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先見のお嬢は、未来を憂う  作者: 和広奈子
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10.相談

「で、あんな高い木の上で、君は何をしていたんだ? 一年四組、原田理香」


 叶慧がため息混じりに話しかけると、木にもたれかかっていた少女、原田理香は目を丸くした。


「なんで、私の名前……」


「同学年生徒の氏名くらい、把握している。それよりさっさと質問に答えてくれないか」


 急かすような物言いに、理香は身を竦ませた。見かねた桂太が「お嬢」と声をかける。

 顔をしかめて桂太へと顔を向けた時、叶慧の耳に、理香のか細い声が聞こえた。


「……高いところから落ちて大怪我をすれば、学校に行かなくてもよくなると思って」


「学校に?」


 驚きと共に発された声に、理香は頷く。


「ちょっと前から、グループの子たちとうまくいってないの。話しかけても答えてくれないし、あからさまに避けられるし……。それで、だんだん学校に行くのが辛くなってきちゃって」


 話される内容に、叶慧は記憶を探る。


「君とよく一緒にいたのは……確か、広中さんたちか」


 廊下でたまにすれ違っていた一団を、叶慧は思い出す。

 広中優菜。四組の中で一際華やかな雰囲気を放つグループの、中心人物だ。何事も自らが中心となって盛り上げていくことが好きな、派手で活発な少女である。

 どう見ても、内気な理香と馬が合うタイプではない。


「で? つまり君は広中さんたちにいじめられているということか?」


 叶慧の問いに、理香は力なく首を振る。


「ううん、相手にされてないだけで、いじめられてるわけじゃないの。多分単純に、私といるのがつまらなくなったんだと思う」


 入学してもう一か月ちょっと経つ。最初は席の近い者や同じ中学出身の者同士でつるんでいたグループも、各々気の合う相手を見つけ出す時期だ。おそらく理香はそれに乗り遅れたということだろう。


「だったら君も、新しく趣味嗜好の合う相手を見つければいいじゃないか」


「それができれば苦労しないよ!」


 理香は、さっきまでの小声とは対照的に、周りに反響するほどの大声を出す。

 軽く目を瞠る桂太の横で、叶慧は淡々とした表情を崩さない。


(確かに、それができればここまで思い詰めることもなかっただろうな)


 勢いよく言った後、理香は顔を俯けた。

 長い前髪がさらりと顔にかかり、表情を見えなくする。


「そりゃ、最初は私もそうしようとしたよ。他のグループの子にも話しかけてみたし、休み時間に喋るくらいはできるようにもなった。でもやっぱり、団体行動とかお弁当の時間に仲間に入れてもらえるほどにはなれないんだよ。あっちはもう決まったメンバーになってるし、今更私が入ったって邪魔なだけなんだって思うと、どうしてもそれ以上踏み込めない」


 ぽつりぽつりと零れる言葉に、叶慧は興味があるのか無いのかよく分からない態度で、時折相槌を打つ。


「お母さんや中学の友達に言っても、そのうちちゃんと仲良くなれる、とか、辛いのは今だけだよ、とか言ってくれるけど、もう無理なの」


 理香はそこまで言って、言葉を切る。叶慧が訝しげに声をかけた。


「無理?」


「……だって、しんどいのは今なんだよ。将来楽しい学校生活が待ってたとしても、来るかも分からない未来を支えに、頑張るなんてできない。どれだけ明るい未来を想像しても、毎日毎日、朝が来るのが嫌になるような気持ちが無くなるわけじゃないもの」


