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先見のお嬢は、未来を憂う  作者: 和広奈子
19/44

19.しりとり

「遊園地が、かくも素晴らしいものだとは……!」


 叶慧は頬を上気させた。もう四つもアトラクションに乗った後だが、子供たちも叶慧も、疲れた様子は全くない。

 むしろ待ちきれないという様子で、五つ目のアトラクションに乗るために並んでいるところだ。


 叶慧の横から、忍び笑いが聞こえてきた。


「楽しんでいただけているようで、何よりです」


 声の主が微笑みかける。

 叶慧は気まずそうに目を逸らした。桂太の余裕のある姿に、年甲斐もなくはしゃいでしまった自分が少し恥ずかしくなったのだ。


 照れ隠しに、叶慧は仏頂面で桂太を睨んだ。


「なんだ、君は楽しくないのか?」


「まさか。とても楽しいに決まっていますよ」


 桂太は隙のない笑顔で、すぐさま答えた。読めない、と叶慧は心の中でぼやく。

 相手の真意を探るのは諦めた叶慧は、後ろの列をちらりと見る。


「それにしても、休日というだけあってかなり混んでいるな。前回は三十分待ち、そして今回は二十分待ちだ。平日だともう少し短いのだろうが」


「これでも今日は空いてる方だと思いますよ。夏休みにもなると、一時間や二時間待ちも普通ですから」


「そんなに待つのか⁉ それほどまでにここの乗り物は魅力的だということか……?」


 叶慧は前方にある、大きな船型のアトラクションを見上げる。

 勿論乗ってみたいけれど、一時間も並ぶほどかと言われれば微妙なところだ。


「うーん……。それもあると思いますけど、同行者が乗りたがっていたら嫌でも付き合わなきゃいけない、とパターンもある気がします。大人数で来たらなおのこと、ただ園内を歩き回るだけでは間が持ちませんし」


 桂太は首を傾げて言う。

「詳しいな」と叶慧が言うと、「何回か行ったことがあるので」と答えた。


「なるほど。一部の者にとってここは、気遣いと忍耐力と度量の広さが試される試練の場というわけか」


 神妙な顔で零した姿に、桂太は表情を引きつらせた。


「えっ……いや、もうちょっと夢とか娯楽とかが混ざっている気がしますが……ああでも、付き合いたてのカップルとかはそんな感じか?」


 桂太は難しそうな顔をして真剣に考え出す。叶慧は一人で納得すると桂太を見上げた。


「とにかく、待つのが楽しくて並んでいるわけではないのだろう?」


「それはそうでしょうね。だからこいつらも、こうして時間を潰しているわけですから」


 そう言って、対戦ゲームに熱中している少年たちを指さした。


「おーい、お前らゲームも良いけど、ちゃんと周りも見ろよ、人にぶつかったりしないように気をつけてな」


 そう言いながら少年たちの背を押す桂太を、叶慧はじっと見た。こんな桂太は普段見たことないから、何だか妙な感じがする。

 視線に気付いた桂太は、叶慧を見た。


「俺たちも、しりとりとかしますか?」


 急に振られた提案に、叶慧は目を丸くした。


「……何故?」


「いえ、今更ですが、お嬢もただ待っているのは退屈だろうと思いまして。とはいえ、簡単な言葉遊びしかできませんが」


 桂太の提案に、叶慧は悩ましげな顔をして考え込む。

 しりとりのルールは知っているが、随分と昔に須藤とやったきりだ。記憶もあまりなく、生まれて初めてやると言ってもいい。


(とにかく語尾に「ん」がつかなければいいんだったな)


 単純なルールだから大丈夫だろう。叶慧は躊躇いながらも頷いた。

 叶慧が首を縦に振ったのを見て、桂太は口を開く。


「では、俺からいきますね。まずは、しりとりの「り」で……」


「ちょっと待て」


 もう勝負は始まっていると言わんばかりに、叶慧は鋭い目つきで桂太を見る。


「なぜ「り」なんだ? 語句の代表としての音を挙げるなら、語頭音の「し」が妥当に思えるが」


 肌を刺すような空気に、桂太はぎょっとする。


「いえ、理由は特にありませんが、よくそういう始まり方をするもので。別にお嬢の言う通り、「し」から始めても何の問題もないんですが……」


「……そうなのか?」


 叶慧はきょとんと首を傾げる。


「こういうのは、最初の設定や細かいルール判定基準を作っておくべきだと思ったのだが……。しかし初心者の私より明槻の方が主導であるべきか……」


「お、お嬢?」


「すまない、先ほどの発言は取り消させてくれ」


 そう言って続きを促す。

 何とも言えない顔で、桂太は笑みを浮かべた。


「分かりました。では改めて、りんご」


「……ゴータマシッダールタ」


「…………だるま」


「磨揉遷革」


「……………………首輪」


 何故かたっぷりの間を開けて答える桂太に、叶慧は眉をひそめる。

 桂太ならこの程度の単語、即座に答えられるだろうに。それに先ほどからもの言いたげな顔をしているのは何故だろう。


(とにかく、「わ」だな)


