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先見のお嬢は、未来を憂う  作者: 和広奈子
14/44

14.衝突


「……遅くなったな」


 窓から差し込む西日を見ながら、叶慧は顔をしかめる。

 もう放課してから三十分も経っているというのに、ようやく昇降口にたどり着いたところだった。

 それもこれも、少し目を離した間に、叶慧の鞄を教室棟の最上階にある、美術準備室に隠してくれた誰かのせいなのだけれど。

 ご丁寧に、中身も派手にぶちまけた状態で、だ。


「トイレじゃなかっただけマシか……」


 苦笑を浮かべた叶慧は、とにもかくにも駐車場へと急ぐ。

 携帯電話を鞄に入れていたせいで、迎えに来てくれているはずの桂太に連絡できずじまいだったのだ。


「憶測が暴走して、逸った行動を取ってなければいいが」


 そう呟いて第一校舎の角を曲がった時、開けた視界に、今一番お会いしたくない面々が入り込んだ。


(佐伯智宏……と、その仲間たち……)


 表情を完全に無にしながら、心中で呻く。

 とっさに浮かんだ「待ち伏せか」という推測は、相手側もぎょっとしている様子を見るに、違ったようである。

 下がりかけた足を、すんでのところで叶慧はとどめた。駐車場はすぐそこだ。ここから回り道をして行くとなると、倍以上の時間がかかってしまう。

 しばしの逡巡の後、意を決すると、叶慧は足を前に踏み出した。

 出来得る限り端により、目に映る事さえないように距離をとって、進んでいた……のだが。


「おい、御澄」


「………」


 何やら鼓膜が刺激されている気もするが、気のせいだと思って歩く。

 安全地帯まで、あと十メートル。


「聞こえてんだろ、止まれよ」


「……」


 あと、七メートル。ほんのわずかに歩調を速める。


「おい……ちっ、あからさまに無視すんじゃねえよ!」


 何食わぬ顔で先を急いでいた叶慧の行く手を、怒気を露わにした佐伯少年が阻んできた。

 叶慧は眉間に皺を寄せる。


「何の用向きか知らないが、私は君と話している時間はないんだ。退いてくれないか」


「あ――そうかよ。相変わらず強気なことで。そんなんだから女子にも見放されるってこと、分かってんのか?」


 悪意あるにやけ顔を向けられているというのに、叶慧は眉一つ動かさない。

 己の言葉が全く響いていないことを感じた少年は、より一層、苛立ちを募らせる。

 どんどん険しくなる顔をちらっと眺め、黙っていた叶慧はゆっくりと口を開いた。


「君たちが憤っている原因が昨日のことなら、確かに私の言葉も不適切だった。その点は詫びる。だから、道を開けてくれないか」


「………は?」


 予想だにしなかった反応に、少年の口から気の抜けた声が漏れ出る。

 これほど自分が苛立ちを露わにしているにも関わらず、叶慧は心底興味のなさそうな平然とした顔でこちらを見て、あっさりと謝罪を口にしてきたのだ。拍子抜けどころではない。


 思えば、この少女はいつもそうだ。自分がいくら悪意をぶつけようとその淡々とした表情が崩れることはなく、たまに思い出したかのように悪態をついて、ようやくこちらを見たと思っても、数秒後には再び「どうでもいい」とでも言いたげな顔に戻る。