 絞り出すように理香はそこまで話すと、言葉を切った。


「それで、大義名分をもって長期的に学校を休めるように、大怪我をしようとした、というわけか」


 叶慧が言うと、理香はこくりと頷き、「片付けられてない、脚立が置いてあったから……。結局、怖気づいちゃったけど」と零した。


 理香はふと、叶慧の方を見る。

 首を傾げる叶慧を見て、少女は泣きそうな顔で微笑んだ。


「私、御澄さんみたいになりたかった。美人で頭も良くて、たった一人でも平気なくらい何でもできて。それくらい強かったら、こんな悩みを持つこともなかったんだろうね」


「……」


 叶慧は目を見開く。

 理香の声には、純粋な羨望がこめられていた。一切嫌味のない、ただ目の前の相手を尊崇する声音。


 そんな言葉を受けて黙り込んだ叶慧の横で、桂太はほんの少し表情を曇らせた。

 理香はそれ以上話そうとはせず、その場の誰も、しばらくは声を発しなかった。


 静寂の中、不意に叶慧が口を開いた。


「いいんじゃないか、やってみたら」


「え?」


 唐突にかけられた言葉に、理香は間の抜けた声を漏らす。


「……それって、怪我できるように手伝ってくれるってこと?」


 叶慧はぎょっとする。


「まさか。こんな話を聞いておいてみすみす怪我など負わせしまったら、後味が悪すぎるだろう。そういう意味じゃなく」


 呆れ顔の叶慧は、戸惑う色を浮かべる理香に視線を投げた。


「そんなにも苦しいのなら、親御さんに相談して、一度学校を休んでみるのもいいんじゃないかと言っているんだ」


 理香は目を丸くする。


「あ、あの。もうちょっと頑張れとか、甘えるなとか、思わないの?」


 おそるおそる声をかける少女に、叶慧は「思わない」と短く答える。


「君の親や友人達からしたら、また意見は変わってくるのだろうが、私は君のことを深く知らないからな。何も分からないし、何が正解かも決められない。だから君が望む通りのことをやってみるのも、一つの手じゃないかと思っただけだ」


「私が、望むこと……」


 理香は叶慧の言葉を反芻する。

 なぜだろう。そう言われると、どこか後ろめたいような、本当にこれでいいのかと逡巡する気持ちが湧いてくる。

 理香は突然もやもやし始めた自分の胸に手を当てた。


 叶慧の言葉は続く。


「世間一般で望ましくないとされている選択肢だろうが何だろうが、進んでみないと分からないものもあるだろう。その結果、後悔なり満足なり反省なりを得て次に生かせられるなら、それは決して無駄ではなかったのだと、言えるんじゃないか」


 叶慧の能力を知る人物がこの場にいたなら、進むべき道とそれがもたらす結果を正確に予見する力を持っている者が妙なことを言う、と怪訝な顔をしたかもしれない。

 けれど、桂太は好ましいものを見るようなこの上なく優しい目つきで、叶慧を見つめていた。


「何を選んでも、無駄にはならない……」


 叶慧の言葉を、一つ一つ確かめるように、理香はじっと聞き入る。

 ややあって、力のない笑みを零した。


「……でも、やっぱり不安だな。逃げても進んでも、何をやっても成果が出なかったら……。それでも友だちができなかったらって考えると、どうしても怖くなる」


 どこまでも後ろ向きで弱気な自分が心底嫌になるけれど、やはり不安は拭い去れない。

 たかが友人のことで、そこまで考える必要があるのか、と言う者もいるだろう。けれど直面している自分にとっては、これ以上なく深刻な悩みなのだ。

 いくら明るい展望を描こうとしても、今までの暗い思い出が、瞬く間に塗りつぶしていく。

 これ以上己の至らなさを思い知るのも、逃げて更に学校に行きづらくなるのも怖くて、どうしても二の足を踏んでしまう。


(こんなに消極的なことばかり言って、きっと呆れているだろうな)


 怖々と視線を上げる理香に、叶慧は平然とした、何気ない口調で言葉を発する。


「そうなったら、私の同類が一人増えるというだけだろう?」


「え……?」


 極めてあっさりとした口ぶりに理香は言葉を失い、ぽかんと叶慧を眺める。


 心の中で広がっていた不安の塊に対し、叶慧の放った言葉はあまりにもシンプルで造作も無くて。その落差に、衝撃を受けた。


「御澄さんと、同類……?」


「だって、そうだろう? どこにも与さず、誰とも馴れ合わず、行動する時は常に一人。今の私と何も違わない」


 至極真面目に言ってのけた言葉に、理香は再び言葉を失った。


「…………ふふっ」


 しばらくしてようやく言葉の意味が頭に入り始めると、理香は堪らず、小さく噴き出した。


(私と御澄さんが同じなんて、そんなことあるはずないのに)