 思い浮かんだ単語を口にする。


「我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか」


「……すみません、一回止めさせてください。気のせいだったら申し訳ないのですが、お嬢、先ほどから難解な単語ばかりを選ばれるのはわざとですか?」


 戸惑った顔で問う桂太に、叶慧は頷いた。


「だって、簡単な言葉ばかりでは、日が暮れても決着がつかんだろう。そういう君こそ何故、小学生でも分かるような、単純な言葉ばかり答えるんだ? もしや初心者相手だからと、手を抜いているのか?」


「初心者……」


 不服そうな叶慧の言葉を聞き、桂太はぼそりと呟くと、困ったような顔で笑った。


「手を抜いているなんて、そんなことはありませんよ。今回は勝負ではなく、単なる遊びのつもりでしたので、簡単な言葉を答えていただけです。暇つぶしための遊びですから、長引いた方が目的を果たせるでしょう?」


 叶慧は虚をつかれた顔で「あ」と声を漏らす。言われてみればその通りだ。


「難しい言葉縛りでやるのも楽しいですし、お嬢がお望みであればそちらに切り替えますが」


「……いや、すまなかった。今までどおりでいい」


 叶慧は居た堪れなさに顔を背け、ぼそぼそと答えた。

 勘違いをしていた恥ずかしさから、耳まで赤くなる。

 桂太は何事もなかったかのように、にこりとほほ笑んだ。


「分かりました」


 短く答えて続けようとした桂太だが、いつまで待っても言葉が出てこない。


「……?」


 不思議に思った叶慧が目をあげると、桂太は口を手で覆って俯いていた。


「明槻?」


「……すみません、堪えようとしたのですが、どうにも我慢できなくて」


 そう言って叶慧に視線をやった桂太の口元が、ぷるぷると震えているのに気が付く。


「……」


 ああ、要するに、必死に笑いを堪えていたわけかと、叶慧は半眼になる。


「別に、大仰に笑ってくれてもかまわないんだが」


 自分でも、頓珍漢なことを言ってしまった自覚はある。

 だから笑われるのはしょうがないのだけれど、つい憮然とした口調になってしまう。


「ああいえ、すみません。可笑しかったんじゃなくて……。ただ、嬉しかったんです」


 慌てて弁解すると、桂太は言葉どおり、本当に嬉しそうに目を細めた。

 思いがけない言葉に、叶慧はぱちりと瞬いた。


 ……この一連の流れで、嬉しくなるような要素などあったか?


(いや、ないだろう)


 一瞬で終わった自問自答の末、叶慧は首をかしげる。

 疑問に答えるように、桂太は相好を崩したまま、話し出した。


「本家や学校ではいつも、何かに追われるように気の張ったご様子だったお嬢が、今日は色んな表情を見せてくださるので。とても嬉しくて、つい口元が緩んでしまったんです」


 叶慧は目を大きく見開き、茫然と口を開く。


「……嬉しい? そんなことが?」


「はい」


 はっきりと言い切る。嬉しそうに、幸せそうに、桂太は頷いた。

 叶慧は視線を彷徨わせる。確かに今日は周囲の浮かれた空気もあって、色々と緩んでいた。

 今朝見た夢も時折忘れるほど、いつの間にか心から楽しんでいた。そんな自分はさぞかし間抜けな顔をしていただろう。


 けれど、それを嬉しいと言われるとは、思ってもみなかった。そんな風に言われたのも初めてで、どう反応すればいいのか分からない。


 叶慧は何とも言えない気恥ずかしさに、顔を背ける。


 しかしそんな様子の自分でさえも微笑まし気に見てくる付き人から必死に目を逸らし、平常心を取り戻そうと、唇を引き結ぶ。


 恥ずかしさからか、顔が上気してごまかせないほどに頬が赤くなる。

 どうにも胸のあたりがむずむずしてしょうがない。

 こんな醜態を晒すなんて情けないと思うのに、どこか悪く思わない自分がいて、叶慧は思い切り顔をしかめた。


(早く、おさまれ)


 心で祈りつつ、顔の温度が冷めるのをひたすらに待った。



「……おっしゃあ、ラスボスクリア!」


「いや違うって、こっから第二形態になるから、今のうちに回復を……」


 生暖かい空気を醸し出す大人たちの隣で、少年たちはおかまいなしに賑やかな声をあげ、ゲームに熱中していた。




「人間の足は長時間立っているためにつくられていないのだと、思い知らされた……」


 ベンチに座り、じんわりと痛むふくらはぎをさすりながら叶慧は呻いた。

 痛いというほどではないが、しばらくは歩きたくない気分だった。


「すみません、長時間連れまわして。足が楽になるまでは、ここに座っていましょう」


 横ですまなさそうにする桂太を見て、叶慧は内心安堵する。

 先ほどまでの妙に心が落ち着かない感覚は、随分とマシになってきていた。ようやくいつも通りの自分に戻れたことに、無表情の下でほっと息を吐く。


 叶慧は首を振った。


「私がはしゃぎすぎたのが原因なのだから、気にしなくて良い。それにしても彼らは元気だな……」


 そう言って目の前のエアー遊具を見る。

 巨大な家の形に膨らんだバルーンの周りに、子供たちが群がっていた。家の中はトランポリンのように跳ね回れる構造になっており、甲高い歓声が聞こえてくる。


「ですね。まあでもおかげで、俺たちはここでゆっくりできますから、しっかり足を休めて下さい」


 叶慧はこくりと頷く。


(でも、ただ座っているだけでは勿体ないな)


