No.65 事件と珍獣姫は…
何時の間にか雲が空を埋めつくし、雨がポツポツ降り注ぐ。
回廊は風に吹かれて水溜まりを作る。
私とベルーナさんは、近衛騎士さんの後に続いて駆け足状態。
ヒールがコツコツと石床を叩く。
水溜まりを避けながらも、足は止めずに進める。
「此方で陛下と王太子殿下がお待ちです」
頭を下げる近衛騎士さんに、私は曖昧に笑顔を見せる。
何だか嫌な予感がする。
勘じゃなくて、じわじわ足下を侵食する不安と負の感情。
この扉の向こうが怖い。
「ティーちゃんっ!」
「ハーツ…」
ハーツを見てしまうと、情けない顔になってしまう。
まだ分からない不安だけが、私の中に溢れているから。
「ティーちゃんの感情が大きく揺れた気がして。大丈夫?」
「…うん。ハーツにはバレバレだね」
「当たり前じゃない!私はティーちゃんの筆頭よ?そんなんだから、私も一緒に行っていいわよね?」
「少々お待ちください。確認して参りますから!」
転移魔法で現れてキラキラ笑顔のハーツに、近衛騎士さんは若干引きながら慌てて中へ確認に行く。
美人さんの笑顔の威力半端ない。
「ティア様、僕の事忘れてませんか?」
「わ、忘れてませんよっ!」
此方もこちらで、花が咲き乱れた様な笑顔で私の手を握る。
美人さん、半端ないって!
忘れようにも、角砂糖を何個も入れた紅茶よりも甘い視線から、逃れられない。
こんな場面でも、ベルーナさんは通常運行らしいです。
負の感情に侵食されそうだったのが、少しスーと波が引いていく感じ。
「大丈夫ですよ。僕やノル様は、ティア様の味方ですからね?」
「ノルお義兄様も、ですか?」
「えぇ、きっと。ノル様が抱き上げるのは、カリーナ様、お子様の王子、王女とティア様だけですよ?」
「そうなんですか?」
「中庭の時も一目散だったものね~?自分家の子猫を保護!って感じだったわよ?」
「フフフッ、私が子猫にみえたんだ」
スーと引いていった不安は、私の心を落ち着かせてくれる。
そこへ、先程の騎士が戻ってきて私達に一礼する。
「セレーネの賢者殿もご一緒に、とのことです。どうぞお入り下さいませ」
「ありがとう♪さぁ、行きましょうティーちゃん」
「大丈夫ですよ?僕も一緒にいますから。頼もしいでしょ?」
パチンッとウィンクするベルーナさんに、私は小さく笑ってしまう。
ベルーナさんの優しさに、暗い方に傾きがちだった気持ちがふわっと浮上する。
「ありがとうございます。かなり心強いですね」
両手に花状態の私に驚いたのか、私の方を見てしばし固まった。
それを見ていたベルーナさんは、急に冷めた視線を騎士に向けると不機嫌そうに呟く。
「僕の顔に何かついてる?彼女は会えるのが奇跡に近いお姫様だから見たいのは分かるけど、あまり見つめるなんて…騎士にあるまじき行動じゃない?」
「え、あの…あまりにベルーナ様がお優しい顔をしていらっしゃったので…申し訳ありませんでした!」
「ふーん。そうなんだ。まぁ、彼女が特別なだけだけどね。いいや、ティア様行きましょう」
ベルーナさんは一睨みしてから、迷いなく扉をくぐって入っていく。
室内は薔薇の香りが充満していて、クラッと気が揺れる。
「あれ?魔力の痕跡?」
「そうね。魅了に近い気配はするけど…ティーちゃんはどう思う?」
「魅了ってよりは…色欲に近いような?」
この香りと消え行く魔力の軌跡。
感じられるのは、この魔法はいい魔法じゃない事。
薔薇の香りに隠れて、チラチラと負の感情が見える。
「ティア、呼び出してすまなかったな。そして、すまなかった…」
疲れを滲ませた顔でノルお義兄様は、私を見て頭を下げる。
執務室より広い部屋でノルお義兄様は、上座に座ったまま表情に陰りを見せた。
その視線を辿ると、視線を遮る様に薄幕の向こう側に気配を感じる。
どうして、ノルお義兄様が謝るのかが分からずに、私は視線を向けたまま言葉を待つ。
「サンとリーフが私を庇って、忘却の魔法…記憶封じの魔法にかかってしまった。魔力遮断の部屋だったから、油断してしまった…本当に申し訳ない」
「陛下・王太子殿下、発言よろしくて?」
「あぁ、構わないよ。聞きたい事でも、何でも答えよう」
「ノルの言う通りで、我々の落ち度だ。何なりと聞こう」
厳かに言ったシリーさんに、『そう…』と頷いたハーツは、確信に迫るべくズバッと言葉を放つ。
「もしかして、あんだけごり押しで連れてきたティーちゃんの事を忘れたなんて言わないわよね?」
ハーツの言葉に、ノルお義兄様は苦渋の表情で『本当にすまぬ…』
