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先見のお嬢は、未来を憂う  作者: 和広奈子
11/44

11.言葉の意味

「今日は色々あったな……」


 自室の机に突っ伏して、叶慧は呻いた。

 

 散々だった昼休みを思い返して、空腹を訴える腹部を押さえる。

 休み時間にこっそり弁当を食べるのも、帰宅した後自分の部屋でおかずをつまむのも断腸の思いでこらえたはいいが、そのせいで腹の虫はなりっぱなしである。

 飢えきった状態での体育の時間は拷問のようにも思えた。


 ちなみに授業中に腹音が鳴るのは全力で阻止した。

 人間、気合で何とかなるもんだと、叶慧はぼんやりと考える。


「脳が満足に機能しない……。いやしかし、宿題を今のうちに終わらせておかないと、これからの予定に支障が……」


 のろのろと立ち上がり、数学の教科書とノートを開く。

 弱音を吐きそうになる頭と腹を無視して、順調に問題を解いていく。


(だいぶ前に予習しておいたから簡単だったな)


 ほぼ単純作業だった数学の宿題を終えて、現代国語のワークを取り出す。


 じっと文章に目をこらすが、一向に内容が頭に入ってこない。集中しようとすれば小さく腹がなり、その度に集中力が途切れてしまう。


「……」


 苛々して、何とはなしに最初の行に傍線を引く。白い空白部分に、一本の黒線が付け足された。

 ペン先でワークをとんとんと叩いていると、襖の外から、叶慧に伺いを立てる者があった。


「……明槻か。どうぞ」


 応えはすぐに返ってくる。


「失礼します。……例の男子生徒たちの動向を、確かめてまいりました」


 廊下から姿を見せた付き人に椅子ごと振り向き、叶慧は頷いた。


「ご苦労。それで、どうだった」


「はい、放課後しばらく追跡してみたところ、どうやら彼らは駅前のショッピングモールではなく、国道沿いの総合アミューズメント施設で遊ぶことにしたようです。念のため目的地に着くまで追ってみましたが、あそこの道は簡単に横切れるような幅ではありませんし、彼らも陸橋を使って、無事にたどりついたようです。日暮れまで滞在するという話をしていたようですが、帰宅の頃合いを見計らって、見張りに行きますか?」


「いや、そこまでしなくてもいい。懸念はショッピングモール前の道路だけだったし、後は問題ないだろう。……よくやってくれた」


 叶慧は安堵の息を吐いて、桂太をねぎらった。

 言われた側は恭しく頭を下げる。


「もったいないお言葉です」


 非の打ち所の無いお手本のような所作を見て、叶慧はこの上なく胡散臭そうな顔をする。

 付き人としては完璧な振る舞いなのだが、昼間の態度を見てしまった後なので、どうにも薄気味悪く感じてしょうがない。


「……家に帰ったとはいえ、今は私と君の二人だけだ。現状況を、「公式の場」としてはカウントしない。だからその妙に整った言動をやめろ、脳が混乱する」


 眉間を押さえてそう告げると、桂太はすぐさま顔を上げる。


「では、お言葉に甘えまして」


 そう言って青年は、にこりと笑う。

 背後から輝きが溢れ始めた桂太を見て、叶慧は思わずため息を零した。


「君……」


 切り替えの早さに、呆れるような感心するような思いを抱く。


(まあ別に、不快な思いがするわけではないけれど)


 己の心境を顧みて、叶慧は首を傾げた。

 何だか段々目の前の人物に対して諦めというか慣れというか、そんな緩んだ認識が芽生え始めているのに気づく。

 叶慧は眉根を寄せ難しい顔をつくると、咳払いをした。


「一応念を押しておくが、親族、特にお祖母様の前では、くれぐれも気を引き締めるように。……もしうっかり素が出たとしても、私では庇いきれない時もあるのだから」


 「心得ております」と一礼して、桂太は立ち上がる。


「お嬢、使用人の方から言伝を預かってきています。お傍に寄っても?」


 右手に握った紙片を示し、主人の言葉を待つ桂太に、叶慧は首を縦に振った。

 そのまま近寄ってきた桂太からメモを受け取り、その内容に目を通す。

 

