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先見のお嬢は、未来を憂う  作者: 和広奈子
18/44

18.お出かけ

「こんにゃちはー! 今日は、兄弟みんなで来てくれたのかにゃ?」


 心躍らせる音楽が鳴り響き、多くの笑顔が溢れる入場ゲート前で、推定身長百七十㎝の猫が声をかけてきた。


「……全員、他人だ」


 叶慧は抑揚のない声で応じる。周囲の雑音が陽気な分、声の冷たさがより際立ち、聞く者を怯ませる。


「えっ……じゃ、じゃあ、お友達かにゃ? 来てくれてありがとにゃ、いーっぱい楽しんでいってにゃ!」


 猫は分かりやすく狼狽える。慌てて去っていく後ろ姿を見送る叶慧に、横に立っていた桂太が声をかけた。


「お嬢、今日はありがとうございます。お忙しいところ、無理を言ってすみません」


「気にする必要はない。元々、申し出たのは私だ。思う存分、楽しませてやるといい」


 そう言って叶慧が桂太の後ろに隠れるように立っていた男児に微笑みかけると、男児はぎこちなく笑い返した。


 事の発端は、一週間前に遡る。


「お嬢。大変申し訳ないのですが、来週の土曜日、休みを頂いても良いでしょうか?」


「構わないが……急にどうしたんだ?」


 稽古を終え、夜遅くに帰宅した叶慧に、桂太が突然そう申し出てきたのだ。言われた叶慧は、目を丸くした。

 付き人に与えられた完全休暇は年間数日、それをどう使おうが本人の自由だ。

 しかし、それまでいくら振り払おうとも過剰なまでに叶慧に付きまとってきた桂太が、一時的とはいえ、自ら距離を置く旨の要求をすることが珍しかったのだ。

 違和感を裏付けるかのように、桂太本人も渋い顔をしていた。


「色々あって、どうしても弟を遊園地に連れていかなければいけなくなりまして」


 そう言って、桂太は事情を説明し始めた。


 曰く、桂太の弟は先々週に、遠足で遊園地に行く予定だったそうだ。が、不運にも前日に高熱を出し、参加することは出来なくなった。


 何週間も前から心待ちにしていた遠足に行けなかった少年は、それはそれは、ひどく落ち込んだらしい。「生気が一切、感じられませんでした」とは、桂太の言葉だ。


 見かねた両親が、親子三人で遊園地に行く計画を立てたのだが、これまた不運なことに、予定日に両親とも急な仕事が入ってしまったのだ。中止を聞かされた少年の落胆ぶりは、もはや語るに及ばず。


「大好きだったアニメやおもちゃにも、一切興味を示さなくなりまして。話しかけても「遊園地」としか言いませんし……。生ける屍とは、ああいうのを言うんでしょうね、きっと」


「そ、そうか、そんなに。その流れから、君が連れていくという話になったのか?」


 桂太は悄然と頷く。様々な感情が入り混じった、この上なく複雑そうな顔をしていた。


「君の代理は確保できているのか?」


「はい。本家での通常業務は使用人の方々がカバーして下さるそうです。叶慧様の補佐役は須藤さんが、ご送迎については、御澄家と専属契約を交わしているドライバーの方に来ていただくことになります」


「なら一向に問題ない。休暇を許可するよう、須藤にも言っておこう」


「ありがとうございます」


 頭を下げる付き人を見て、叶慧は感慨深げに嘆息した。


「しかし君に、弟がいたとはな。何となく一人息子だと思っていたから、少々驚いた」


「ああ、ですが確かに、元々は一人っ子でしたよ。(はる)()……弟の名前ですが、悠希は義弟にあたるんです。昔は一緒に暮らしていましたが一人暮らしを始めてからはほとんど会えていないので、実は少し、緊張しているんですよ」


 眉を下げて笑った桂太の言葉に、叶慧は目を瞠った。


「義弟……? 実の弟じゃないのか?」


「ええ。実の親は俺が五歳の頃、電車の脱線事故で亡くなりましたから。それからずっと、叔父夫婦に育てられてきたんです」


 だからまあ、義弟と言っても実の兄弟みたいなものです、と言って桂太は笑った。朗らかな笑顔に、叶慧は何と言葉をかけていいのか分からない。


「それで、義父はみすみ屋関西支社で、義母は御澄の分家でそれぞれ働いておりまして。その関係で、俺もこうして御澄家で働かせていただいている、というわけです」


「……そうだったのか」


 叶慧は戸惑いつつも、心の中でどこか納得していた。付き人の仕事というのは、あまりにも自由時間が少ない。

 それは先見の力の秘密が外に漏れないようにするため、事情を知る者の外部との接触を制限するためであるが、そのせいで付き人たちは、満足に家族にも会えないことになる。

 故に、付き人に就くような者は、大抵一家ぐるみで御澄家に従事しているか、天涯孤独の身の上の者がほとんどなのだ。


 話を聞き終えて、叶慧は首を傾げた。


「ん? ということは、君の義弟が両親と遊園地に行けなくなったのは、御澄家がらみの仕事のせいか?」


「詳しくは聞いていませんが、おそらく」


「……つまり御澄の稼業が原因で君の義弟は両親と遊園地に行けなくなり、その上君の貴重な休日が奪われてしまうわけか」


 そう考えると、何とも申し訳なく思えてくる。


 仕事ともなると突発的な事態などいくらでもあろうし、そのことにいちいち文句を言うわけにも、家庭の事情を常に優先させるわけにもいかないのは、仕方のないことだろう。

 けれどそういった大人の事情に子供が巻き込まれるのは、まして本当に楽しみにしていた予定に水を差されてしまうのは、どうにも不憫に思えた。それが桂太にも関わっていることなら尚更だ。