 せっかくだから先見の練習でもしようかと、サングラスに手をかける。

 訓練をしてくると祖母に言った手前、遊んで帰るのだけなのも後ろめたい。


「……こんな賑やかな場所に来たのは、本当に久しぶりだ」


 裸眼になった叶慧は、慎重に周囲を見渡す。


「頻繁に、こういう場所には来ているんですか?」


 桂太が訪ねると、叶慧は首肯した。


「大量の人の中にいても酔わないため、定期的にそういった場に身を置き、慣らしておいた方がいいんだ。それに人が入り乱れる場所で他に意識を捕らわれず、一人の人間の先見を確実に行うための練習にもなる」


 そう言って叶慧は、前方で楽しそうに笑っている一家を目で追う。


「堂々としたプライバシーの侵害なのは否めんがな。たまには意識的にやっておかないと、感覚が鈍っていく一方だ」


 肩をすくめて呟く叶慧に、桂太は納得したように頷く。


「なるほど。そして、今日の付添人は俺というわけですね」


「ああ。幼い頃に一度、お祖母様に来ていただいたこともあったが、それ以後は大抵須藤か、その時々の付き人たちか……」


 叶慧はそこまで言って口を噤んだ。先見に集中していたせいか、まずい単語を口走ったことに気付く。

 ゆっくりと、桂太の様子を横目で見ると、「どうしました?」とでも言いそうな、いつも通りの表情を浮かべていた。……表面上は。


「……」


 ほんの少し、見る人によっては全く気付かない程度だけれど、笑顔がどこかぎこちない。

 叶慧は、「休憩だ」と言って、そっとサングラスをかけ直し、そのまま黙り込んだ。


(やはり、痕跡だけ残しておいて、全貌を見せないというのは酷だろうなぁ……)


 叶慧はそっと嘆息した。


 今まで見ないふりをしてきたが、いい加減それも終わらせなければ、と思う。

 きっとこんな風に、何かをきっかけにして、桂太があの時の叶慧の言葉を思い出すことは、この先もあるだろう。それを分かっていて、彼に言葉を呑み込ませ続けるのは卑怯ではないかと、叶慧は自分に問いかける。


 隠すから余計に気になるのだ。

 それにいつか誰からか漏れ聞くことになるだろうから、時間の問題でもある。


(何より彼には、聞いておく権利がある)


 こうしてみれば、話さない方がいい理由など一つもないように思える。

 あらためてそれを思い知り、叶慧は苦笑した。


 ――そう。結局のところ、全ては自分の心次第なのだ。


 叶慧は拳を握りしめる。話した方がいいと分かっていても、心の底でそれを恐れる自分がいる。桂太に知られること、思い出すこと、あるいはその両方か。

 実のところ、何が恐いのかは、自分でもよく分からない。


 原因不明の漠然とした恐怖。それが今まで、何かともっともらしい理由をつけてまで、話すことを拒否し続けた原因だ。


(でも、そろそろ終わりにしなければ)


 叶慧は息を吐き、桂太に目を遣った。静かに、慎重に言葉を吐き出す。


「……明槻。話をしようか」


 突然声をかけられた桂太は、驚きに目を瞠る。


「話、ですか。……何の?」


 おそるおそる問うた声に、叶慧は眉を下げ、ふわりとほほ笑んだ。


「おそらく、ここ数日の間、君が気になってきたことについて、だ」


「……!」


 こんな曖昧な言葉でも、今の桂太には十分伝わる。息を呑んだ桂太を叶慧は見つめる。


「お嬢、でも」


 桂太がとっさに口を開いたのを、手でやんわりと制する。


「もしかすると、君にとって不快な内容かもしれない。それでも聞く気はあるか?」


「……」


 桂太は戸惑いの表情を浮かべる。知りたい、でも聞いて良いのか、そんなことを考えているように見えた。

 しばし躊躇っていた桂太は、揺るぎのない叶慧の瞳を前に、やがてゆっくりと頷いた。


「……はい。お嬢が、話してくださるのなら」


 真っすぐ自分を見てくる青年に、叶慧は薄く笑った。

 きっと、そう言ってくれると思っていた。


「とはいえ全て詳しいところまでは話しきれないし、時系列が途切れ途切れになるが、その辺はまあ、適当に聞き流してくれ」


 軽い口調で言ってから一呼吸置いて、叶慧はそっと口を開いた。

 かつての、御澄叶慧の付き人たちについて――そして、彼について。


 これから語ることは、もはや過ぎ去った出来事だ。それ自体が自分に、何かをもたらすことは絶対にない。

 だから、この身から湧きあがる不安も恐れも、きっと気のせいだ。

 叶慧は、自分にそう言い聞かせていた。



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