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先見のお嬢は、未来を憂う  作者: 和広奈子
16/44

16.境界②

 密閉した車内で、何とも言えない空気が流れる。


「……お嬢、先見の力をバレないようにするとはいえ、挑発的な態度を取り続けるしか、本当に手はないんですか? このままの状況が続けば、お嬢の身があまりにも危険ですよ」


 遠慮がちに発された声を聞き、叶慧は目を瞠った。

しばらくして、眉を寄せると「……須藤か」と小さく呟く。


 叶慧は苦く笑った。


「ない。少なくとも、私には思いつかない。今の私が自由に行動できる範囲は、ごく僅かだ。限られた時間の中では、多少の荒業は必要になってくる。ゆっくり時間をかけて、回りくどく動くには、私一人の身では不可能なんだ」


「お一人だけで手が回らないというのなら、その分俺が……」


「その必要はない」


 予想していた答えが返ってきたところで、叶慧は最後まで言い切らせることなく、相手の言葉を遮った。


「君にだって決して少なくはない自分の仕事があるだろう。それに君が派手に動いたら、きっとお祖母様の知るところとなる。あの人が、先見の力を個人的に使用するのを好まないのは、知っているだろう?」


「……はい」


 渋々ながらも叶慧の言葉を肯定した桂太は、口を閉ざす。

 再び車内に静寂が訪れる。


 しばらくして、タイヤが道路を走る音に紛れるように、桂太の声が空気を揺らした。


「それでもまだ、諦めるには早いと思います。高校生活も始まったばかりですし、これからいくらでもやりようはあるはずです。……だから、もうちょっとだけ、考えてみませんか」


 窓の外を眺めていた叶慧は、そのままの姿勢で息を呑む。


 あれだけはっきりと拒んでおいたのに、まだ言い募ってくるとは思わなかった。

 だいぶ慣れてきた感じもするが、やはり桂太の執念深さというか、粘り強さは異常だ。


(……なぜ)


 なぜこの青年はこんなにも、自分がとうの昔に切り捨ててきたはずのものを、拾いあげようとするのだろう。


理解も、共感も、友人も。

 もう求めようとするのは、やめたものばかりだ。

 今更下手な未練を持たせるのはやめてくれと、そう思う。


 ゆっくりと慎重に息を吐く。


 怒っているような泣いているような、形容しがたい表情を叶慧は浮かべた。


「……相変わらず君は、諦めが悪いな」


 噛みしめるように言うと、表情は見えないながらも、桂太が笑う気配が叶慧にも伝わってきた。


「はい。お嬢のことに関しては、特に。……大丈夫ですよ。きっと何かうまい考えは思いつきます。二人寄れば何とかの知恵って言うでしょう?」


「それを言うなら、三人寄れば文殊の知恵だろう」


「まあまあ。それでも、一人よりはマシなのは確かです。三人集まって文殊の知恵が出るなら、二人でも悪知恵くらいは出るはずでしょうし」


「……また、妙なことを言う。大体、悪知恵なら出てはいけないだろう」


 呆れたように零しながらも、叶慧の口元は本人も気付かないうちに緩んでいた。


 息を少し吐いて、窓の外を見る。

 いつの間にか、自宅からすぐ近くのところまで来ている。

 

 ゆっくりと、そっと風にのせるように、桂太が言葉を紡ぐ。


「俺はずっと、お嬢のお傍にいます。だから、じっくりしぶとく、一緒に考えていきましょう」


「……!」


 穏やかに発された言葉に、叶慧は突如、大きく目を見開いた。



 ―――俺が、ずっとお傍にいます。貴女の声が届く距離に、必ずお控えしていますから、疲れたり心細くなった時には呼んでください。きっとですよ。



 脳内で、温かくて柔らかい声がこだまする。


 無意識に、胸のあたりを握りしめる。制服に皺が寄っていくことも、今は気にすることができない。


 ……忘れかけていた声だ。

 そして、絶対に忘れられない声だ。


 大好きだった、今でも、泣きたくなるくらい焦がれる音。


 思い出し、とっさに押し寄せるのは、懐かしさと切なさ。抱きしめたくなるほど愛しい記憶が、胸をしめつける。


 けれど一瞬遅れてついてきた恐ろしさに、喉の奥がつまり、息が満足に出来ない。


両の手で胸のあたりを押さえ、前かがみになる。ぎゅっと目を瞑って、衝動が過ぎ去るのをただひたすらに待つ。


 温かなものと、冷たく重いものが心の中でないまぜになり、何が何だか分からない。


「………」


 視界がぐらつくのを感じ、叶慧は堪らず座席シートに手をついた。



 どれだけそうしていただろう。

 時の流れを全く感じさせない空間が、叶慧を包み込む。


 意識を呼び戻したのは、焦るような青年の問いかけだった。


「お嬢、どうかしましたか!?」


 後部座席のドアを開け、心配そうに自分を見てくる桂太がいた。


 うまく回らない頭で、外の景色を見る。


 どうやら既に、自宅に着いていたらしい。

 大丈夫だと返事をしつつ、叶慧は青年を一瞥する。


(……似てない)


 顔も、仕草も、物腰も、立ち居振る舞いも、口調も、何もかも、彼と桂太は似ても似つかない。


 それだけは確かだ。


(でも)


 一緒にいるだけで温かくなるような、話しているだけで元気が出るような、彼らが纏う、そんな不思議な空気感はそっくりだと、叶慧は心の中で呟く。


 思わず瞳を伏せ、唇を噛みしめる。


 そこが一番、違って欲しかったのに。


 どうしてだが桂太は、かつてのあの人と同じように、精一杯叶慧に身を尽くしてくれようとする。


 ――だからこそ、恐ろしい。


 耳の奥で、警鐘が鳴る。

 両の拳をぐっと握りしめ、叶慧は一人で車を降りた。


 数歩進んで、立ち止まる。気遣わし気に自分を見つめる青年に、叶慧は押し殺した声で話しかけた。



「……これ以上、踏み込んでくるな」


「え?」


 脈絡もなくかけられた言葉に、桂太は目を瞠る。


 叶慧は目線を下げたまま、話し続ける。右の手首を、爪が食い込むほど強く、握りしめた。


「私に関わりすぎると、きっと君も、彼らのようになってしまう」


「彼ら……?」


 的を射ない言葉に困惑していた桂太は、ややあって目を瞠った。


「お嬢。それは、もしかして……」


 桂太の言葉を最後まで聞かず、振り切るように叶慧は歩き始めた。

 呼び止める声にも気付かないふりをして、そのまま真っすぐに家へと足を踏み入れる。



 これは言い逃げだと、卑怯な行いだと分かっていても、どうしても後ろを振り向くことができなかった。


(……みづき)


 心の中に、一人の姿を描き、祈るように名を囁く。



 柏谷(かしわや)()(づき)



 桂太から見て前任にあたる、御澄叶慧の付き人の名だった。


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