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先見のお嬢は、未来を憂う  作者: 和広奈子
28/44

28.正体

「――歩け」


 どのくらいの時間が経ったのだろうか。ようやく不埒者の車が止まったと思えば、息をつく間もなくそう命令された。


 叶慧は言われるがまま車を降りて足を踏み出す。途中、何度か扉が開く音が聞こえ、同時に、磯の香りが鼻孔をくすぐった。


(もしかして、海……?)


 胸中で呟き、冷や汗を流す。

 もしここが沿岸だとしたら、一番近いところでも御澄本家から車で一時間半ほどかかる。


 じわりと、焦りが心を侵食していく中、階段を上がるよう指示される。

 まだ視界の自由を得られていなかったので、慎重に一段一段上がると、どこかの部屋へと入らされた。


「……っ」


 叶慧の腕を掴んでいた者が、部屋に入るやいなや唐突に、突き放すようにその手を離す。

 地面に転がされたはずみで、したたかに全身を打ち付けた叶慧が小さく呻くと、頭上から男の声が降ってきた。


「口と、足の拘束だけ解いてやれ」


 男の従者と思わしき者たちは忠実に指示に従う。

 ようやく少しだけ体の自由を取り戻した叶慧だが、その口は固く閉ざし続ける。


「泣いて助けを求めても無駄だ、とでも言おうと思ったが、その必要はなさそうだな」


 あざ笑うかのような男の声が、耳に入る。

 叶慧は眉間に皺を寄せて顔を上げた。


「そんなことをしても、貴方には何の効果もないでしょう」


 淡白に言い、一拍置いて「隆明様」と呼びかける。


 その名を口にした途端、空気がざわめき、何人かが息を呑む気配が聞こえた。


「ふうん。片手で足りるほどしか会ったことがないというのに、俺の声を覚えていてくれたとは光栄だ」


 見えなくとも、その勝気そうな顔に、にやりとした笑みが刻まれるのが分かった。


 連れ去られてから最初に叶慧が聞いた声、それは確かに、新條隆明その人の声に違いなかった。

 加えて、先日叶慧に接触してきた女性の件といい、思い当たる節ならいくらでもある。


(でもまさか、こんなに早くに、こんな強引な手を使ってくるとは思わなかった)


 こうなってくるとつくづく、昨日雪菜に報告を怠ったことが悔やまれる。

 後悔先に立たずとはまさにこのことだと、叶慧は己の詰めの甘さを呪った。


「……こんなことをした、目的は何ですか」


 話を切り出しながら、叶慧はこっそりと手首を動かす。


 実は拘束される際、相手からは見えない位置で、指と指の間に隙間を作っておいたのだ。その気になればいつでも手縄を解けるように準備しておき、少しでも相手の気を逸らすため会話を続けなければと、自分に言い聞かせる。


「目的ね。そんなもの、分かり切っているだろう? 先日わざわざ、お前の元に人をやったんだから」


隆明はどこか楽しそうに、そう言った。この状況下でそんな態度を取れる、相手の心意をはかりかねて、叶慧はごくりと唾をのんだ。


「……確か、隆明様が望む通りの先見の結果を述べるように、でしたか。使用人の方にも言いましたが、そのようなことは出来ませんし、たとえやったとしても若輩の私の言葉一つで、将道様の御心を動かすことができるとは到底思えません。私が貴方のお力になれることは、何一つないと思いますが」


 きっぱりと、何の希望も持てないように断言する。


 さてどう出てくるかと叶慧が反応を待っていると、隆明は低く笑った。


「あの婆と、全く同じことを言うとは。さすが血縁者といったところだな。……もっともらしい理屈をこねて、新條の庇護を受けている身のくせに、俺には一切目もくれず……」


 こつり、こつりと、隆明のものと思わしき足音が叶慧に近づいてくる。

 叶慧は思わず後ずさったが、すぐに背が壁にぶつかった。


「随分と、さんざんな物言いをしてくれたらしいな。俺のことを、力を貸すに値しない小物だ、とか」


 声が近くなるにつれ、相手の気配が肌を刺す。

 叶慧は壁伝いに体を動かしていく。


 けれどついに、頭のすぐ上から聞こえるように感じるほどの距離になると、ぴたりと足音がとまった。


「まさかこの俺が、たかが呉服屋ごときにまで侮られるとはな。……まったくもって、忌々しい」


 その声は愉し気でありながらも、内に秘めた怒気がびりびりと皮膚を刺激するほど、激情に打ち震えていた。


「……っ」


(な……っんなんだ、一体。なぜこれほどまでに、御澄への恨みを募らせている。お祖母様と私に袖にされたことが、そんなに屈辱だったというのか)


