの会とあって、普段本家に出入りしない使用人たちも多くその場に居合わせる。桂太もそのうちの一人だろうと、叶慧は憶測をたてた。
桂太は嬉しそうに語る。
「お目にかかったのは初めてでしたが、何と魅力的な方だろうと、すぐに目を奪われました。凛とした佇まい、御澄家ご令嬢としての威厳、そして何より他者の心を慮る度量の広さを持った、お心映えの素晴らしさ。その全てに感服し、同時にこう思いました」
流れるように口をついて出る賛辞に、及び腰になりながら叶慧はギリギリ踏みとどまる。
ドン引きしている叶慧をよそに、桂太はキラキラとした眼差しを向ける。
「この方に、全霊をもってお仕えしたいと」
「は……っ⁉」
規格外の言葉に驚くことしかできず、叶慧は最大級の困惑と慄きを声に込めた。
聞けば聞くほど青年の言っていることが分からないし、正直こんな多大な期待を寄せられても困る。
「そういうわけで! 私にとって「役に立つな」というご命令は、解雇通知に等しいものなんです。ですから、いくら叶慧様とはいえ、そういったご用命だけはお受けいたしかねます」
再び勢い勇んだ口調に戻って、堂々と宣言してきた。
青年との間に心の壁を構築しかけていた叶慧は、辛うじて桂太の視線を受け止める。
勢いに任せて言ったようにも聞こえたが、その瞳は、迷いや躊躇いの一切ない色をしていた。それは先ほど言い放ったことに微塵も嘘偽りが混じってないことを証明していて、何故これほど確信めいたことを言えるのかと訝しみながら、叶慧は嘆息した。
「一応、聞いておく。ここでもう一度私が先と同じことを言ったとして、君は自分から辞める気はないのか?」
「はい。私が叶慧様の傍を離れる時は、貴女様が私をクビにした時だけです」
即座に返ってきた声に叶慧は眉根を寄せ、一瞬だけ顔を曇らせた。
「………私から、辞めさせるわけにはいかないだろう」
ごく小さな声で発された言葉は、桂太には聞こえない。
叶慧は額に手を当て、目を閉じると、諦めと覚悟が入り混じった表情を浮かべた。
ゆっくり目を開け、視界の先にいた桂太を見る。
「もう、いい。そこまで言うのなら、君の好きにしろ。ただし私は君が思うような人間じゃないし、私に近づきすぎると、損をするのは君の方だということは頭に入れておくように。落胆する結果になっても、私は一切、責任は取らない。いいか、忠告はしたからな」
これが最後のチャンスとばかりに、熱をこめて言い放つ。
けれども桂太はただ朗らかに笑うと、折り目正しく頭を下げた。
「はい。どうぞよろしくお願い致します」
手本のように完璧な所作だ。それが妙に腹立たしい。苦虫を噛みつぶしたような顔で桂太を見やると、叶慧は力のない声で
「……じゃあ、週が明けた明々後日の月曜から、よろしく頼む」
と言い残し、何とも言えない敗北感を覚えながらその場を後にした。