(詫びというのも変だが、何かできることがあれば……)


 叶慧は机に頬杖をついたまま、ぴたりと動かなくなった。


「あ、あの、お嬢? もしや何か気にされてたりします? 念のため申しあげますが、お嬢が責任を感じられることは何も……って、お嬢?」


 叶慧の前で手を振るも、全く反応がない姿に、桂太は慌てて話しかける。

 しばらくして、叶慧はがばっと顔を上げた。


「よし、決めた。私も次の土曜日、遊園地に同行しよう。先見の力の訓練という名目で行くから、君は私の用事に付き合う体で来てくれ。それなら勤務日にカウントされるはずだ」


「え、ええ?」


「スケジュールを詰めに詰め込んだら、一日ぐらい空けられるだろう、後はお祖母様の許可だけだ」


「……時間を作ることは出来るかもしれませんが、許可が下りるでしょうか?」


「下りる」


 叶慧は断言した。


「これまでも、先見の練習のために定期的に人が密集するところには訪れていたんだ。最後に行ったのは数か月前だから、そろそろまた出かけてもいい頃合いだ」


「いえ、だからって、俺たちの私情にお嬢を巻き込むわけにはいきませんよ。お嬢の方こそ、お忙しい身の上でしょう?」


「私が同行したいんだから、気にするな。それに遊園地自体、以前から興味があったことだし丁度いい。ああそれと、当日私は邪魔にならないよう、君たちから離れたところにいるから、心おきなく楽しんでくれ。せっかくの兄弟の時間に水を差すのは忍びないからな。もう一人使用人を連れて行けば護衛としては十分……」


「お嬢」


 当日の細かなシミュレーションを始めた叶慧に言葉を、桂太が遮る。

 少し怒ったような顔に、叶慧は目を瞬かせる。


「お嬢のことを、俺が邪魔だなんて思うはずがないでしょう。水を差すだなんて、そんなことあり得ません。それに俺は、お嬢がその場にいるというのに、お傍を離れるなんてごめんですからね」


「……」


 何に引っかかっているのかと思えばそんなことか、と思ったが、桂太があくまで真剣な顔をしていたので、口には出さない。


「それはつまり、私が付いて行っても問題ない、ということか?」


「あ」


 桂太はしまったという顔をするが、時すでに遅し。

 叶慧は唇の端を吊り上げた。


「では双方、合意が得られたということで。早速、お祖母様に伺いを立ててこよう」


「……かしこまりました。お心遣い、ありがたく頂戴します」


 観念したような言葉を聞き、叶慧は立ち上がった。

 結果として無事に雪菜からの許可は下り、現在に至るわけだ。



「とはいえ私はアトラクションに乗るつもりはないから、君たちが乗っている間は先見の訓練をすることにする。だから君も、遠慮せずに乗ってくると良い」


 そう言って叶慧は、サングラスを光らせた。かけ慣れない色付き眼鏡をわざわざ装備してきたのは、何もファッションというわけではない。

 勿論これにも、先見が関係している。

 先見の力は意識を対象から逸らせばある程度抑えられるものの、完全な機能停止状態にすることは不可能だ。それ故に、人口密集地では情報過多で頭がパンクし、場合によっては体調を崩す恐れがある。

 けれど眼鏡やサングラスなど、何かしらのフィルターをかけると、少しばかり先見の力が抑制されるのだ。視界の明瞭さが薄れるのだから、当然と言えば当然の話。


 そういうわけで、外出時には眼鏡の類が手放せない。

 ぐいっとサングラスを持ち上げる叶慧を見て、桂太は苦笑した。


「そんなこと言わずに、せっかく来たんだからお嬢も楽しみましょうよ。悠希には友達もいますし、ずっと相手にしなくても大丈夫ですから」


 桂太が足元にいる男児二人を見ると、悠希とその友人はこくこくと頷いた。


「ほらね?」


 桂太は叶慧に笑いかける。叶慧は返答に悩み、言葉にならない声を零した。


「お嬢だって、遊園地、楽しみだったんでしょう?」


 桂太は叶慧の手を引く。場の空気のせいか、いつもより幾分か気安い所作に、少しばかり戸惑う。前を行く桂太の後ろ姿を、叶慧はじっと見つめる。


(楽しみだったんでしょう、か……)


 確かに、随分と久しぶりの娯楽施設に少しばかり浮かれていたのは、事実だけれど。


 どうして、楽しみにしていたと分かったのだろう?


 そう聞こうと口を開きかけて、結局やめた。


(……彼にとっては、愚問なのだろう)


 幸福感に満ちた歓声に後押しされるように、叶慧は躊躇いながらも、桂太の手を握り返して駆け出した。




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