 ――相手にすらされていないのか、自分は。今までも朧気ながら感じていた、そんな思いが佐伯の脳裏に浮かぶ。

 叶慧の姿を見れば見るほど、佐伯の心中で行き場を見失った憤りが渦巻いていく。


「な……っんなんだよ、お前、マジで意味わかんねえ。あんだけ喧嘩売っといて、今更そんなこと言うんじゃねえよ!」


 呼び止めたそもそもの理由が叶慧から謝罪の言葉を引き出すためだったのに、今となっては何が目的だったかも分からない。

 どうにもならない苛立ちだけが取り残され、気付けば、意識するより先に拳を振り上げていた。


「おいっ、智宏……!」


 友人たちでさえも慌てた声を出すが、佐伯の右拳の勢いは止まることなく、まっすぐに叶慧に向かっていく。


「……!」


 刹那、叶慧は目を瞠った。

 反射的に足を一歩後ろに引くが、何故かそこでぴたりと動きを止めて、凪いだ瞳で目前の相手を見る。

 佐伯の拳が、うなりをあげて、目と鼻の先まで迫って来る。他人ごとのようにそれを眺める。


 その直後、叶慧は自分の体が後方に押しのけられるのを感じた。


「え……?」


 視界の端で、黒いものが舞う。

 驚く間もなく、叶慧は自分と佐伯の間に、黒いスーツを着た青年が割り込んできたのを目視した。


 瞬時に、その人物の正体を悟る。


「明槻……」


 茫然と呟く叶慧だったが、それよりもさらに唖然とした様子を見せたのは、その場に居合わせた少年たちだった。


「パンダ……?」

「パンダ……だな」

「パンダが智宏のパンチを止めた……」


 口々にそう零していく。

 困惑した少年たちの視線の先には、パンダの着ぐるみ(頭部のみ)を被り、派手な黄緑色のエプロンを身に着けた、スーツ姿の青年が立っていた。

 不審者以外の何ものでもない風貌に、場の空気が一気に冷えていく。

 パンダの正体を知っている叶慧でさえ、この上なく胡散臭そうな目で見つめる。

 己の拳を止められた佐伯は、茫然自失ながらも、最も端的かつ的確な疑問を口にした。


「……誰?」


 問われたパンダは、逆光を浴びて佐伯に居直る。

 先ほどまでの勢いと打って変わってすっかり大人しくなった佐伯は、思わず後ずさりをした。


「俺は通りすがりの正義のパンダ……パンダ、ええと、スーツパンダだ。巡回中に物騒な光景が目に入り、学校の秩序とか弱い少女をお守りするべく参上した」


(……そのまんまだな)


 普段より声を低めて話すパンダ、もとい桂太を、叶慧は半眼になって見つめた。

 愛らしいパンダの頭部をまとった男は、妙な迫力を背後にたたえ、佐伯につめよる。


「少年、何があったか知らないが、可憐な少女を多勢に無勢で追い込んだ挙句、手をあげようとするのは感心しない。そうは思わないか?」


「……いや、つーかあのパンダあれだよな、去年の学祭でチャイナカフェやってたクラスが、呼び込みで使った着ぐるみだろ。先輩に写真で見せてもらったやつ」


「あ、マジだ。ってことは、あの中身は先輩か先生の誰かか……?」


 その声に、パンダはくるりと振り返り、無言の圧力をかける。威嚇された少年たちは途端に口を噤んだ。

 背後で繰り広げられる攻防に注意を向ける余裕はないのか、佐伯は言葉を濁して答える。


「いや、俺だってさすがに手を出すつもりは……ただ、ついカッとなって、気付いたら動いていたというか……」


「うん、若いうちは考えるより行動が先走りがちだ。けどその様子なら、もうこれ以上言わなくても分かるよな? もしもまだ何か燻っているのなら俺が相手になってもいいが、どうする?」


 そう言って、パンダは身構える。隙の無い構えでにじり寄って来る相手に気圧され、少年はとっさに一歩下がる。


「い、いや、もういい、もういいって。正直それどころじゃねーよ!」


「そうか。君はなかなか、見どころのある男のようだ」


 パンダは臨戦態勢を解く。誰かが安堵の息を吐くのが聞こえた。


(何を見せられているんだ……?)


 叶慧が白けた目でそんなことを思っている間にも、パンダは話を進めていく。


「さて、意気が削がれたところで聞こうか。君たち、もう明日からこちらの見目麗しいお嬢……さんに、嫌がらせやちょっかいをやめると約束するかい? 約束するよな?」


「あ、ああ……」


 完全に勢いにのまれた少年は、実質上の脅迫に、二つ返事で答える。もう何でもいいからさっさとこの場から離れたい。そんな雰囲気がダダ洩れだった。


「よーしよーし、良い子だ、ちゃんと約束したからね。いいかい、スーツパンダはいつでもどこでも現れるからね? そのことだけ、しっかり頭に刻んでおこうな?」


「わっ、分かったって、分かったからもう、俺たち帰っていいよな⁉」


 不審を通り越して不気味の域に達したパンダがじりっ……と間合いをつめてきたところで、少年たちは先を争うようにその場から立ち去り始めた。


「……」


 叶慧は密かに、この瞬間、学校の伝説が一つ増えたことを確信していた。

 騒がしい足音が残響する場には、叶慧とパンダだけが、残されていた。




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