「……了解した」


この後に控えていた稽古事の、時間変更についてだった。



「……お勉強中だったのですね」


 背後に立ち、机に広げられた問題集を覗き見た桂太がぼそりと呟く。


「ああ。日によって変わる時もあるが、大体いつもこの時間に片付けるようにしている……って、どうした」


 急に相槌を打つのをやめ黙り込んだ桂太に違和感を覚え、叶慧は声をかける。

 呼ばれた方は弾かれたように顔を上げた。


「すみません、少し気が逸れていました。何でもないので、気になさらないでください」


 頭を下げ、ごまかすように笑う桂太の姿に、尚更興味は募っていく。

 桂太が話し中に上の空になるということは、それだけ珍しかったのだ。


「まあ……大したことでないのならいいが」


 そう言いつつも、『気になる』と、叶慧は無言の圧力をかける。


 じい……っと視線を投げてくる叶慧に、桂太は「う……」っと呻き声を漏らす。


 やがて観念したように、桂太は口を開いた。


「……その、今そこに広げられている問題集の、線が引かれてある一文が、ちょっと気になったもので」


「問題集?」


 叶慧は現代国語のワークに目を落とす。

 自分が適当に傍線を引いた一文に、視線が吸い寄せられた。


「『――答えは今度も、考えるより先に、口をついて出てきた』……この文が、何か?」


 何の変哲もない一文だ。

 単純に、自分が引いた傍線に興味をひかれたのかと訝しんでいると、桂太が話し出した。


「『先』という言葉には、「事前に」という意味と、「今後」という意味の、対極した二つの意味があるなあと、ふと思ってしまって」


「二つの……ああ、そういうことか」



 先日、先入観、後にも先にも……これらの言葉は、時間軸上で、ある時点よりも前にあるという意味合いで「先」と言う文字が使われる。


 反して、一年先、先送り、先を見越す……などの言葉で使われている「先」は、未来のある時点を示す意味合いだ。

 無論、叶慧の「先見(さきみ)」も、こちらの分類に入る。



「君は、妙なことに気が付くな」


 手元に視線を落としたまま叶慧が呟くと、桂太は神妙な顔をした。


「お話中に注意を逸らしてしまい、申し訳ありません」


「いや。今は気を張るような場じゃないし、そんなに恐縮せずとも構わない」


 叶慧は答えて、紙に印刷された「先」の文字を、人差し指の腹でゆっくりとなぞる。

 そっと、息を吐くように呟いた。


「なぜ、一つの文字に、これほど相反した意味がこめられているのだろうな」


「どうでしょう。……元々、過去と未来は明確に区別する概念ではなく、現時点から離れた時間帯、というまとまった認識だったのかもしれませんね。大事なのは現在という時間であって、そこから逸れたものに、気を配る必要など無かったのかも」


 桂太は空中に指を二本立てて、未来と過去を表しながら、推測を述べる。叶慧は「なるほど」と相槌を打った。


「つまり、目を向けるべきは今、目の前にあることなのだから、過去や未来などという曖昧で不確かで取るに足りないものに、囚われすぎるな阿呆共、ということか?」


「…………もうちょっと柔らかい言葉で言ったつもりですが、まあ、意訳すれば、大体は」


 そう言って桂太は、ぎこちない笑みを浮かべた。


「けれど、事実そうだろう?」


 叶慧は軽く笑う。


「過去の積み重ねが今であり、今の積み重ねが未来だ。何を知ろうがどうしようが目を逸らせれないものが目前にあるというのに、他に気を取られている場合でもないだろう」


 「まあ、過去はともかくとして」 と、叶慧は言葉を切った。


「未来など、知っていたところで、今を生きる人の尽力無しには実現し得ないものなのに。先が見えない中、それでも死に物狂いで前に進むからこそ、得られたものは輝きを放つのに」


 小さく息を吐く様は、ひどく疲れているようにも見えた。

長い睫毛に縁どられた瞳は鋭い光を宿して、ひたと一点を見据えている。


 叶慧は吐息と共に「だから」と発する。


「予言者や占者なんて存在は、人々の懸命な営みに横槍を入れ、惑わせる、ひどく無粋なものに思えてしょうがないんだ」


眉をひそめ、険しい表情を浮かべる。

 吐き捨てるように放たれた言葉を、桂太は静かに受け止める。


「……それはもしや、ご自身のことも言っておられるので?」


 一泊置いて、潜めるように問われた声に、叶慧は目を見開き口を閉ざした。

 

 しばしの静寂が訪れる。


 やがて、ゆっくりと少女の口元が薄く開いた。


「まさか」


 左右対称の、まるで人形のように整った笑みを浮かべた叶慧は、ゆっくりとそう答えた。

 


 桂太は息を呑み、そのまま叶慧を見つめた。

 視線はそのままに、静かな声で慎重に言葉を紡ぐ。




「……誰かの言一つで左右されてしまうほど、人の生というものは、脆くも容易くもないはずです」


「そうだな」


「……たとえ不確かなものでも、示された未来の展望が、誰かの励みや希望になることも、あるはずです」


「……そうかもな」




 そう答える間も、叶慧は笑みを消さなかった。

 他の者を寄せ付けない微笑を前に、桂太は続ける言葉を見失う。



「……叶慧様」



 そこにいる存在を確かめるようにその名を呼ぶと、呼ばれた方は少し困ったように、眉を下げて微笑んだ。


「すまない、とりとめのない話で時間を取らせてしまった。……それに、同級生たちの件で、更に仕事が押しているだろう。もう通常業務に戻っていいぞ」


 言い残し、自身は机に向き直る。


 桂太は唇を噛みしめると、深く頭を下げて、静かに叶慧の部屋を退出していった。


「……」


 一人になった部屋で、強く押さえすぎたシャープペンシルの芯が、ポキンと乾いた音を響かせた。



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