 尋常でない怨念をぶつけられ、憤りや恐怖よりも当惑が、叶慧の頭を占める。


 しかしゆっくりと考えを巡らせる暇もなく、急に相手が動く音が聞こえたかと思うと、そのまま前髪を乱暴に鷲掴みにされた。


「い……っ」


 額に鋭い痛みが走る。ぎりぎりと力をこめられ、顔が強制的に上向きになっていった。

 その拍子に、目隠しがほんの少しだけずれて視界が開ける。


 くすくすと、忍び笑いが聞こえる。

 声のした方を向くと、先日叶慧が追い返した女性が、楽しそうに、心から愉快そうに、叶慧を見下ろしていた。


「いいか。こんな強行手段を取った以上、俺だって、何も得ずに帰るわけにはいかない。……分かるか、これは依頼じゃなくて命令だ。お前に選択肢など、初めから無いんだよ」


 隆明はそう吐き捨てると、無造作に手を離す。髪が何本か抜ける音が聞こえた。


「お前がここで俺に協力すると確約しないのであれば、更に苦痛を伴う方法を取る。いずれにせよ、時間の問題であることに違いないがな」


 確信のこもった声だ。

 叶慧が否と言い続けることなど、微塵も疑っていない。

 手間をかけさせていることを不快に思っている、ただそれだけの声だ。

 目隠しの下で、叶慧はすうっと目を細めた。


(……お飾りの権威と暴力で、人を従えられるとでも思っているのか)


 失望、反感、疑念。


それら全てを固めた反発心が戸惑いの感情を一掃し、余分な感情を排除した思考で、必要なことのみを見据える。


なぜ、隆明がこんなことをしているのか。

なぜこんなにも、自分たちを恨んでいるのか。


(そんなこと、今はどうでも良い)


確かなのは一刻も早く状況を打開せねばならぬことと、この人物には絶対に先見の力を貸せないことだけだ。


そうなれば、自ずと次に取る行動は決まってくる。


 急速に温度が下がっていく頭と心で、叶慧は僅かしか姿の見えぬ相手を見据えた。


「……何度も申し上げますが」


 拒絶を声に込めて、ゆっくりと口を開く。


「先見の力も、御澄家の人間としての立場も、隆明様のために使うことはできません。私が貴方にして差し上げられることなど何一つありませんし、そのつもりもありません。私が言えることは、それだけです」


 一息で言い切ると、固く縛られた縄から手首を抜く。ついでに目隠しも力任せに取ると、すぐ目の前にいた男をきつく睨んだ。


「な……っ」


 隆明は狼狽え、何故か、とっさに腕で顔を覆う。


「それでは」


 言い捨てると同時に、叶慧は全力で走り出した。

 部屋を飛び出て、階段を滑るように降りていく。


 その途中で、叶慧は服の下から金の細いチェーンで繋げられたペンダントを取り出す。

 ヘッドの部分にはマッチ棒ほどの大きさをした金色の角柱がぶら下がっていた。

 棒をつかみ、上下にひっぱると、カチッという音がした。


(これで、発信機が作動したはず。……御澄本家に、ちゃんと届いているといいけれど)


 ネックレス型の発信機を起動させた叶慧は、再び服の下にそれをしまうと、走ることに集中した。


 途中何人かに道を阻まれるが、紙一重ですり抜けていくと、玄関のドアに突き当たった。


(複雑な構造でなくて良かった)


思ったよりすぐに出入り口を発見できて、ほっと安堵の息を吐く。

ここがどこであろうが、往来の道に出れば人の1人くらいはいるはず。そうなればこっちのものだと、息苦しさが増していく胸を押さえる。


 けれど、バンっと勢いよくドアを開けた先で叶慧は大きく目を見開いた。

額から流れる汗を拭う余裕もなく、くずおれそうになる足を何とか叱咤して立ち尽くした。


ごくりと唾を飲み、喉を湿らす。


「……たかが女子高生一人を捕まえるのに、念入りなことで」


 頬を引きつらせて、目の前に立ちふさがる五人ほどの、強面の男たちを見回した。


 既に連絡がいっていたのか、がっちりと包囲を固め、叶慧を絶対に逃すまいと眼光鋭く睨みつけている。


「さすがにこれはやりすぎだろう」


乾いた笑いを漏らし、もはやこれ以上の抵抗は無意味とばかりに肩の力を抜く。


悩むまでもなく、この包囲を抜けられる隙は全く無いと、先程から脳が告げている。


「だから選択肢など無いと、言っただろう?」


 嘲るような声が背後から聞こえた。


 同時に、手を後ろにひねりあげられる。きりきりと骨に食い込むような痛さに、思わず顔をしかめる。

本日二回目の拘束は、一回目よりも更に念入りに、迅速にとり行われた。

 今度こそ、縄抜けできる余裕は作れそうにないことだけは確かだった。


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