 理香にとって叶慧は、完全無欠に等しい存在だ。

 孤独を感じ始めてからは、より一層、その思いは強くなっていった。

 ――似通った状況に身を置いているのに、なぜ、彼女はあんなにも眩しいのだろう。なぜ、自分はこんなにも惨めなのだろう。叶慧の美しさと強さに憧憬を抱きながら、それ以上に劣等感が、日に日に蓄積されていった。

 それなのに。

 当の本人から、まるで今の自分と彼女は同じ立ち位置にいるかのような言葉が出たことが可笑しくて。それ以上に、嬉しかったのだ。


(御澄さんは、そんな風に思ってくれるんだ)


 理香はうっすらと笑みを浮かべて、叶慧を見る。


 ずっと、友達がいないということは、人間として何か欠けている証のようだと思っていた。

 皆が当然に出来ていることが出来ない自分が、誰にも仲間に入れてもらえない自分が、まるで存在価値を否定されているようで、哀しく恥ずかしかった。

 けれど、今目の前にいる人物はいつも一人なのに、少しも惨めなどではない。それどころか、あくまでも自分の姿勢を崩さない姿が清々しくさえある。

 そんな叶慧に「同類」と呼ばれるのなら、それはそれで悪くない。そう思えた。

 初めて、今の状況を前向きにとらえることできる気がした。


(……でも)


 理香はふわりと笑った。長いこと強張っていた頬の筋肉が、解けるように緩んだ。


 やっぱり自分は、友達が欲しい。


 周りの目が気になるとか恥ずかしいとか、そんな体裁ばかりを気にした理由じゃなくて。嬉しい時に嬉しいと、悲しい時に悲しいと、心を分かち合える相手が欲しい。

 理香は天を見上げた。

 久しぶりに、目の覚めるような思いだった。考えてみれば当たり前のことなのに、今まで随分捻じ曲がった捉え方をしていたなと、胸中で呟く。


「何か、答えが見つかったみたいだな」


 そう言ってほほ笑んだ叶慧に、理香も笑みを返す。

 そのまま理香は、叶慧を見つめた。


(何だか御澄さんって、不思議な人。思っていたより、ずっと)


 目の前で優しそうな顔つきをする叶慧に、そんなことを思う。

 叶慧のことを、もっと知りたい。

 気が付けばそんな思いが生まれていて、考えるよりも前に、理香は口を開いていた。


「御澄さん、ありがとう。……あの、突然だけど、御澄さん。もし良ければ、私と友達になってくれない?」


 理香は声を上ずらせる。

 思いがけない言葉に叶慧と、そして横にいた桂太も思わず息をのんだ。精一杯の勇気を出したであろう、顔を真っ赤にする理香の姿を見つめる。


 数秒の後、叶慧は硬直から解けると、苦く笑った。


「せっかくの申し出だが、私は今の状況を気に入っている。……誰かと一緒にいるのは性に合わないんだ」


「そっか……。うん、分かった。ありがとう」


 理香は残念そうな様子を見せながらそう言った。落胆はするが、何となく、そう言われる気がしていた。

 気を取り直して、理香は叶慧に笑みを向ける。


「御澄さん。やっぱり私、もうちょっと頑張ってみるね」


 いつぶりか分からないほど、心が軽い。目指すものは変わっていないのに、「そうならないため」より、「そうなりたい」と思って動いた方が、どこか心躍るのが不思議で、理香はもう一度笑った。


「……心配しなくても、大丈夫だよ」


 不意にかけられた、柔らかな声に驚いて目を上げると、微笑を浮かべた叶慧の顔が見えた。


「遠くない未来、心から笑える学校生活が必ず待っている。君が心を許せる友人にきっと巡り会える。見切りをつけるのも諦めるのも、君にはまだ早い。それだけは確かだ」


 断定的な言葉に、理香は戸惑う。

 おそらく励ましてくれているのだろうが、それにしては確信に満ちた物言いだ。あまりにもはっきりとした口調だったので、何だか本当にそんな未来が待っているような気がしてきて、理香は嬉しそうに顔を綻ばせた。