サーッと血の気が下がって行って、ここ三週間の事がリプレイされて涙がこぼれそうになる。
忘却の魔法。それは記憶を奥深く封じて、無理に解読しようとすれば、全ての記憶が消滅してしまう怖い魔法。
もし魔法が解けたとして、何処から記憶があるか…なんてなんの保証もない。
私を忘れている可能性が高い。
「本当にすまない…」
「不敬覚悟で言わさせて頂くわ!台風みたいにティーちゃんを振り回したのも、グイグイ押しまくって心を奪ったのもサンエーリ様とリーフ殿よ?それを今更…うちのティーを傷物にしたいのかしら?」
ハーツが捲し立てていきり立つ。
その怒りが私のためなんだと思うと、泣きたいような笑いたいような不思議な感じ。
目を閉じて自嘲する。
逆境には強いのが私じゃないか。
「ハーツ、この三週間が儚い魔法だったんだよ。私は大丈夫!逆境には強いのが私でしょ?私がセレーネに戻れなくても、ハーツ達の居場所はお兄様と父様に頼むから安心してね?」
私が一気に言うと、ハーツはギュッといきなり抱き付いてきて頭に頬擦りする。
ちょっと乱暴なのは、ハーツも動揺しているからなのは分かってる。
「私はティーちゃんから離れないわよ!死ぬまで一緒なんだからっ!もう、こうなったらさっさとサンちゃんとリーちゃんの記憶戻しちゃいましょう!」
「いや、まぁ…そのつもりだけど。このままなんて、後味悪いしね。せめて家族との記憶は、取り戻してあげたいし」
そう、家族との記憶まで奪われるなんて切なすぎるもんね。
私達の記憶が戻るのは、五分五分だけど…もしかしたら…なんて、淡い期待も持っているのかもしれない。
でも、それは…私、個人の願望。
気持ちをギュウギュウに押し込めて、心に蓋をしなきゃ。
寂しい、悲しい、切ない。
グルグル回る気持ちに、視線を反らしてシリーさんを見る。
ハーツから離れて、気持ちが伝わる様に目を見て頭を下げる。
「シリーさん、…いえ、エメラル国の王様・シリー様。今から私を魔法解読のために、セレーネから借りてきた魔導師と助手達と扱って下さい」
「それでは、あまりにも失礼だ。ティアは被害者であり、我々を罵っても良いんだぞ?」
悲しげな表情のシリーさんに、私は強がりな笑顔を張り付けます。
悪いのはシリーさんでも、ノルお義兄様でもない。
サンエーリ様でもリーフ様でもない。
悪いのは、忘却の魔法を発動させた人。
捕らえられてるとはいえ、黙秘を続けてる人が女性だと聞いて少し驚いた。
狙いはノルお義兄様。
何を狙っていたのだろう?
女性の処遇は、これからの経緯で決まるらしい。
心の奥底でドロドロした嫌な感情が渦巻きそうで、深く呼吸して誤魔化す。
その時、冷えていた手が暖かいモノに包まれた。
「僕がいることを忘れないで下さい。僕は貴女が好きです。愛してます。だから、一人で無理はしないで下さい」
ベルーナさんの笑顔が眩しくて、手が優しくて泣きそうになる。
私はサンエーリ様やリーフ様に出会ってから、ずいぶん弱くなった気がする。
涙腺も心も。
でも甘えてばかりいられない。
「ありがとうございます。無理しない程度に頑張りますから!」
気合いを入れ直していると、シリーさんはポツリと小さく呟いた。
「きっとティアが一人になる事はないと思うよ?だって、サンやリーフの運命の相手はティアだから。厚かましい願いだと言って構わない。二人の魔法を解いてやってくれ」
「俺もそう思う。今は記憶は眠っていても、目覚める時が来る。何より奇跡の魔法樹は満開だろ?だからティア、幸せになる事を諦めないで。俺も手伝うから、もう一度一緒に未来を掴もう?」
二人の真剣な眼差しに、私は俯きがちになりそうな心を叱咤する。
私は味方がいてくれる。
まだ大丈夫、大丈夫。
「はい。出来る限り頑張りますね」
「大丈夫ですよ。二人がダメでも僕がいます。これでも、身分だけはそこそこなんですよ?ノル様の筆頭ですし?降下になってしまいますが、幸せは保証しますよ?まぁ、今はティア様の悩みの種から、解決してしまいましょう?」
ねっ?と、軽く笑うベルーナさん。
本当に分かってるんだ。
私の肩に力が入っている事が。
だから、わざと軽口で力を抜こうとしてくれている。
本当に敵わないな。
中身は前世合わせて、いい年なのに…二十代に宥められてる。
精神年齢が、身体に引っ張られているのかな?
「頑張れそうな気がします!」
グッと手を握り込んで、私は笑顔を浮かべます。
心の中でお礼を言いながら、私はあわただしく頭の中で魔方陣が色々浮かんでは消えていった。
今まで覚えたありとあらゆる魔方陣達が、頭の中を駆け巡って行った。