「なんだか御澄さんって、未来が分かってるみたいだね」


「……⁉」


 何気なく零した言葉だったのに、ぴたりと静止した叶慧と桂太の様子に理香は驚く。


「女の勘……?」


 ごく小さな声で桂太が呟き、傍にいた叶慧は理香からは見えないように、付き人の足を踏む。


「あ、あの、何か私、失礼なこと言っちゃった?」


「いや、問題ない。突拍子のない言葉に、少し驚いただけだ」


 焦る理香を見て、叶慧はすぐに平然とした表情に戻す。


「……生憎、そんな特殊能力は持ってないが、私の勘はよく当たるんだ。信じて損はないから、心に留めておいてくれ」


「わ、分かった」


 理香が頷いたのを見て、叶慧は立ち上がる。


「じゃあ、私はもう行く。そろそろ昼休みも終わる時間だ。くれぐれも、自傷行為はやめてくれよ」


 そう言って足を踏み出した叶慧に従って、桂太も理香に一礼すると歩き出す。去ろうとする二人の背中に、理香は慌てて声をかけた。


「あの、御澄さん、話を聞いてくれてありがとう! おかげで元気が出た。本当にありがとうね!」


 叶慧は振り返り、「行き掛かり上のことだ、礼には及ばない」とだけ残し、用はすんだとばかりに立ち去っていった。


「行っちゃった……」


 理香は茫然と呟く。


 思えば、羨望、称賛、嫉妬、反感、好奇、様々な感情と多くの目を向けられ、噂の的になってきた相手と言葉を交わしてしまったのだと、今更ながらに実感が湧いてきて、理香は紅潮した頬を押さえた。


(偉そうで、嫌味な人だって聞いてたけど、全然そんなことなかったな)


 確かにどことなく尊大な言葉遣いではあったけれど、それ以上の誠実さと優しさを、叶慧からは感じた。思い出し、理香は嬉しそうに笑みを浮かべる。


(御澄さんはとっても良い人だって、新しい友達が出来たら言おう)


 浮き立つような気持ちで叶慧たちが去っていった後をもう一度だけ眺めると、理香は校舎に向かって歩き始めた。



「良かったんですか、友達にならなくて」


 何やら温かな目でそう言ってくる桂太を、叶慧は鬱陶しそうに見る。


「だから、必要ないと言っただろう。もういいから君はさっさと帰れ」


「帰ります、帰りますけどお嬢、顔が緩んでいますよ。それにちょっと赤くなっていませんか?」


 無理やり桂太を車内に押し込もうとする叶慧に、桂太は笑いながら話しかける。


「なっ、そんなはず……」


 叶慧は思わず車の窓ガラスを見る。


「すみません、嘘です。でも、ほんの少し頬が緩んでいたのは本当ですよ」


「‼」


 満面の笑みで嬉しそうに桂太が言うと、叶慧はばっと顔を上げて桂太を睨みつける。けれどそれさえも微笑ましげに見やった桂太は、一礼すると運転席に乗り込んだ。


「それでは、今度こそ失礼致します。また放課後、お迎えに上がりますね」


 そう言うと、叶慧が口をはさむ暇もなく、車を発進させた。


「何であんなに、嬉しそうなんだ……」


 桂太が立ち去った後、しばらく茫然としていた叶慧は、ぽつりと零した。

 僅かとはいえ狼狽えてしまった自分と、そんな自分を見て楽しそうに笑っていた桂太を思い出し、腹立たしさと恥ずかしさがこみあげる。


(……やめよう。体力の無駄だ)


 半ば強引に桂太の顔を記憶から抹消すると、次いで理香の顔が脳裏に浮かんできた。


「………」


 最後に見せてくれた、吹っ切れたような笑顔に安堵する。

 彼女がこの先どんな道を歩むのかは分からないが、己が垣間見た未来が、一日でも早く訪れればいいと、ただそれだけを思った。


「どうか、好きな道を選んでくれ」


 風に紛れるほどの、小さな声で呟いた。

 長い睫に覆われた瞳は、様々な感情を浮かべては消え、複雑な色彩をたたえる。


 叶慧はしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。


「……予鈴」


 聞き馴染みある音色に、叶慧は顔を上げた。苦笑すると、何かを振り払うかのように、頭を軽く横に振る。


「さて」


 気を取り直すように言うと、踵を返し、学校に向けて足を踏み出す。その様子は、凛としたいつもの「御澄叶慧」に戻っていた。



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